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活躍しているニューファーマー

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加賀藩は百万石、俺は一万石を目指す(和多 真智)

和多真智写真

和多 真智(わだ まさと)

Profile

石川県能美市山田町生まれ
幼少の頃から父の農業を手伝う一方、中、高校ではバスケットに熱中
発想の豊かさや幅広い見識を求めてあえて農業関係以外の理科系大学で経営工学を学ぶ
卒業と同時に実家の(農)和多農産に就職。同年アグリ塾体験コース受講
現在は(農)和多農産の常務理事
平成19年から小松能美地区農業青年グループの会長として活躍

(農)和多農産の経営概要  水稲60ha、大麦10ha、大豆10ha

就農のきっかけから就農まで

 小学生のとき、学校から帰ってから親の手伝いをしていたが、中学、高校は部活動で手伝いができなかった。
 最初のきっかけは、高校時代に親父から我が家の経営内容を教えてもらったとき。電卓で収益や経費の額を示しながら、「農業もやり方次第で大きな夢を持てるぞ」という話を聞いた。そういう話の中で当時は「漠然とした感じで農業をしよう」と思っていた。
 その後、東京で暮らしていたときに、実家から送られてきた米を食べて、その美味しさに感動し、米作りをやろうと強く決心した。
 在京時代は、これからの人生に必要な見識と生涯の伴侶の獲得に努めた。学生結婚し、愛する嫁さんには田舎で農業をやろうと正直(?)に話し、了解を得た。
 大学卒業後アグリ塾を受講したとき、技術だけでなくアグリ塾の同期である小松市の阿戸さん、新田さん、田淵さんと出会ってその後の農業青年グループにつながる仲間づくりができた。
 実家では、2世帯で暮らせるよう住宅をリフォームするなど、受け入れの支援をしてくれた。そんなことから就農に対する苦労と言えるものはなかったと思う。

就農してから現在まで

 就農当初、米づくりは「仏草」と言われるように、隣の真似をしていれば誰でも出来ると思っていた。
 当時我が家では規模拡大が必要で、その手段として直播栽培が将来役立つと考えていたため、親父にやりたいと相談したら、18haの水田を提供してくれた。しかし、水管理や除草剤の使い方が未熟であったため、3haが発芽しないという惨めな結果を味わった。試行錯誤を繰り返し、今では出芽苗立も安定し、20haまでの面積拡大は容易となった。
 生産物の販売では、バイヤーを通じて顧客の声を聞き、消費者が求める品種の作付け、エコ農業に取り組むなど米づくりに反映させている。
 最近では販売管理にも関わるようになり、顧客やバイヤーとの会話などを通じて今後の和多農産の方針を示唆する情報を収集することに努めている。
 「和多農産のお米は美味しい」と言われることが一番うれしく、これからも米作りを続けていこうという気持ちになる。

将来はこんな農業をめざします!

 安全で美味しい米を提供、地域の宝(農地)を守る。

今後就農をめざす人へ

 いきなり自営に挑戦するよりもしっかりした法人で技術や経営を学んでから自立したほうがいいと思う。その中で2~3年かけて作業を進めながら技術を習得してほしい。
 また初心を忘れず、目先のお金や些細なことにとらわれず農業で生きてゆくといく夢を持ち続けることも大事だと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 和多君は、両親が大規模稲作経営者で、親の姿を見て育ち、早くから農業で生きていく決意を固めていたという話を聞き、大変頼もしく感じました。
 また、見上げるような大男でありながら優しい気持ちの持ち主で、大地を愛し、地域を愛し、農業に夢を託している好青年でありました。
 地域農業のリーダーとして一万石の経営目指して頑張れ!

中山農林総合事務所長

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試行錯誤の毎日、目指すはプロトマト農家(阿戸 大幸)

阿戸大幸写真

阿戸 大幸(あど ひろゆき)

Profile

石川県小松市今江町生まれ
松任農業高校(現翠星高校)を経て、石川県農業短期大学を卒業
卒業と同時に和歌山県の農家でトマトの養液栽培の研修の後、就農し、実家でトマト栽培に従事
平成19年から小松能美地区農業青年グループ副会長

経営概要  ハウス7棟(20a)で約3,000本のトマトを栽培

就農のきっかけから就農まで

 実家が葉タバコ農家であったことから、小学生の頃から農業を手伝い、農業に親しみを感じ、農業高校を志望した時点でほぼ農業をやろうと決心した。
 学校時代で学んだことは余りにもアカデミックで、実務を学ばなければ農業は出来ないと思い、農林総合事務所と高校の恩師に相談し、和歌山県のトマト農家で半年間の実務研修を受けた。
 トマト栽培をやろうと思ったのは、当時、今江で籾殻を使用した水耕栽培の試作が始まり、自分もやってみたいと思っていたからだった。
 研修を終え自宅に戻ると、親がハウス用地を準備してくれた。資金は新規就農者の補助制度を利用したが、経費節減のため自力でハウスを組み立てた。しかし、建て方がわからなかったので、親に教えてもらいながら苦労してなんとか5棟のハウスを建てて1月の播種に間に合わせたものの、水耕栽培装置の操作や気象災害対策等わからないことが多すぎて、不安の中でのスタートだった。

就農してから現在まで

 水耕栽培に関する十分な知識を持ち合わせていない中でのスタートだったため、最初の頃はわからないことがあると農林総合事務所や近所の農家に教えを請う一方、先輩農家のやっていることをじっと見ていたことを思い出す。
 栽培規模は最初1,700本からスタートし、3年目で3,800本、4年目で4,200本と増やしてきたが、毎年必ずトラブルに見舞われた。
 その度問題を1つ1つ解決し、「今度こそは納得のいく栽培をやろう」との思いの繰り返しで今日まで続けてきた。この間、多くの方々から支援を頂き、大変感謝している。まだ自分の中では満足いく栽培ができていないが、良いトマトの割合は増えてきていると思う。自分が育てたトマトを見ていると楽しい気分になります。
 今年は祖父が高齢になり労力が不足するため、ハウスを1箇所にまとめ作業の効率化に取り組み、収益の向上を目指したい。

将来はこんな農業をめざします!

年間を通じてパーフェクトな栽培技術を身につけ、規模拡大を目指したい。

今後就農をめざす人へ

 農業は、栽培技術は基より、施設や機械の補修、配管や電気設備の知識等、様々な知識が必要だと思う。
 単に「農業をやってみたい」というあこがれでやれるものではないので、就農前に実際の農家に研修を受けることを勧めたい。
 また頼れる相談相手や仲間を作ることも大切だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 阿戸君はソフトな語り口のとても優しい好青年でありました。
 トマトの水耕栽培の研修を受けての就農であったが、実際やってみるとあらゆる知識の不足を感じ、毎日が試行錯誤の連続で大変な苦労を経験してきたとのことでありました。
 とは言え、非常に研究熱心で、今ではトマト栽培に対する確固たる自信も垣間見ることができました。
 当面はトマトにこだわって規模拡大をやりたいとのこと。夢実現に向かって頑張れ!!!

中山農林総合事務所長

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これからも生まれ育った地元で農業を頑張りたい(東出 秀昭)

東出秀昭写真

東出 秀昭(ひがしで ひであき)

Profile

石川県加賀市生まれ
地元の実業高校卒業後、農業者大学校で農業技術を学ぶ。卒業と同時に就農し、両親の農業経営に参画
営農作物は、水稲、大豆、ブロッコリーの複合経営を行っている
現在は地元中代集落の担い手として、また、JA加賀無人ヘリ防除班の隊長として奮闘中

経営概要  水稲13ha、大豆10ha、ブロッコリー2.4ha

就農のきっかけから就農まで

 東出家は、自作農地8haを有する水稲の専業農家であったことから、折に触れ農家の長男として心構えを聞かされており、農業をやることに抵抗感はなかった。
 中学・高校時代は、テニスやバドミントンに熱中し、農業をほとんど手伝わなかったが、何気なく行こうと思っていた大学受験に失敗し、家業の農業を強く意識した。
 そんな折、農林事務所に、農業をやるための技術習得の相談をしたところ、農業者大学校を薦められ、大学入学の条件であった就農経験のため、愛知県のトマト農家や富山県等で1年間農業の実習をした。
 農業者大学校では3年間農業経営や農業技術・知識を学んだが、実務研修と仲間作りが出来たことが非常に良かったと思っている。
 卒業と同時に帰省し、当時規模拡大を計画していた父と共に農業に従事することになった。
 就農に際しては、すでに父母が作業場や一通りの農機具を確保していたことから、資金の準備等の心配もなくスムーズに就農できた。

就農してから現在まで

 実際に就農してみると、基幹品目である水稲のことでさえも、わからないことや、知らないことだらけであった。就農してからごく最近まで、栽培技術については、父や仲間に全面的におんぶにだっこの状態であった。最近になって少し自信を持つことが出来るようになり、水稲、大豆、ブロッコリーを栽培しているが、責任を持って管理している。
 平成12年頃に、JA加賀の営農指導員から無人ヘリコプターのオペレーターにならないかとの誘いを受け、免許を取得した。
 平成17年には、全国無人ヘリコプター飛行技術競技大会で準優勝の栄誉に輝いた。
 東出家では、平成12年に加賀市で最も早く家族経営協定を締結し、給料や就業等の取り決めを行うなど、近代的な農業経営に取り組んだ。
 現在の農業を取り巻く環境からして、積極的に規模拡大をしようとは思わないが、集落の状況を見ると、ここ数年で離農する農家が予想されるので、今まで通り農地の保全をしていけるのか心配している。

将来はこんな農業をめざします!

