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フロンティアスピリットで奥能登を開拓する(瀬爪 忠)

瀬爪忠写真

瀬爪 忠 (せづめ ただし)

Profile

石川県能登町(旧内浦町)生まれ
地元の高校(建築科)を卒業後、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校に進学
その後、2年間アメリカはワシントン州で酪農の研修を受ける
帰国後、(有)内浦町農産公社へ就職。公社に4年勤めその後、(有)内浦アグリサービスへ転職
内浦アグリサービスでは、畑作全般を担当しており、常に新しい品目に挑戦
 

就農のきっかけから就農まで

 高校は建築科で卒業後の就職先もほぼ内定していました。しかし、父の強引な勧めで長野県にある八ヶ岳中央農業実践大学校に進みました。農業に興味や関心があった訳ではないので、父に素直に従った形でした。
 農業大学校卒業後は国際農業者交流協会の海外研修でアメリカへ渡りました。研修先は西海岸最北部のワシントン州で、搾乳専門の酪農農家でメキシコ人と一緒に2年間働き続けました。アメリカの農業は規模がケタ違いに大きく、技術は日本で役に立つものではなかったように感じました。
 海外研修で収穫できたことは2つ。1つはアメリカの開拓精神(フロンティアスピリット)を肌で感じられたこと。不屈の精神や人生の考え方、子育ての方法など新鮮に感じました。アメリカでは農地は若い時に買い、それを元に経営・規模拡大し、リタイアする時には売り老後の生活資金にする。農地は自分の子供に継がせるものではないという考え方には特に共感しました。アメリカ的なドライな考え方というより、グローバルな考え方が身につきました。
 もう1つは、海外研修の同期の仲間が出来たことです。研修を終えて帰国し就農した同期生は全国に90人ほどいて、今でも交流は続いています。能登で農業をしていると同世代が少なく寂しく感じることもありますが、同期生のネットワークがあるので救われています。海外研修が終わり帰国する頃には、自分の意思で農業を仕事に選びました。農業で生活が出来ないのであれば、農業にこだわらず転職する意思も同時にありました。

就農してから現在まで

 帰国後は役場職員の勧めで(有)内浦町農産公社に就農しました。公社に4年間勤めた後、(有)内浦アグリサービスに転職しました。
 内浦アグリサービスは水稲主体で冬場の仕事として菌床シイタケや野菜栽培も行っています。私は主にカボチャ、ネギといった露地野菜を担当しています。全体の売上げに対する野菜の割合が一番小さく、野菜の売上げを上げることが私の当面の目標です。そのため新しい品目に挑戦し続けています。新しい品目に必要な技術は近所のベテラン農家や普及指導員、現代農業などの書籍から得ることもありますが、一番頼りにしているのは海外研修で得た同期生のネットワークです。同期生は水稲、野菜、果樹、酪農などいろんな種類の農業をしているので、そのつてで全国に勉強しに行っています。海外研修同期生は本当に私の財産だと思います。
 農業をとりまく環境は短期的にはとても厳しいが、中長期的にみると明るくなると思います。それまでは技術習得と新しい人脈づくりに頑張ります。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者と生産者のズレ(品質、価格、価値観)をなくして、市場を通さず直接消費者に販売したい。

今後就農をめざす人へ

 非農家出身で技術・資金の無い人は農業法人へ入った方が良い。その土地の気候や風土に合った技術を身につけられるというメリットは大きい。
 また理想と現実は違う。会社・組織の中では人間関係や仕事内容など問題や障害もでてくるが、それから逃げて組織をやめ独立しても失敗する。挫折や失敗は前に進めるステップとなるので気にしない。転んでも砂をつかんで立ち上がれ!妥協だけはしないこと。

農林総合事務所所長よりひとこと

 瀬爪さんの話を伺っていると、農業者の子弟にあまり感じられなくなった覇気を感じます。これもアメリカでの2年間の研修成果でしょうか。技術よりも開拓精神を肌で学んできたことが、今日の瀬爪さんの生き方に色濃く反映しているように思います。畑作担当として消費者の求める商品を作りたいと日焼けした笑顔が頼もしく感じられました。とにかく納得いく農業を目指してチャレンジしてください。

種本農林総合事務所長

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