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超一流レストランのシェフ達が 日本一と絶賛する「阿岸の七面鳥」(阿岸の七面鳥)
阿岸の七面鳥
代表: 大村 正博
経営規模 | 七面鳥1000羽 |
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所在地 | 輪島市門前町小山34-45 |
一流レストランが認めた「阿岸の七面鳥」
「まずは一口食べてみてください」そう笑顔で箸を勧める大村 正博さん。『阿岸の七面鳥』として、能登門前の中山間地で、四半世紀に渡り、極上の七面鳥を育てている農業人である。
目の前に、じつに旨そうな皿が並ぶ。しかも試食にしてはボリュームがある。取材中に試食したり、取材後に食材を頂くことは多いが、しっかり食べてから取材ということは稀である。それだけ味に、自信があるのだろう。
「旨い!」まず鳥刺しに箸をつけ、全員が唸った。その旨さは衝撃だった。淡白なササミに見えたが、しっとり上質の脂が乗っている。続いて塩だけで焼いたモモ肉にかぶりつく。
「 ・ ・ ・ ・ 」誰もが無口になる旨さ。
これまで食べた鶏肉の中で一番というよりも、全ての食肉の中で最上位にランクされるのは間違いない。普通の鶏肉とでは、旨味の力量の桁が違う。
「阿岸の七面鳥の旨さは、能登の風土の旨さ。この場所でしか、この味にはならんわ」大村さんは、そう語る。水や気候はもちろんだが、特に能登に吹く風が七面鳥にはいいそうだ。肺のキレイな鳥ほど、味はいいという。
現在、この阿岸の七面鳥は、日本を代表する超一流のレストランや、地元では金沢のしいのき迎賓館にある人気レストランに用いられている。世界のプロも認める特選食材なのだ。しかし、ここに至る道は、想像を絶する道だった。
大きな試練を乗り越えた四半世紀の夢がある
阿岸の七面鳥の始まりは、ちょうど25年前の1988年。大村さんが三十代半ばの頃だった。農家仲間15人が集まって、地域おこしのために七面鳥を飼育しようという話が持ち上がった。
「とにかく旨い。七面鳥がいい」
仲間の一人であるスーパーの経営者(後の二代目組合長)が、七面鳥を強く勧めた。大村さんをはじめ、七面鳥を食べたことがある人は少なかったが、皆がその話で盛り上がった。
実際に七面鳥がスタートして、地域は活気に溢れた。毎日、毎晩、有志が集まって、遅くまで話し合った。祭りのような毎日。しかし、そんな矢先、七面鳥を勧めた組合長が、交通事故で亡くなられるという悲劇が起こる。阿岸の七面鳥の舵取りは、大村さんたちに託されることになった。
そこにコクト病など試練が降り掛かる。特に能登地震による被害は甚大だった。井戸水が止まり、手塩にかけた600羽を全て処分することになった。しかしどんな試練があろうと、大村さんは幾度も立ち上がる。
「二代目の組合長と約束した〝日本一の七面鳥〟の夢があったから、一度も止めようとは思わなかった」と。
レストラン経営を成功に導く食材をめざして
現在、年間1000羽を出荷目標に飼育を続けている。その味が評判となり、全国から注文が入るようになった。先日、東京で行なわれた飲食店との食材のマッチングでも、高い評価を受けた。人気が出てオーダーが増えるのは心底嬉しいが、しかし充分に対応できないジレンマがある。
通常の養鶏なら、数ヶ月で出荷することも珍しくない。しかし阿岸の七面鳥は、出荷までに一年半の年月をかけて育てられている。また以前からのお得意さまが多く、その分を最優先するから、急な注文に応えるのは難しい。効率化を図れば可能かもしれないが、経営スタイルは崩さない。頑固と言われようと数を追いかけ、品質を落とすことだけは、絶対に出来ないからだ。
また大村さんは、新規の取引を始めるとき、かならずそのお店に出向き、厨房に入れさせてもらい、自分の目で確かめて納得してから七面鳥をお渡ししている。そこには信念がある。
「美味しく食べてもらいたいし、お店も繁盛していただきたいですから」
食材の魅力を直に伝え、時には料理について本音で話し合うことも、生産者としての役目だと考えている。お客さまをお店に呼び込める〝日本一の食材〟をめざして。それが大村さんが追い続ける、阿岸の七面鳥である。