 仲間と共に加賀市の農地を守り、農業を発展させたい。

今後就農をめざす人へ

 目標を持って、やるしかない。
 10年近く農業をやってきたが、満足のいく農業をやってきたとはいえない。来年こそはという気持ちの繰り返しできた。
 農業は人に使われない仕事である。自分の才知・努力が成果としてすぐ現れる。その意味で非常にやりがいのある仕事といえる。

農林総合事務所所長よりひとこと

 初めての出会いのせいか、東出君は、少し寡黙な青年であったが、話の端節から農業に対する並々ならぬ情熱を感じた。
 無人ヘリコプターの操縦技術は全国2位の実力の持ち主で機械には大変なセンスを持っている。これからの機械化農業に対し大きな武器となると思う。
 地域の中心的な担い手として今後の活躍を期待したい。

中山農林総合事務所長

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これからも生まれ育った地元で農業を頑張りたい(土山 恭弘) 

土山恭弘写真

土山 恭弘 (つちやま やすひろ)

Profile

石川県加賀市生まれ
地元の高校卒業後、県外大学の農学部で施設園芸を学ぶ。卒業後、就農し、両親の農業経営に参画
営農作物はぶどうで、小粒品種のデラウエアと大粒品種のぶどうを栽培するほか、学生時代に学んだ花き栽培技術を生かして、直売所周囲の敷地に季節の花を植えるなど環境整備につとめ、お客の目を楽しませている
これまで若手農業者グループの会長を務めるなど、若手農業者のホープとして活躍中

経営概要  ぶどう栽培2.2ha(うちデラウエア1.0ha、大粒種1.2ha)

就農のきっかけから就農まで

 実家は、ぶどうの専業農家で、小さい頃からぶどう栽培に接してきたことから、特に親から言われた訳でもなく、自分が家業のぶどう経営を継ぐことに抵抗感はなかった。
 大学卒業と同時に家業のブドウ栽培を継いだが、実際に家業を継ぐに当たっては、それほど極端な不安もなく、どちらかというと「何とかなるだろう」と楽観的に考えていて、「やってやるぞ!」と言う前向きな気持ちの方が強かったと思う。大学で学んだ理論は就農当初は畑での実践と結びつかなかったが、今から振り返ればものの考え方、データの意味、活用の仕方等で役立っているように思う。また、研究室の恩師の「超合理的な思考」に影響を受け、無駄なことは極力省いた合理的な考え方は、現在の農業経営や普段の生活などに生かされている。
 中学・高校時代からバレーボールに取り組み、現在も地域の仲間とともに愉しみながら汗を流すなど、バレーボールを通じて「人との交流」や「人との接し方」などを自然に身につけ、それが直売所を訪れるお客との交流に生かされている。
 就農に際しては、家業のぶどう経営を手伝うことからスタートしたので、スムーズに就農できた。

就農してから現在まで

 実際に就農して間もない頃は、思考錯誤の状態が続き、その都度ぶどう栽培の先輩である両親や地元農林事務所、農業総合研究センターなどから手ほどきを受けた。
 ただし、教わった技術を鵜呑みにするのでなく、それぞれの方法を自分なりに試しながら、技術の蓄積に努めてきた。
 技術不足からの将来の不安というものは、既に両親がある程度の基盤を作り上げていたせいか不思議と感じなかった。
 毎年、何か新しいことをやろうと思っており、付加価値向上のブドウ作りとして、減農薬による栽培を試みたが、畑1枚をだめにした苦い思い出もある。
 最近では、直売やブドウもぎ取りで来訪してくれるお客さんが多くなってきているので、バーベキューハウスやログハウス調の休憩所を設置したり、訪れた方が五感を通じて楽しんでもらうことが出来るように、ひまわりの迷路やクリムソンクローバーなどの季節の花を植えるなど、「土山ぶどう園らしさ」の雰囲気が出るように環境整備にも力を入れている
 十数年ブドウ作りをやってきて、最近ぶどう園全体の経営をまかさられるようになり、やっと一人前のブドウ農家に近づいて来たかなと思っている。

将来はこんな農業をめざします!

 訪れた人が「見て・触れて・味わって」五感全てで楽しめる空間を創るぞ!

今後就農をめざす人へ

 農業は基本的にはつらい仕事であるが、常に目標を持って、喜びを見つけながらそれを力として前進して欲しい。そうすれば、いつの日か「農業の喜び」を感じることができると思う。
 そのためには、まず地道な単純作業を苦にせず、コツコツと努力を重ねることが大事。
 農業は努力すれば、努力しただけの見返りがある職業。自分自身も確固とした自信はまだ持つまでに至っていないが、今では「やりがいのある仕事」だと感じている。
 何か知りたいことがあれば、知っている範囲で協力させてもらうので遠慮なくお出でください。

農林総合事務所所長よりひとこと

 土山君は、とても理知的な好青年でした。語ってくれた内容は、理論的でありながら、自分の言葉で自信が満ちあふれているように感じました。
 なによりも家族を愛し、子供に自分の働く姿を見せることが出来る今の仕事に誇りを持っている様子が伺えました。
 豊町のブドウ農家をリードしていく人材の一人として、今後の活躍を期待したい。

中山農林総合事務所長

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趣味との両立を果たし、地域に貢献できる農業を目指す!!(北次 聖)

北次聖写真

北次 聖 (きたじ さとし)

Profile

石川県川北町朝日生まれ
地元の高校卒業後、東京農業大学環境食料経済学科で農業経済を学ぶ
卒業と同時に実家の(有)北次農産に就職
平成15年に無人ヘリコプターの免許取得
平成17年 小松能美地区農業青年グループに参画

経営概要  水稲:37ha 大麦:12ha 大豆:9ha 社員:4名

就農のきっかけから就農まで

 高校時代は野球に熱中し、大学でも野球をやりたいと考えていた。大学へ行くに当たり、県内の農業関係の大学へ行くことも視野にあったが、たまたま東京農業大学の野球部の監督と話す機会があり、進学を決意。農業関係の大学に進学したことが農業をやる最初のきっかけかな。
 大学では、好きな野球を一所懸命やった。その分、学業の方は自慢できないな。
 大学卒業時点では、将来の自分の適正な仕事は何であるか確固たるものはなかったが、父母からの勧めと大学へ行かせてもらった恩義から、田舎に帰って農業をやることにした。
 就農当時、集落周辺では水田耕作を止める農家が増えつつあり、父のところへ耕作依頼が来ており、規模拡大のため人手が足りない状況であった。
 新規就農者とは言え、自分は北次農産の社員という形での就農であったので資金面の苦労や、技術面での不安もなく、普通の若者が会社に就職するような感じだった。

就農してから現在まで

 就農に当たり、卒業と同時に大型と大型特殊免許を取得した。大学を出たとはいえ、水田耕作や農業機械に関する知識は皆無であり、とにかく父の指示どおりに作業をするだけであった。毎日同じ作業を繰り返すことに嫌気がさすこともあったが、最近やっと農業や農業経営の難しさ、楽しさが分かってきつつある。農業の楽しさとは自由さとやり方によっては儲かるということである。
 一緒に活動している農業青年グループの仲間たちは一生懸命農業に取り組んでおり、彼らから大きな刺激を受けている。大学時代の経験や仲間を通して、これからの農業は、経営に関する知識が重要であると痛感している。
 就農5年を経過したが、まだまだ知識不足で日々勉強の毎日である。今年は、(有)北次農場も参加している農産物検査グループからの依頼で米検査員の資格取得を目指し現在、勉強中である。視野を広げることと地域産業の発展のために、地域商工会等異業種との交流を積極的に参加していこうと思っている。

将来はこんな農業をめざします!

 年水田農業の集約、作業の効率性を追求し、頼まれた農地はできるだけ守りたい! 農業だけでなく、地域の発展にも貢献します。

今後就農をめざす人へ

 農業に参入してくる人は、何を目標にするかによって違うと思う。
 自営を目指すのか、農業の会社に入るのか。
 農業は甘くはないが、好きで農業をやるのならば楽しくやってほしい。どうすれば楽しく働けるのかを考えたらよい。
 周りに迷惑をかけないように配慮し、信頼を得ることが大切だと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 北次君は、非常にシャイで控えめな青年でありました。多分、幼少の頃から何不足なく大事に大事に育てられた環境が彼の性格を形成しているのではと感じました。
 働き者の父と共に水稲の専業農家として頑張っている様子を聞き、更なる栽培技術の向上や経営を学んで、これからも地域の中心人物として活躍をしてもらいたいと思います。

中山農林総合事務所長

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就農前の経験を生かした農業経営を実践(新田 武志)

新田武志写真

新田 武志 (にった たけし)

Profile

石川県小松市浮柳町生まれ
日本大学生産工学部卒業後、アムズ(株)に就職
平成11年に結婚を機に退職し、就農。同年に小松能美地区農業青年グループに加入。同グループ会長、石川県農業青年グループ連絡協議会会長を歴任
平成15年に経営移譲を受け、農業経営の主体的役割を担う

経営概要  水稲5ha、ねぎ0.5ha、すぐり菜0.5ha

就農のきっかけから就農まで

 親が専業農家で、小さい頃から働いている姿を見ていた。大学卒業後、他の業界を見たいと思い、水道の設備会社に就職し、設備の施工管理を担当していた。当初働きながら農業をするつもりでいたが、親の姿を見ているとそれでは出来ないと思っていた。
 その頃結婚の話も進んでいたこともあったので、結婚を期に会社を辞め就農した。
 平成12年に「アグリ塾」専門コース(野菜)、翌年には同専門コース(水稲)を受講。そこで水稲や長ねぎ等の栽培管理の基礎を学んだほか、受講していた農業青年とのつながりを持つことが出来た。その中には小松能美の農業青年の人がおり、農業に対する思いを語り合った。
 就農と同時に小松能美地区農業青年グループに加入し、その活動の中で、他のメンバーの頑張っている姿に刺激を受け、自分もメンバーに負けないように頑張ろうと思った。

就農してから現在まで

 最初は親父から栽培管理を教えてもらいながらの状態で、それでもわからないことがあれば、近所の農家に聞いたりしながら栽培管理を学んだ。その中で失敗することもあったが、日誌に付けて、翌年の反省点として次に生かすようにした。
 親父に経営移譲を受けたが、かつてしていた施工管理の経験を生かして、作業の段取りや経営管理を効率的に行うように努めている。
 また、作業の段取りで親父と意見が合わないときもあるが、最近は一応言うこと言ってから自分が一歩引くようになった。
 冬場は小松基地の雪かきのバイトをしており、そこで近くの農家と会うことがあるので、その場で情報交換を行ったりしている。
 今は農業をすることが面白いと感じている。畑に長くいることが多くなり、農家は畑におってナンボのものと思うようになった。
 今の仕事にやりがいを感じている。

将来はこんな農業をめざします!

