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手探りで始めた有機農業が実を結ぶ エコファーマー石川県認定第一号(とくの農場)

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とくの農場

代表: 得能 順市

経営規模 水稲3ha
所在地 河北郡津幡町下河合ソ90

30年前から循環型農業を実践

 中学卒業後、金の卵ともてはやされて上京し、夜間の電気大学に通った。8年後、石川県に戻り、金沢で電気関係の仕事の指導に当たっていたが、親戚のほ場の世話を頼まれたことやハウスでの育苗管理を委託されたことなどが重なり、20年近く勤めた会社を辞して実家の農業を継いだ。
 もともと休日や農繁期は作業を手伝い、自家消費分の堆肥も作っていた。糠に発酵菌と水を加えて発酵させた堆肥は、一度作ってしまえば翌年もその堆肥に糠と水を足して再生産することができるからだ。そのうえ籾殻も糠も自前のもので、「白米だけいただいて、田んぼからとれたものは田んぼに返すことが当り前だと思っていた」という得能 順市さん。
経費削減のためにやったことだったが、その頃からすでに循環型農業を実行していたことになる。
 農業を継いで2年が過ぎた頃、ある農業雑誌の1ページにこんな記事を見つけた。
「家族が病気で何も食べられなくなったが、農薬を使っていない米のお粥だけは喉を通った。それを機に農薬を使わない米づくりを始めた」というものだった。小さい頃から身体が丈夫でなく、農薬や薬を使うことに抵抗があった得能さんはその記事に触発され、自宅用の飯米を農薬を使わない栽培に切替た。今から30年近く前のことだ。

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肥料もままならない頃から我流で有機農法に挑む

 仕事の傍ら60aのほ場を世話していたが、平成元年に農業に専念するとリタイアした農家からの水田が集まり、10年の間に3haに増えた。
その間、手探りでの有機栽培が続いた。農薬を使わないのはいいが情報も技術もなく、これだと思うような有機肥料にも巡り合えず、8俵が4俵しかとれない半作の年が続く。
当初はなぜ有機なんだと非難ごうごうだったが、やりたいことをやっていたら周りとは違ってしまうのは子どもの頃から経験ずみ。世間の目も苦にならなかったという。
一度決めたら、まっしぐら。そのうえ超がつく凝り性という性格も手伝って、有機栽培にどんどんのめり込んでいった。我流でがむしゃらにやっていると、その噂をどこからかMOAが聞きつけてきて思いも寄らない交流が始まる。MOA自然農法とは、それ以来の長い付き合いになった。
 有機農法で一番の悩みの種は除草対策だ。初めは母親が年に2回手取していたが、1.5haに面積が拡大したら、その程度では到底まかなえない。試行錯誤を重ね、今はチェーン除草と動力除草機で対処している。

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地域を守りたいという強い思いが支えに

 どんなに雑草を抑制しても有機栽培は収量が2~3割落ちるというが、「農業をやっている者が自然を守らないで誰が守る」という強い信念が得能さんを突き動かし、エコファーマー石川県認定第一号となる。
 津幡町下河合地区は石川県と富山県の県境に位置する中山間地だ。峠を越えればすぐ隣の小矢部市に入る。この地区は平地の水田と棚田が混在し、小さなものでは1枚が5aのものある。現在は場整備が進み、中型機械も入るようになったが、昔は9枚合わせて1枚にしても10aに満たず、手や鍬、牛や、馬を使って耕す厳しい時代が長かった。そのため後継者が育たず、休耕田が増えていく。
 じくじたる思いを強くしていた頃、せっかく長年蓄積してきた知識や技術、資材を得能さんの代で終わらせるのはもったいないという声に背中を押され、持てるものをすべて伝えようと研修生を育てている。
 得能さんの一番の楽しみは年に一度の籾すり作業だ。倉庫に積まれた籾がどんどん脱穀されていくのを見ると、収穫の喜びが込み上げてくる。この喜びを若い人たちにも味わってほしい。そのために後継者を一人前に育て、集落のために働きたいと考えている。

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とくの農場(石川県河北郡)【PDF:964KB】

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