 安心・安全な農産物を作りたい。

今後就農をめざす人へ

 野菜との複合経営や自分の経験から農業は1人では出来ない(労働力として)と思う。
 また経営を始める場合は、農地を借りて、機械は中古のものを購入したほうがいいと思う。
 農業は自分の意志で経営が出来ることが魅力。それなりに自由が利くこともある。
 また日誌を付けることも大事だと思う。失敗したことや来年すべきことを書いておくと役立つと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 新田君は、温厚で研究熱心な好青年でした。
 毎日の作業を必ず日誌に書き留め、来年の参考にするとのことです。
 農業からの収入は、サラリーマンに比べ必ずしも多くないが、自分の考えを実行でき、それが成果となって出てくる農業に、今は楽しくてしょうがないと語ってくれた時の表情は、本当に明るく頼もしく感じました。
 家族仲睦まじく、これからも地域農業の担い手として頑張ってほしいと思います。

中山農林総合事務所長

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養鶏業と「さくらたまごとお菓子の店」を経営する青年(平岡 宏康)

平岡宏康の写真

平岡 宏康 (ひらおか ひろやす)

Profile

石川県加賀市分校町生まれ
小松明峰高校卒業後、石川県立農業短期大学で生態学を専攻。卒業後、建設コンサルタント会社で環境アセスメント業務に従事
その後、父母の経営する養鶏業に就農
平成12年 調理師学校に入学し、夕方から金沢市内のレストランで料理の修業
平成18年 「さくらたまごとお菓子の店Cocotte」(ココット)を開店

経営概要  採卵鶏9,000羽

就農のきっかけから就農まで

 平岡養鶏場は、祖父が水田農業の傍ら100羽の鶏を飼い始めたことから始まった。父がこれを継承し、就農時は9,000羽までに規模を拡大した。この間多額の設備投資も行っており、子供心にここまで大きくした養鶏場を潰すのはもったいないと感じていた。
 父母は跡を継げとは一言も言わなかったが、幼稚園の作文に、将来は「たまご屋」になると書いているところをみると、親戚を始めとする周りからは宏康が養鶏業を引き継ぐのだよと刷り込まれていたように思う。
 また、自分は生き物が好きなので、養鶏をやることには何ら抵抗感がなかったし、早く自立したいとの思いもあった。消防士や作業療法士も良いのではないかとの思いも一方にはあったが、高校卒業時に農業短大を選択した時点で養鶏を継ごうと決意した。
 就農に当たっては既に経営基盤が確立していたので資金の工面や技術に関する不安はなかった。
農業短大では、養鶏に関する勉強をやりたいと思ったが、関係する講座がなかったことは残念であった。

就農してから現在まで

 最初の頃は、訳もわからず父母の指示のもとに作業を行っていたが、新たに自分が参入したからには、何かをやらねば発展がないとの思いがあった。
 規模拡大も話し合ったが、土地の確保が難しく、別の道を模索していたとき、ヒナを購入する業者主催の研修に参加した。その研修での知識を生かして、卵に付加価値をつける道を探ることにした。10年ほど前から導入している卵の自動販売機による直売が好調なことから、直売所を作ることを決め、卵を使った菓子類も販売することを計画した。
 このため、調理師免許を取り、「さくらたまごとお菓子の店(ココット)」をオープンした。養鶏の世話をしながら妻と二人でやっている。製菓材料が高くなり経営的にはかなり厳しいが、お客様との対話が励みとなり直売はおもしろいと感じている。売り上げは少しずつ伸びており、将来は店を大きくしたいと思っている。トウモロコシの高騰等えさ代が高くなっているので、えさ米栽培や平飼いにも挑戦し、今以上に安全で美味しい卵の提供に取り組みたいと考えている。

将来はこんな農業をめざします!

 新鮮なタマゴと美味しいスイーツの提供を通じて、みんながハッピーになれるよう頑張りたい。

今後就農をめざす人へ

 全ての仕事に通ずることと思うが父からは、第一次産業は「我がのことは我がで」と教えられた。この意味するところは、自分で努力すればそれに応じた成果が我が身に返るが、努力しなければそれだけのものと理解している。
 停滞は後退である。日々向上する意志を持つことが大切だと思う。養鶏業は今では機械化が進んでおり、肉体的にはきつくなく、生き物が好きであれば子供と接しながら生活できるやりがいのある仕事と思っている。

農林総合事務所所長よりひとこと

 平岡君は、スレンダーで、つやのある声の心優しい青年でありました。調理師免許を取るときには、ほぼ一年間料理の勉強と技術の修行で休みなしで頑張ったとのことです。
 大変な努力家でもあり、将来は店を大きくし新しい飼育方法にも取り組みたいという夢を持っておりますが、夢が実現するようエールを送りたい、頑張ってください。

中山農林総合事務所長

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産地の仲間と共に全国レベルのナシ作りを目指す!(加納 稔久)

加納稔久写真

加納 稔久 (かのう としひさ)

Profile

石川県加賀市生まれ
石川県立加賀高校卒業後、地元JAに勤務した後、就農し、両親の農業経営に参画
平成10年 アグリ塾で果樹専門コースを受講
平成14年 江沼加賀農業青年グループ会長
平成16年からJA加賀小塩辻梨生産組合副組合長兼防除班長

経営概要  ナシ専作農家 なし栽培面積140a
        栽培品種 「新水」10a、「幸水」65a、「豊水」30a、「二十世紀」18a、その他品種17a

就農のきっかけから就農まで

 実家はナシの専業農家で、子供の時から作業の忙しい時期に両親の手伝いをしてきたが、家業のナシ栽培を継ぐつもりは全く無かった。今でこそ、農業に対して誇りとやりがいを感じているが、当時は、先生から両親の職業を聞かれた時に、「農業」と答えるのが何となく恥ずかしく、サラリーマンや商売をしている方がかっこいいと思っていた。
 高校を卒業して、地元JAに就職し農家とのお付き合いが始まり、昼夜をたがわず農家のお手伝いをやってきた。JAでの仕事は非常に忙しかったが、一面、客観的に農家の実態も見れたことは良かったと思っている。
 多忙な業務を過ごすうちに、仕事とは言え、よその家の作業を手伝って、実家のナシの作業を全く手伝わないことに疑問を感じ始め、家業を手伝った方が良いのではないかと思うようになった。
 そんな思いを感じていた頃に、近所のナシ農家から実家のなし栽培を継ぐことを強く勧められ、両親に相談をした。父は安定した収入が得られる現在のJAの仕事を続けることを希望したが、母は、家業を継いでくれることを喜んでくれた。JAを退職して家業を継ぐことを決意した。
 就農する際には、子供の時からナシ作業の手伝いをしていたことや、両親が既にナシ経営の基盤を築いてくれていたこともあって、就農に対する不安感は特に無かった。

就農してから現在まで

 実際に就農して間もない頃は、栽培技術がほとんど無いに等しく、近くの篤農家の圃場に通っては、細かい栽培のテクニックをマンツーマンで習った。それと同時に、就農準備校アグリ塾の短期コースに通いながら、地元農林事務所、農業総合研究センターなどで栽培講習会を受講するなどして知識や技術の向上を図った。
 また、篤農家などから参考となる本を借りては、役に立つと感じた本を購入して栽培技術の基本を勉強した。
 就農して間もない自分にとって、特に恵まれていたことは、いつも近い所にナシの篤農家がいて分からないことをいつでも直接聞くことができる環境にあったことであり、お世話になった篤農家とは、今でも圃場を行き来して、お互いに交流を続けている。
 更に、若手部会員を中心に構成する「なし研究会」に所属し、毎年、ナシ栽培の先進県である関東近辺の篤農家を招いて、最新の剪定技術を学んでいる。
 この講習会を自分の園地で行い、いつでも最新の剪定方法を見ることが出来たことは大変役に立ったと思う。
 とは言え、まだまだ技術の未熟な部分があるので、最先端を行く篤農家の技術を習得し高品質な梨作りを目指している。就農して5年目頃には、栽培技術が向上し、目標の生産量を出荷できるまでになった。と同時に、両親から経営委譲を受けて、確定申告を自分で行うようになり、やっと一人前のナシ農家として自立してやって行ける自信がついたように感じている。

将来はこんな農業をめざします!

 全国ナシ研究大会で通用する「全国トップレベルのナシづくり」を目指すぞ!

今後就農をめざす人へ

 新規就農するにあたって、「夢」と「あこがれ」を持つことはとても大事なことだと思う。
 だけど、農業は会社組織と違うのだから、「夢」と「あこがれ」だけで農業の世界に飛び込んできても、やがて「現実」という壁にぶつかることだろう。
 失敗しない為には、まずはじっくりと自分の目で現場を見て歩くのが一番良いと思う。
 先進地を見て歩くのもいいし、農家と一緒に収穫作業を手伝うのもいいだろう。受粉作業や選果場でのアルバイトもいいだろう。そうすれば、やがて本当の実情が見えてきて、就農するのに本当に必要なことが見えてくるだろう。

農林総合事務所所長よりひとこと

 加納さんは、手入れの行き届いた口ひげとあごひげを身につけたダンディな農業青年でした。
 インタビューの中では、梨作りにかける情熱がほとばしり、非常に頼もしく感じました。飽くなき向上心を持ち、自分の梨園を全国の仲間に見せても恥ずかしくないものにしたいという思いを語ってくれました。小塩辻の梨生産者のリーダーとして頑張って産地の発展に活躍されることを期待したい。

中山農林総合事務所長

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トマトとキュウリの施設園芸に頑張る農業青年(本田 雅弘)

本田雅弘写真

本田 雅弘 (ほんだ まさひろ)

Profile

石川県小松市生まれ。東京農業大学農学部農業経済学科卒
千葉県の(農)和郷園に就職
その後、地元小松市で就農 施設園芸に着手
平成19年 こだわりトマト研究会会長
平成20年 JA小松市春キュウリ部会長。JA小松市青壮年部国府支部支部長

経営概要 ハウス栽培49a
内訳 トマト 春10a 夏秋20a
    フルーツトマト 春10a 夏秋10a
    キュウリ 春10a
    ホウレンソウ ほか

就農のきっかけから就農まで

 東京農大に進学した時点では、農業をやるという確固たる気持ちはなかった。就職活動のときにファーマーズフェアに参加したところ千葉県の農事組合法人和郷園を知り、アルバイトをした。そこでの経験が農業をやってみたいという気持ちにさせたと思う。
 小さい頃から農業という職業には抵抗感はなかったし、食に関する職に就きたいとの思いもあった。和郷園では施設栽培を担当し、昼はキュウリやレタス等の管理、夜は法人に参加している農家を訪ねて栽培技術を学んだ。
 今思うとすごく充実した生活を送っていたが、就職して3年目に腰を痛めて長期休業せざるをえなくなり、今後の進路について悩んだ。和郷園の仲間や両親に相談をした結果、田舎に帰りハウス栽培をやろうと思ったがどうしてよいか分からなかった。
 静養をかねて帰省した折にJA小松市へ飛び込み相談したところ、いきなり施設は建てずに、向本折町に空いているハウスがあるから、そこでトマト栽培をやってみればどうかとのアドバイスを受け、念願であった施設栽培をやれることになった。

就農してから現在まで

 向本折町で6棟のハウスを借り、自らの考えで施設栽培ができることになり本当にうれしかったが、実際に作付けしてみると技術の未熟さゆえに大変だった。
 就農して最初の年には、冬場に千葉のトマト農家に泊まり込みで出向き、トマト栽培を教えてもらった。その後も、いろんな問題にぶつかる度、和郷園の農家に電話やメールで相談をしたり、地元のハウス農家を訪ねたりして肥培管理や水管理を教えてもらっている。
 栽培技術に自信が付いた訳ではなかったが、どうしても自分のハウスを持ちたくて、就農3年目に資金がないにもかかわらずハウス建設に着手した。経費を節約するために自分でハウスを組み立てたこともあり、完成したハウスを見たときには無茶苦茶うれしかった。今は建設費の返済で苦労を味わっているが、これをバネに頑張ろうと思っている。
 農業をやろうと決意したときから根拠のない自信はあったが、これまでやってこれたのは、周りに良き指導者がいて支援してくれたおかげであり、感謝の気持ちでいっぱいである。

将来はこんな農業をめざします!

 高品質な野菜を作れる技術を身につけ、「本田ブランド」で勝負できる農業をやりたい。

今後就農をめざす人へ

 農業はやる前と実際にやってみた後では全く違う感じを受けると思う。やってみて初めてわかることが多くある。
 資金面や技術の有無から、就農の壁は厚いと思うが、自分で作った作物をお金に換えることがどれだけ大変か経験した上で就農することを勧める。 
 時にはつらいと感じることもあると思うが、技術に対する自信と経営のノウハウがあればうまくいくと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 本田君は、その人柄を表すような優しい声のハンサムな農業青年でした。
 大学卒業と同時に農業を目指し、夢の実現に向けて一歩一歩、確実に歩み出しているようです。ハウスでとってくれたフルーツトマトはとても甘く、技術の確かさも感じられました。
 目標とする「本田ブランド」の確立も近いように思います。

中山農林総合事務所長

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水稲とエノキタケの複合経営で頑張る農業青年(田淵 智文)

田淵智文写真

田淵 智文 (たぶち ともふみ)

Profile

石川県小松市串町生まれ。小松高校から富山大学工学部化学生物工学科卒
大学卒業後、民間企業勤務を経て、実家で就農
就農準備校「アグリ塾」基礎コース受講
平成17~18年 農業青年グループ会長
平成20年 JA小松水稲部会監事
平成20年 JA小松無人ヘリ防除安全運営協。議会(スカイパラダイス)副会長

経営概要
 水稲7ha
 エノキ栽培40,000本
 レンコン1.3ha
 野菜(ナス、大豆、ササゲ等)10a

就農のきっかけから就農まで

 農家の長男という立場から、家業を継がなければならないと言う思いは子供の頃から持っていた。大学に進学するに当たっては、いずれは農業をやるにしても即就農するのではなく、農業と違う世界を見てから農業をやろうと思っていた。学費のことを考えると国公立を選択せざるを得ず富山大学を選択した。大学では、遺伝子工学に興味を持っていたので、化学生物工学科を選択し、キノコの事などを学んだ。大学では、将来一緒に農業をやってくれる伴侶を見つけたことは、今日の自分があると思っている。
 卒業後、石川県の民間企業に就職し環境部門の業務に従事したが、父の体調が悪化し、大変そうなので支援を必要としていたことと、大学で将来を約束した妻との結婚が決まったのを機に就農を決意した。
 農業に関する知識は皆無であったが、両親が既に水稲とエノキタケの栽培をやっていたので、両親に教われば何とかなると思っていたので、就農のための準備とかは一切することはなかった。

就農してから現在まで

 就農したが、農業の農の字も知らないことから、朝から晩まで父と行動を共にし、農業に関する知識を学ぶことにした。しかしながら農業の専門用語や作業順序などがわからず、これではいけないと思い、農業の基礎を学ぶ必要性を痛感し、県の主催するアグリ塾で基礎を勉強することにした。アグリ塾では、野菜と水稲のコースを受講し、基本的なことを学ぶと共に農業仲間が出来たことは良かったと思っている。
 その後も父とは色んな議論をしながら、一緒になってやってきた。しかし、父の知識は経験に基づいた信念に近く、自分の意見が通ることがなく歯がゆい思いもした。近年は、ある程度の技量を認めてくれたのか、徐々に口出しをすることが少なくなり、任せてくれるようになった。
 今は将来の自分の農業をどう持って行くべきか模索しているが、農業所得は年々減少していくという厳しい現実がある。規模を拡大するにしてもどのようにして土地を集積するか難しいし、それにもまして、これからの農業は経営センスが絶対に必要と思う。

将来はこんな農業をめざします!

 徹底した省力化と規模拡大を図り、生産性の高い農業経営を確立する。

今後就農をめざす人へ

 ゼロから農業をやるということは大変である。くじけないやる気と資本そして経営感覚が必要である。農業で飯を食うというのは趣味の農業とは訳が違う。ましてや、家族を持つと責任は大きい。
 どうしてもやるというならば、逆境にもめげずに根気強く、計算高く農業に従事して欲しい。農地をあまり要しない付加価値の高いものを作るか作り手のいない地域で取り組むのも一つの方法であると思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 田淵さんは、長身で両親思いの優しい農業青年でした。早くから農業をやる宿命にあると言うことを自覚し、父から技術を踏襲するため、日夜父と行動を共にし、今ではりっぱな農業経営者に成長されているとお見受けしました。将来は、もっと規模を拡大したいとの思いも聞き、夢が実現することを祈っています。

中山農林総合事務所長

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「自給自足の生活に憧れて」・・・新たなスタート!(西田 吉造)

西田吉造写真

西田 吉造 (にした よしぞう)

Profile

石川県珠洲市生まれ、白山市在住
ホンダディーラーを早期退社し、アグリ塾休日コースを受講
白山市で農地を借り、就農。新たに営農をスタート
20aの畑のうち、14aで白山市ではめずらしいアスパラガス栽培を行っている。施設野菜(1.5a)と露地野菜(4.5a)を年間20種類以上栽培し、地元の直売所「まいどさん市場」で「西パラ畑」という名前で販売

就農のきっかけから就農まで

 子供の頃から家庭菜園の手伝いをして、農業に興味がなかったわけではないのですが、職場での自分の将来が見える様になってきて、雑誌やテレビ番組で、タレントさんや作家さんが農業をやりながら悠々自適の生活をされている姿に憧れを覚える様になってきたのがきっかけだと思います。
 そうなってくると、自分でも情報収集をするようになって石川県のホームページからアグリ塾を知ることができたんです。そして、この塾は「本当の農業を学べる所」ということが分かり、覚悟を決めるため、仕事を辞めて受講しました。
 アグリ塾を卒業した後は、農林総合事務所の方が私の話を真剣に聞いてくれ「あぁ、本当に就農するんだなぁ」という実感が沸いてきました。就農にあたって苦労したのは農地の確保で、年内には堆肥を入れたかったので、色んな所へ出向いては情報を集めました。最終的にいい所を農協さんに紹介してもらえたと喜んでいます。
 最後に、成人した娘が「1人の人間としてお父さん自身が納得できる生き方をすればいい」と賛成してくれたことが、私の就農活動を支えてくれたのだと思います!

就農してから現在まで

 就農してからの野菜づくりは、経験則ではなく、アグリ塾で教わった、植物が育つ環境づくりが活きていると思います。それでも色んな失敗を繰り返しましたよ。形は綺麗なメロンだけど、味がしなかったり、人参やごぼうをとり遅れで破裂させたり。あと、とうもろこしやキャベツなんかは虫にやられました。モンシロチョウがあれほど憎く感じたことはなかったですね。病害虫とか、困った時の相談窓口としては、農林総合事務所を利用させてもらっています。
 それから、私の様な定年組にとって、直売所の存在は大きかったですね。規格もなく、少量でも出荷できて、量や値段も自分で決められますし。自分のつくった野菜を買ってもらえるのは嬉しかったですよ。多少は別にして現金収入が見込めるのは、農業を続けていく上で重要だと思っています。
 最近は、アスパラガスの株が大きくなってきたので「散髪屋さん」にいそしんでいますが、私の様な年金+αの農家が増えれば、都会に出た子供や孫らに野菜を仕送りしたりもするでしょうし、スーパーで野菜が作られているなんて言う子供が少なくなるかもしれませんね。

将来はこんな農業をめざします!

 昔の農業を科学的に理解して、資源が循環できる農業をめざす。
 土の中から生命を頂いていることを子や孫らに伝えたい。

今後就農をめざす人へ

 農最近の若い人は、マスコミや雑誌の影響で、有機や無農薬栽培を目指す人が多い様ですが、専業農家並の栽培技術を身につけてからチャレンジすれば良いと思います。
 また、定年組の皆さんには農業だけでなく、クリエイティブな趣味を持つ事をお奨めしますよ。
 ちなみに私は水墨画を楽しんでいます!

農林総合事務所所長よりひとこと

 1級自動車整備士という技術者らしく中々の理論派。車という無機質な相手から気まぐれな自然の中での有機質な相手への転換は、苦労も多いが思いどおり収穫された時の喜びは格別のことと思います。とびっきりの笑顔が全てを物語っています。西田さんのパラダイスでつくるアスパラが「まいどさん市場」のトップブランドになるよう、事務所も精一杯応援します。

中川農林総合事務所長

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農業に新風を巻き起こす人★見参!!(古賀 勝)

古賀勝写真

古賀 勝 (こが まさる)

Profile

佐賀県久保田町生まれ。佐賀県立東高等学校を卒業
渡米し、マネーマーケットを視察
明光商品(株)〔現エイチ・エス・フューチャーズ(株)〕に入社し、株・債券・ファンド・先物etcの業務を遂行。その後、(株)名古屋証券取引所TIP(名証テクニカル・インベストメント・プランナー)に認定
平成18年 HS証券グループ会社取締役退任
〔現澤田ホールディングス(株)・エイチ・エス・フューチャーズ(株)〕
平成20年 就農

就農のきっかけから就農まで

 金融市場にて資産運用業務に携わってきました。 これから先も投資の世界で活躍するのかそれとも違う分野でチャレンジするのか人生設計をしてみました。
 亡父がよく私に語ってくれたことがあります。「農業はいいぞ」と。私の実家は米麦を中心とした専業農家でした。農業を誇りにしていた父の仕事を継ぐ決意をしたのが始まりでした。いわゆる家業を継いだことになります。
 金融業界に携わって初赴任した地が石川県であり、ずっと第二の故郷と思っていた石川県に戻り、県庁を訪ねました。県庁からアグリ塾そして21機構さらには農業法人研修と行動を起こしました。今は白山市の下吉野地区にてトレーナーのご指導の下、トマト栽培に取り組んでいます。

就農してから現在まで

 現在、トマト栽培に取り組んでいます。
 ビニールハウス12棟(20a)で5,400本作付けしています。
 労力分散のため、夏秋と抑制の作型を導入し、定植時期を4段階にずらして栽培しています。品種は新品種りんか409でチャレンジしています。
 もともと稲作に取り組みたいと考えていましたが、アグリ塾にて方向転換を図りました。石川県の農業関係者がとても真剣で、まさに私の仕事哲学に共通するものがあり、今もパッションを失っていません。しかも就農する以前に関わった関係団体、個人そしてその知り合いが今でも応援してくれています。
 このことも今の私の支えになっています。唯、個人での作業なだけに仲間とのかかわりの時間がとても少ないことにストレスを感じる時があります。

将来はこんな農業をめざします!

 5年計画を立てて行動しています。目標設定したアクションプランを考案し、実行することで達成する。
  1年目(2007) ― 農業に携わり(農作業を体験し今後を決定する判断にする)
  2年目(2008) ― 現場実践(現場に入り、地元と関わる事により農業人になる)
  3年目(2009) ― 栽培作物拡大(トマト、葉菜類、根菜類、その他)
  4年目(2010) ― 採算(バランスシート、キャッシュフロー等にて対応する)
  5年目(2011) ― 研修制度、人材育成(企業は人材なり企画あり)

今後就農をめざす人へ

 思ったことは行動してみる。それが一番大切なこと。目の前にある場面は色々と変化します。ならば、その場面を自分で作り出したほうが人生は2倍楽しめると私は考えます。
 但し、思いつきや興味半分で行動をとるものとするならば、その業種の先人に礼をなさないし、自分の為にならない事を理解しておくことである。

農林総合事務所所長よりひとこと

 投資の世界に生きてきた人らしく5年後を見据えたアクションプランをさらりと作り、ステップバイステップで課題を克服していくやり方は流石。お会いした時はトマトが病気に罹り少々意気消沈気味でしたが、エジソン曰く「失敗は成功の母」の精神と持ち前のポジティブな性格で乗り越えていくことと信じています。
 目標は古賀塾?で多くの若者が集まり農業研修をやっている姿。
 夢実現に向かってレッツ・ゴー!!

中川農林総合事務所長

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花に癒される農業もあるよ(上坂 雅衣)

上坂雅衣写真

上坂 雅衣 (かみさか まい)

Profile

石川県白山市生まれ。調理師専門学校卒業後ホテルに就職
その後、実家である宮子花園の鉢花生産直売店に就農
平成19年 結婚
平成20年 第一子出産
現在子育てしながら農業を続けている

就農のきっかけから就農まで

 父はシクラメンを中心に花を生産し出荷する農業をしており、平成6年頃から両親で花の直売を始めました。
 幼い頃から花に囲まれた敷地内で遊んでいました。
 母は以前からハーブに関心を持っており、平成9年にハーブと香りのショップ「花香房 夢見草」(はなこうぼう ゆめみそう)を開設しました。
 それをきっかけに、私もハーブに興味を持ち始め、お店の手伝いをしながらベランダで私自身もハーブを栽培していたので、育てる楽しみをこの頃知りました。
 そのうち“食”への関心が高まり京都の調理師専門学校に進学・就職もしましたが、地元が恋しくなり、実家に戻り働くことにしました。
 両親は就農にあたり、私の興味の分野や経験を考慮し、生産部門ではなく収穫された草花を使う加工品づくりをさせてくれたので、割とスムーズに「農業」という職業へ入ることが出来ました。

就農してから現在まで

 現在はハーブのショップで、ハーブを使ったクッキーやケーキを作り、花を買いにいらっしゃるお客さんに楽しんでもらえるように、喫茶コーナーと接客、アロマグッズ等雑貨の仕入れなどを担当しています。
 敷地内の花の生産や知識はまだまだ不十分で、課題はいっぱいです。
 日々の主な仕事としては、ハーブティーをオリジナルでブレンドしたり、クッキー等加工品の製造、販売などをしています。
 作業は人に指示されるのではなく、自分で探して計画し、その日やれることを自分の感性で出来ることが楽しみですが、その分責任を感じています。
 現在、灯油や資材のコストが上がり苦しい状況ですが、手をかけただけ綺麗に咲いてくれる花や、日々、お客様からの喜びの声が頂けるので、家族みんなで、各々の分担を頑張っていられます。
 今は子供と一緒に花畑を散歩したりしながら、のんびりマイペースで仕事をさせてもらっています。緑と花に囲まれて、子供も豊かで優しい子に育ってくれればいいなと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 ストレス社会に、ほのぼのと暖かみのあるお店と心癒せる花とハーブを提供したい!!

今後就農をめざす人へ

 私のように、外で土をいじらない農業への就農もあるので、視野を広げて農業を選ばれたらいいなぁと思います。
 自分だけの農業に閉じこもらず地域にある農業青年活動の方達と交流をもつことにより視野も広まります。

農林総合事務所所長よりひとこと

 取材ではハーブの効能を活かした店独自のブレンドや活用方法等、お客様からの専門的な質問に責任を持って答えようとする気構えをしっかり感じることが出来ました。
 そして、両親が担当している生産部門への参入のことやネット販売との兼ね合い等、経営全般にわたる構想もおぼろげながら語ってくれました。
 近い将来、宮子花園のセールスポイントである半年は持つシクラメン、特製の土、そしてハーブ等を武器に雅衣さんが先頭に立って切り盛りするシーンが目に浮かびます。
 ガンバレ 雅衣さん!!

中川農林総合事務所長

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農業はかっこいい職業だ!(山本 洋平)

山本洋平写真

山本 洋平 (やまもと ようへい)

Profile

石川県白山市(旧美川町)生まれ
金沢工業高等専門学校卒業後、金沢調理師専門学校で調理師免許を取得
ケーキ屋で働き、その後実家で就農
現在、家族経営で家庭菜園用の苗を15万鉢、花苗5万鉢を生産、直売
野菜は10aで、春から夏にかけて半促成トマトを、冬場は小松菜を栽培、直売

就農のきっかけから就農まで

 元々、家が農家で小さい頃から畑で遊んでましたし、多少の手伝いもしていましたから農業というものは一番身近に感じる職業でした。
 しかし、高校は農業とは反対?の電気系の高専に進み、何故か卒業後は調理師学校で料理の勉強をしました。
 ただ、農業が嫌いとか、儲からないとかで農業分野から離れたわけではなく、逆に将来は農業を継ぐだろうと何となく思っていましたが、最初から家族経営では自分に甘える気がしていたので、まず自分の思うとおりにやってみようと思い、ケーキ屋に勤めていました。しかし、祖母が亡くなり人手が足らなくなったのをキッカケに就農しました。
 これまでの自分の経歴は脈絡がなく、一見すべて無駄になっているように思われますが、自分では農業をするために必要な経験を積んだつもりでいますし、これが自分の強みでもあると思っています。

就農してから現在まで

 自分が就農した時点で、農家として十分に経営は成り立っており、野菜苗やトマトの直売を通じて消費者とも交流も出来ていました。このため、その時点で自分があれをやりたい、これをやりたいということはありませんでした。ただ、自分が就農してからは、自分なりに省力化も進めながら、直売所でのお客様とのやりとりの中で、何となく消費者ニーズをつかみ、苗の量や種類を増やしてきたという感じです。
 こういう書き方をするとやる気がないように感じるかもしれませんが、やる気は十分あります!農業が自分の天職だなと思いますし、かっこよく、やりがいのある職業だとも思っています。
 ただ、農業は休みも少ないし、重労働かもしれません。また、他の職業ほど儲からないのかもしれませんが、気持ちがすごく楽です。これが農業の良さかなって自分は思います。
 今、7年間農業に従事して思うことは、品質を上げていくのはもちろんですが、その中で省けるものは省いてラクをして、楽しんで。出来ればもうちょっと儲かりたいなって(笑) 楽しく、ラクして、儲かる農業にするために今、農業青年という団体に所属し、色々なことにチャレンジし、勉強しています。

将来はこんな農業をめざします!

 息子が、農業をかっこいい職業であると思える、そんな農業を作り上げる。

今後就農をめざす人へ

 儲からないし、大変な仕事と言われる農業ですが、実際大半はそうです。夢を持った就農は、自分も大変大事なことと思いますが、農業を始めるということは、越えないといけないハードルがたくさんありますし、始めたとしても、厳しい現状が待ち構えています。その中で生き残っていくためには、農業に独自性を持たせることが出来るか、起業家なんだという気持ちを持てるか、ではないかと思います。自分がどんな力を持っているかをしっかり考えて無理をせず、頑張ってそれを形にしていけたら、農業はすごい職業だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 今年から県農業青年グループ連絡協議会の会長さんに就き、農業を目指す後輩達を優しく?リードしていることと思いますが、中々の苦労人と見受けました。
 自分が身を以て経験し柔軟な発想で考えてきたことを元にした話しぶりは説得力十分です。
 今後とも、若い衆の頼りがいある兄貴分としていしかわの農業を牽引して頂くとともに、自分の生き様を表現できる「かっこいい農業」を実践していって欲しいと思います。

中川農林総合事務所長

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やりたい人が担える農業、そして魅力ある産業へ!(宮城 円)

宮城円写真

宮城 円(みやぎ まどか) (株)六星

Profile

京都府出身
新潟大学農学部在学中から各地の農家・農業法人を積極的に訪ね歩き卒業後、石川県白山市の(株)六星に就職という形で、新規就農
水稲・野菜栽培から餅加工、販売等の多岐にわたる仕事を経験した後、現在は野菜作り担当、直売所店長、営業部直販課担当を兼任
平成19年度より取締役に就任し、経営の一角を担い、モノづくり、組織づくりを担当

就農のきっかけから就農まで

 農業とは縁もゆかりもなかった私がなぜ農業なのか、それは人に勧められて入学した新潟大学農学部での勉強のおかげ、ではなく、学生時代にアルバイトをさせてもらった農家の方の生き方が単純にかっこいいと思ったことがきっかけで、いざ就職となったときに、「せっかく縁あって農学部に入ったのだから、何か農業に貢献できる仕事がしたい、後継者不足というなら自分が後継者の一人になってやる」という気持ちで農業を志しました。
 ただ、その頃の新規就農支援というのは、今ほどしっかりと整っていたわけではなく、農地も金も経験もない学生上がりにはやっぱり無理かと諦めかけていました。
 そんな折に第一回のニューファーマーズフェアが東京で開催され、そこで出会った農家・農業法人さんのところを訪ね歩き、語り合い、自分なりの農業観を固めて、一番自分を活かして農業に取り組める場所として、現在の(株)六星に就職しました。

就農してから現在まで

 農業法人に就職という形で就農したため、初年度は水稲栽培から野菜栽培、餅加工にデパート販売等ひと通りの仕事を経験しました。そんな中で一年目から野菜栽培を任され、有機無農薬栽培を意気込んで取り組みましたが、病害虫や生育障害等で見事に壊滅状態となりました。その反省を活かし、2年目以降は自分なりに施肥設計を行い、必要最低限の農薬使用のルールを作り、確実に品目・面積を増やして、現在では年間約30品目、延べ3haの野菜を栽培する園芸部のリーダーを担っています。
 また、入社当初から六星の立地条件のよさに目をつけて、「これからはもっと地元のお客さんを大切に育てていかなくてはならない」と訴え続け、直売所の店長を任され、大幅リニューアルを経て「5年で年間1億円売る店にする」という目標を達成しました。そして株式変更の折に取締役の一員となり、経営に携わる一方、もっとお客さんに愛される「六星」であるようにと、営業直販課のリーダーとしてお客さんとの共感と信頼の絆を築ける関係を目指した営業活動にも尽力しています。

将来はこんな農業をめざします!

 農業をやりたい人間が農業を担える環境をつくり、その人間の力で農業を活気ある魅力的な産業に変え、未来に引き継ぐ。

今後就農をめざす人へ

 「農業くらいならできる、農業でもやってみよう」そんな甘い考えで農業の世界にやってこないで下さい。どこへ行っても何をやっても上手くいく、それくらいの人間力を持って農業に取り組めば、形は人それぞれいろいろあるでしょうが、その人なりの幸せな農業が確立できるはずです。自分の成功イメージをしっかりと描くこと、それに向かって信念を曲げず邁進すること、どの分野でも共通する成功の法則だと思います。ぜひ農業で成功して、一緒に農業を盛り上げられたらいいなと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 取締役兼店長ということで、モーレツ社員(古いか?)をイメージしていましたが、話しぶりはあくまでも物静か。
 しかし、中身はやはり過激で、年間売上約10倍増の1億3千万円という成果もしっかり出しています。店長就任前に提案した企画書がホワイトボードに残っておりチラリと見せて頂いたところ、農家レストラン等、枠にとらわれず経営全般にわたるスグレモノ。会社を乗っ取るというのは物騒ですが、その心構えで次の獲物に向かってレッツ・ゴー!!

中川農林総合事務所長

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これからが農の時代!頑張るぞ!ニューファーマー!!!(舘 喜洋)

舘喜洋写真

舘 喜洋(たち よしひろ)  農事組合法人 北辰農産

Profile

石川県白山市(旧鶴来町)生まれ。
金沢学院大学の経済学部を卒業後、実家が経営している北辰農産に就職
アグリ塾基礎コースを受講、翌年にアグリ塾水稲専門コースを受講

現在は、水稲を26ha、大麦・大豆・露地野菜を7ha作付
お米は全量契約販売と直接販売

就農のきっかけから就農まで

 平成10年に父が集落営農を経て、北辰農産を設立しました。私が大学の時に父が他界し、後継者として就農しました。
 小さな頃から、父や祖父の農業をしている姿を見て育ったので、いずれは農業をしなければいけないと思っていました。ひとまずは大学を出て、一般の企業に就職し戻ってこようと思っていたのですが、大学の時に父の病気を告知され、このままでは家業存続の危機を感じ、就農する決意をしました。

就農してから現在まで

 農家の息子で農業のことは分っているつもりでしたが、実際仕事に携ってみると知らないことばかり。始めは先輩の言うことを聞いて作業をこなしていました。
 2、3年すると次第に農業のことが分かってきて、自分のやりたい農業が少しずつ見えてきました。
 地域では農業青年グループに入り活動することで、県内中に若い農業者の知り合いがたくさん増えました。若い意欲のある農業者と接することで、自身のやる気につながり、とても充実した活動になっています。
 今は、経営をしっかり見直し、自分のやりたい農業に一歩でも近づくように頑張っています。

将来はこんな農業をめざします!

 地産地消、農業体験、食育と様々な農への理解や関心を高める動きが出てきました。北辰農産もこれらに積極的に取り組み、将来は、人々の暮らしの中にもっと農を身近に感じられる社会づくりに貢献できるような企業を目指しています。
 今から会社のあり方や経営を見つめ直し、今の子供たち、これから生まれる子が、大人になっても今と変わらぬ豊かさを感じて生きられる社会になるように、自分が出来ることをやっていこうと思います。

今後就農をめざす人へ

 今からが農業の時代だ!消費者の農業への注目が高くなっており、世界的にも穀物不足になってきているので、ビジネスとして大チャンスです。でも、お金のことより自身の信念を持った農業をしてほしいと思っています。
 地球温暖化で平均気温の上昇など、異常気象が頻発しており、今迄通りの農業が続けられるか心配していますが、農業者が増えれば農地が残り、自然環境を守っていくことにも繋がります。みんな農業しようぜ!!!

農林総合事務所所長よりひとこと

 スーパーで並んでいる野菜がどこでどのように作られているかを知らない若者が増えていると嘆かれていましたが、全く同感!
 地産地消、食育がこれを解くキーワードと話が進み、行町(あるきまち)から一歩一歩これらの取組が歩みだして、豊かな自然や素晴らしい環境を次世代に橋渡しできるよう、事務所も力を合わせてやっていかねばと再認識した次第。
 お姉さんが米粒を素材に描いた似顔絵のように、にこやかに目標に向かって行(あるき)続けよう!

中川農林総合事務所長

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ブルーベリーに魅せられて、脱サラ就農!(打越 良昭)

打越良昭写真

打越 良昭 (うちこし よしあき)

Profile

石川県中能登町生まれ、白山市在住
(株)東京ストアーを早期退職
アグリ塾専門コースを受講し、果樹栽培の基礎を学ぶ。
平成17年 白山市でブルーベリー栽培を始める。約25aの畑で550本のブルーベリ-を、県内では初めてのバッグ栽培に取り組む。
平成20年 定植後3年目を迎え、本格的な収穫が可能となり、「白山ブルーベリー園」として、地元を中心に販売を開始

就農のきっかけから就農まで

 家が農家で子供の頃から稲作の手伝いをしていたが、農作業が大変なため農業に興味は無く、サラリーマン生活を続けてきました。しかし、毎日が多忙で休日も少なく、あくせく働くだけの仕事人間になって疲弊し、正に勤続疲労となり、思い切ってリタイアしました。
 退社し、今後の生き方を模索している時、自然相手にのんびりマイペースでできる(?)農業に興味が湧き、いろんな情報を収集している中で、ブルーベリーのバッグ栽培に出会いました。
 退社の数年前に大阪で食べたブルーベリーの味が忘れられず、子供からお年寄りまで知られていて何となくオシャレで身体にも良く、21世紀の果実とも言われているブルーベリーを栽培しようと直感的に思いました。
 そして、農林総合事務所やJAの方から果樹栽培の基礎の習得や仲間づくりのためアグリ塾を勧められ、専門コースを受講しました。就農にあたって苦労したのは農地の確保で、半年間、探し廻りましたが見つからず本当に困りました。そんな中、幸いにもアグリ塾の仲間から農地を借りることができ、とても感謝しております。正に「念ずれば花ひらく」で、想いは叶う、と実感しております。

就農してから現在まで

 就農にあたって、ブルーベリーの設備、資材、苗木等、一式を世話する業者のモデル農園や先進農家の農園を見学させて頂きましたが、皆、楽しそうにブルーベリー栽培の苦労や喜びを話されるのを見て大丈夫だと確信し、栽培を決断しました。
 自然相手にのんびりマイペースといっても大変な面もありますが、ブルーベリーも順調に生育し栽培3年目で予想以上の収穫がありましたので、摘み取り体験や直売所、スーパー、ケーキ屋さん等に販売したところ、大粒で新鮮そして甘くておいしいと好評で、大変うれしく手応えを感じております。
 将来はブルーベリーを使ったジャム、お酢、お酒等の加工品にも力を入れ、販売もしたいと思っております。

将来はこんな農業をめざします!

 「健康、おいしさ、安心、環境、地域」をテーマに、多くのお客様にブルーベリーのおいしさを知って頂き、地域おこしのお手伝いが出来ればと思っております。

今後就農をめざす人へ

 農業といっても多種多様で、何を栽培するのかを戦略的に決め、事業計画に基づいた販売政策やマーケティングを第一に考えることが大切かと思います。
 後は、「一度しかない人生、可能性への挑戦」という一歩を踏み出す勇気が必要かも・・・

農林総合事務所所長よりひとこと

 ブルーベリーは目に良いということで私もジャムではよく食べますが、取材時に試食した生はプリプリし上品な甘さで言うことなし!これこそ地産地消の恩恵であり、地元白山市で味わえる贅沢な食し方。
 のんびりマイペースと言いつつも規模拡大の言葉が口をついて出るなど長年培った商売人魂が垣間見えるのは止むを得ないか。
 今後とも自分の気持ちを大事に摘み取り体験等を通じ地域おこしにも尽力頂ければ有難いことです。「白山ブルーベリー園」ベリーグッド!

中川農林総合事務所長

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若い力で「魅力ある畜産」の発信を!(森川 一・山田 祐司)

森川一写真

森川  一(もりかわ はじめ)・山田 祐司(やまだ ゆうじ)

Profile

森川  一(もりかわ はじめ)
 森川畜産(株)代表取締役
 石川県白山市生まれ、白山市在住

山田 祐司(やまだ ゆうじ)
 森川畜産(株)取締役
 福井県坂井市生まれ、福井県在住

森川さんは祖父が肉用牛、父が酪農経営を営んでおり、大学卒業後、祖父の肉用牛経営を受け継ぐため就農。平成18年に祖父が亡くなり、その後祖母と経営の維持拡大に努める。
山田さんは飼料会社を経て、平成20年1月に森川畜産で就農。同年5月に森川さんと農業生産法人(株式会社)を立ち上げる。
現在、黒毛和種190頭(繁殖用70頭、肥育用120頭)、交雑種肥育牛50頭を飼養

就農のきっかけから就農まで

森川
 生まれた頃から祖父も父も牛飼いという環境の中で育ち、小さい頃から常に牛と携わっており、自分自身も将来は牛飼いをやりたいと思って、この仕事に就きました。

山田
 実家は畜産業ではありませんが、子供の頃近所に牧場があり、物心ついた時からその牧場へ毎日のように遊びに行っていました。牛と触れ合っているうちに、将来は牛に関連する仕事に携わりたいと思うようになりました。
 地元の高校を卒業し、北海道で研修を受けた後、酪農ヘルパーとして働いていました。
 その後、飼料会社に転職した時、営業マンとして森川氏と出会い、牧場のスケールと彼の人柄や目標に憧れて、森川畜産に就職しました。

就農してから現在まで

森川
 大学卒業後すぐに畜産の仕事に就いて、牛を育てる技術など全くわからない状態でしたが、その後たくさんの方々から繁殖や肥育に関する技術を教えていただき、少しずつ技術を習得しながら、早く自分のものにしようと頑張ってきました。
 現在は、自分自身の考えや実際の飼養管理で得た知識を元に、自分の経営に合うようにアレンジしながら牛を育てています。

山田
 就農して間がない5月に法人を設立し、取締役として一つの会社の役員というプレッシャーの中、毎日不安の日が続きました。
 しかし、社長の助言やフォローのおかげで仕事にゆとりをもつことが出来るようになり、今は日々会社に貢献できるよう頑張っています。

将来はこんな農業をめざします!

 生産から販売まで、自分の手で育て自分で消費者に提供し、誰もが安心・信用出来る農業をめざします。また、様々な農業者と連携しながらエコ循環型農業を実践し、魅力ある畜産業にしていきたい。

今後就農をめざす人へ

 今、畜産を取り巻く情勢は決して良いものではありません。また、ただ動物が好きだからと出来る仕事でもありません。
 しかし、こうした状況の中でも牛たちはガンバッテいます。生き物を育てることは決して簡単なものではありませんが、多くの牛と接しているうちに牛から様々なことを教わります。
 何事もチャレンジしないと前へは進めません。私たちと一緒に畜産を盛り立ててくれる人が一人でも多くなることを願っています。

農林総合事務所所長よりひとこと

 二人とも子供の頃から牛に囲まれて育ち、今は天職として努力しながら目標に向かって作業している姿を見て何とも清々しい気持ちになりました。
 将来は自分で種付け育てた牛を自分の店で売って皆さんに食べてもらいたいという夢を朴訥と語ってくれました。正に川上から川下まで一手に行うことで巷間で問われる食の安全安心が確保され、今後、大きなセールスポイントになります。
 私も早く森川牧場ブランドのステーキを食べてみたい。
 夢に向い二人三脚で頑張れ!!

中川農林総合事務所長

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漁師の家で育ち、今は農業を目指す(横川 貢)

横川貢写真

横川 貢 (よこがわ みつぐ)

Profile

石川県能登町(旧内浦町)出身。漁師の次男として生まれ、県立水産高校の無線
通信科を卒業後、関東方面の無線関係会社に就職
数年後、県主催のUターンセミナーに参加し、白山市の報道関係会社に転職
平成7年 結婚
平成16年 報道関係会社退職
平成17年 アグリ塾通年コースで学び、平成18年に白山市の(有)タケマツファームに就職
現在は、代表の指導のもと農業に従事

就農のきっかけから就農まで

 県内の報道関係会社にUターンして、地元白山市の兼業農家の長女と結婚し、集落の行事やJA青年部の活動に参加するなど、農業の話題に触れる機会が多くなりました。
 そのうち、定年がなく自主性が生かせる農業に魅力を感じるようになり、家族に思い切って農業をやりたいと切り出したところ、思いのほかあっさり了解が得られ、会社を退社しました。
 農業経験がなかったことから、県で行う就農準備校「アグリ塾」のことをインターネットで知り、1年間通年コースで学びました。
 アグリ塾終了後に、自力で農業を開始することも考え、農林総合事務所に相談しているときに今勤めている(有)タケマツファームで従業員を募集していることを知り、早速訪ねました。
 育苗後のハウスを自由に使っていいと言われアグリ塾で習った野菜づくりができることから就業を決めました。

就農してから現在まで

 就農当初は農業機械の操作など、はじめてのことばかりで、代表に手取り足取り教えてもらいながら悪戦苦闘の毎日でした。気がつけば秋の刈取時期になっていました。
 次に、パプリカなどの野菜栽培に挑戦しましたが、追肥、整枝、摘芯などの作業が適期にできず、収量は考えていたよりもかなり少なかったです。
 また、除草剤散布のタイミングがわからず、田んぼがヒエだらけになったこともありました。
 現在では、機械操作にも慣れ、小さなトラブルは自ら対応できるようになり、栽培手順もある程度わかってきました。
 しかし、まだ水管理や肥料散布などの最適な時期の判断がわからないところもあり代表に相談しながらやっています。

将来はこんな農業をめざします!

 今の会社の規模拡大、現在は委託している自宅農地の耕作等、できることをやって日本農業の継続に役立てたらと思います。

今後就農をめざす人へ

 ・暗い話題が多いですが、農業をやって日本の食糧自給率向上に邁進しましょう。
 ・あせらず、じっくりやることが大切だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 田んぼがあるのに作っていなかったり、人に貸しているのが何とも残念であり、自ら農業をやると言った時、集落の人からは本気にしてもらえなかったが、家族の意外な?了解もあってこの道に飛び込んだとのこと。元々、人のやらないことをやるのが自分流と笑っていましたが、畑違いからの転職はなかなか勇気が要ります。営農地域は白山市でも大規模農家の多いところで激戦区であり規模拡大は大変ですが、持ち前のガッツで切り拓いていくものと信じています。
 フレーフレー!み・つ・ぐ!

中川農林総合事務所長

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人と自然が共存できる農業経営を目指します!(山下 耕平)

山下耕平写真

山下 耕平 (やました こうへい)  ゆいファームかわい

Profile

石川県旧鳥越村の酪農家の長男として生まれる
名城大学理工学部に入学。大学卒業後、(株)林農産で研修
その後、地元の「ゆいファームかわい」にオペレーターとして参加
平成19年に就農

野菜の栽培及び販売も行っている

就農のきっかけから就農まで

 両親は酪農家だったのですが、あまり家業を継がなくてはという思いはなく、車関連の仕事ができたらいいなと名古屋の大学の理工学部を選考しました。
 それでも、大学1年の時に両親が酪農を辞めると聞いた時は、酪農業の大変さを感じましたし、廃業を選択する両親の複雑な思いも感じました。
 そんな私が農業に興味を持ったのは大学3年から「環境ネットワーク地球村」という環境保護団体の活動に参加したことがきっかけかもしれません。活動を通じて両親が小さい頃から教えてくれた「身体が大事」「食べないと生きていけない」ということを思い出し、もう一度自分の将来を見つめ直し、私たちが生きていく為に必要な「食べ物の大切さ」に気づき、農業に関わりたいと思うようになりました。
 私が生まれ育った故郷は、農業を行うのに恵まれた環境があり、そして何より、両親の酪農業を辞めた思いをしっかり受け止め、今度は私が農業者として受け継ぎたいと思い就農しようと決意しました。

就農してから現在まで

 大学卒業後、石川へ戻り、農業について学びたいと思っていた時に、「環境ネットワーク地球村」の活動を通じて、(株)林農産の社員の方に出会い、アルバイトとして雇ってもらい農業を学ぶことができました。
 翌年から我が家の19aの田んぼで無農薬のお米を作り始めました。そして、「ゆいファームかわい」ができ、オペレーターとして水稲14haとそば5haの管理を行いながら、無農薬でのお米づくりの規模拡大に取り組んでいます。
 また、個人経営として、現在、20aの田んぼでハウストマトと露地野菜の栽培を行い、個人販売もしています。

将来はこんな農業をめざします!

 最近、食の安全や農業の環境への影響など様々な問題が叫ばれていますが、私はすべて我々人間の欲を優先した報いだと思っています。
 私たちも、そして私たちの営む農業も自然との共存が必要不可欠だと思います。
 私はより自然と共存した農業を目指し、それがしっかりと経営に結びついた農業技術を確立していきたいと思っています。
 そして、ただ農業に従事することだけでなく、食育を含めた私たちの生き方そのものを農業を通して表現していけたらと思っています。

今後就農をめざす人へ

 農業という素晴らしい仕事を、生活するためのビジネスとしてだけで捉えず、いろいろな角度から農業の本当のあり方について見ていって欲しい。
 そして、多くの人たちの命を守り育てていくという自覚のもとに、社会の貢献者として自分のやれる農業に取り組んでいって欲しいと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 なぜ無農薬かとの問いに、大学時代の環境保護活動から首尾一貫して地球環境を守らねばならないという強い意志の延長線上であり、近い将来、減農薬ではセールスポイントにならない時が来るだろうから、今の内に技術を確立しておきたいとも答えてくれ、語り口はソフトだが良い意味で頑固一徹のところがあるナァと感心しました。
 規模拡大や野菜との複合経営化など立ち向かう課題は小さくありませんが、内に秘めた芯の強さで乗り越えていくものと確信します。ガンバ!耕平君!

中川農林総合事務所長

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いろんな人の助けがあったからこそ今の私がいる!(宮井 崇志)

宮井崇志写真

宮井 崇志 (みやい たかし)

Profile

石川県白山市徳丸町(旧松任市)生まれ
地元の高校を卒業後、実家である酪農の道へ
その後、「宮井畜産」の後継者として就農
現在、乳牛50頭、肉牛20頭を飼育

就農のきっかけから就農まで

 就農のきっかけは「家が酪農家である」ということ。
 まわりが誰もしていない酪農を実家でやっていたので、これを「チャンス」と考えました。
 家を継ごうと考えたのは高校1年生のときでした。その時1番に思ったのは、祖母が高齢で酪農の仕事が大変そうだったのを見て、「早く自分が代わってあげないと」と思ったからです。
 このため、大学には行かず、高校卒業後すぐに酪農の仕事を始めました。
 就農に際し、私の家族は両親兄弟とも友達のように仲が良かったこともあり、あまり深く考えることなく、なんの抵抗も感じなかったことを覚えています。
 私の酪農の先生は親父です。酪農のことはすべて親父に教わるので、親でもあり、先輩でもある親父あっての酪農です。

就農してから現在まで

 就農してからは毎日が大変でした。まずは毎朝必ず牛舎に行かねばならない。休みは基本的にはとれない。意外と力仕事が多い。そして、牛の生理や飼料給与方法など勉強することがたくさんあります。しかし、良い所も沢山あります。会社勤めのように厳しい規則がない(髪型など)。昼間、意外と自由な時間がある。・・・・etc.
 親父はいろんなことを教えてくれました。トラックの運転、トラクターの操作、牛の飼育など。自分でも「家畜人工授精師」の資格を取りに行ったりしました。
 何よりも、一番私を支えてくれたのは妻でした。休みがなくても、夜遅くなっても、嫌な顔一つせず「おかえり」と迎えてくれます。そして息子です。家族という存在が私を元気にしてくれ、家族の支えがあるから、私は明日もがんばれるのです。

将来はこんな農業をめざします!

 酪農家直営のお店をしたいと考えています。いろんな人が気軽に立ち寄れる牧場にしたいと思っています。

今後就農をめざす人へ

 農業を古くさいと思わず、胸を張っていて欲しいですね。
 農業は今熱いです。
 これからは本当に農業が大切になると思います。だから、ドンドン、いろんな事にチャレンジすればいいと思います。
 「やる」ことが大事なのです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 朝夕2回の搾乳や牛の世話の合間を縫って、(株)有機センター白山の1社員として農家からの牛糞収集から堆肥搬送に至るまで一日を大車輪の如く回っている中、慌ただしい早朝の牛舎内で取材し、将来は今の地で牧場とセットでハンバーガーやスイーツが提供できる店を奥さんとともにやりたいと夢を語ってくれました。
 すぐ横には海側幹線も通る最高の立地条件となる反面、周りは宅地化も徐々に進み困難も予測されますが、今後とも牛舎見学や乳搾りなどふれあい体験も積極的に取り入れて地域と協調していけば必ず実現すると踏んでいます。
 いけ、いけ、崇志!

中川農林総合事務所長

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「3Kがいいんです!」~かがやくあせが・きもちいーぜ・けんこうてきな生き方だ!~(島崎 綾乃)

島崎綾乃写真

島崎 綾乃(しまざき あやの)  (株)林農産

Profile

石川県金沢市生まれ
石川県農業短期大学(現:石川県立大学)生物生産学科卒業。卒業後、製薬会社に勤務
(株)林農産で研修。アルバイトとして働く
平成13年12月、(株)林農産に就職
平成19年に結婚(小松在住)

※現在の担当:餅加工及び水稲作業

就農のきっかけから就農まで

 農業短期大学に入学した理由は『県立だから』という単純なものでした。だから、最初は農業に特別興味を持っていたわけではなく、なんとなく学生時代を過ごしていた気がします。
 卒業後も、夢や目標も持たず製薬会社に就職し、建築会社や工務店相手にシロアリ駆除剤の営業を淡々とこなしていましたが、それが自分のやりたい仕事なのかという疑問がふと湧いてきて『自分に正直に、生きている実感が得られる仕事をしたい』と思うようになりました。
 今、思うと不思議なのですが、
 『自然の中で体を動かして仕事をしたい』=『農業』へとイメージがつながったのです。
 (株)林農産との出会いは、自分で農業をやるのは難しいと思い、いきなりでしたが農業研修(アルバイト)を直接お願いしに行ったことから始まりました。
 タイミングよく、餅加工のアルバイトを募集していた時であり、1年間アルバイトとして研修した後、就職することができました。

就農してから現在まで

 入社してから、水稲栽培や餅加工を行っています。
水稲栽培では、オペレーターは男性が殆どなので、下仕事(田植え時ならば苗の補充等)を主に行っています。一方、餅加工では全ての工程を担当しています。
 その他、かきもちなどの加工品をスーパーの直売所や地域のイベント等へ出品したり、時には店番をしたりすることもあります。
 (株)林農産=『林さんち』をご存じの方には末永く愛していただけるよう、また、聞いたこともないお客様には『林さんち』の『個性豊かな商品』の魅力を知ってもらえるようにアピールしていきたいと思っています。
 また、市街化で少なくなってきている水田を大切にお世話させて頂き守っていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 「農業」を愛する、「環境」をいとおしく思う、健康な「自分」がよい農作物を育てられる、そんな気持ちを持ち続け、農業を通して子供達や自分達が「安心」して過ごせる社会をつくっていきたいですね!

今後就農をめざす人へ

 私のように「農業」に対して最初は何も知らなくても、突進しようという気持ちがあれば、いろんな段階を経て、自分への自信や誇りを持って農業をやっていく事ができるようになると思います。
 「農業」はなくてはならないもの!
 「農業」がみんなを救う!
そんな思いを持った一員が増えれば幸せですね!

農林総合事務所所長よりひとこと

 取材時は、自分の気持ちに正直に行動し、心は晴々と農業を楽しんでいる感じでした。この道に入ったキッカケを尋ねたところ、実は前の会社を退職後、コンビニにアルバイトが決まっていたが、自然の中で心と体に良い仕事がしたいという思いが募り、思い切って学生時代に見かけた林さんちの門を叩いたとのこと。
 そして丁度、餅部門に空きがあってとりあえずアルバイトに入れたというのは人生の岐路に立って活路を見出したというところか。
 「窮すれば通ず」を地でいく話で、冒頭の印象に一人納得しました。
 今後とも究極で選んだ女の一本道を目もあやに光らせて下さい。フレーフレー綾乃!

中川農林総合事務所長

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果物大好き!だから、美味しい果物をつくりたい(東 賢二)

東賢二写真

東 賢二 (あずま けんじ)

Profile

県立翠星高校を卒業後、金沢市農業センターで研修を経て、両親が経営している果樹園(なし60a、りんご40a、もも30a)に就農
農業青年グループには金沢市農業センター研修生の時から参加、生育診断グループに在籍し、土壌診断に基づく土壌管理について研究
JA金沢市桃部会の地区役員を務める若手のホープ

就農のきっかけから就農まで

 親が乳母車を横において畑仕事をしていたらしい。弟と2人、畑でよく遊んでいたから、畑で育ったようなもの。遊び場が畑だった。中学時代からおぼろげに跡を継ぐことを考えていた。
 はっきりと農業について考えるようになったのは、高校進学のとき。普通の勉強をしても面白くないし、マニアックなことをしたかったから、松任農高(現在の翠星高校)へ進んだ。他の人とは工業を選ぶか農業を選ぶかで、農業を選んだくらいの違いじゃないかな。学校にいた時、たまたま金沢市農業センターのパンフが置いてあって、高校で一つ上の岡本さん(金沢市農業青年)が行っていたし、高校卒業後、センターで研修を受けることにした。
 就農は早ければ早いほうがいいかなと思って、学生時代から草刈りはたまにしていたし、センターで研修中のときも家の細かい作業は手伝っていた。バイト感覚で家の仕事をしていたのが、毎日の仕事になっただけ。
 果物は好き。おいしいし、きれいなものを作りたいと思う。お菓子づくりとかお菓子が好きっていう人がパティシエになるのと一緒じゃないかな。

就農してから現在まで

 農業がひどいことは知っていた。今もひどいといえばやっぱりひどい。特に寒い時は寒いし、暑い時は暑いし、気温の変化がひどい。でも果物が好きだから、続いている。
 分からないことは近くの上田さん(JA金沢市梨部会部会長)や笠間さん(JA金沢市梨部会副部会長)たちになんでも聞きに行くし、何しているのかなあってじーっと見ているとなんでも教えてくれる。部会の講習会には出来るだけ行くようにしてる。年取ってから聞いていたら恥だけど、今のうちに聞いても全然恥じゃない。分からないことは何でも聞けばいいと思ってる。
 作業は細かい仕事は親としたりするけど、幸水なんかは自分しか剪定していないし、重要な作業は任されている。
 面積は就農当時と変わっていない。品種が入れ変わったくらいかな。りんごは秋星(石川県オリジナル品種)が増えたし、幸水は少し洋ナシに変えたり、豊水は南水にしたりした。直売も少しやっているけれど、お歳暮、お中元に使ってもらえるような品種を考えている。ここのうちにはなんでもあるっていうのがいいな。

将来はこんな農業をめざします!

 将来は、もっとおいしくて、見た目にもきれいなものを作りたい。
 あと、聞いたこともないようなものを作っていたい。。

今後就農をめざす人へ

 なんでも出来る範囲でやるということかな。あと、マネすることでうまくなるということ。マネすることで、玉ぞろいもいいし、おいしいし、いいのになる。作り方が上手い農家のそれぞれのいいところどりするというのがいい。1年目はマネしなかったら全然だったし、2年目、3年目はマネしてやったらいいのがなった。それでもまだ、他の人の畑とは収穫時期も違うし、他の畑は葉もいいし、園も暗くない。早く、上手くなりたい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 果物が好きだから農業をやっている。うまい果物を作る農業者を目指すと語る。身近な場所に消費者がいるという地理的条件の良さをとらえ、消費者ニーズも把握している。
 それらに対して、自分の技術レベルは10段階の2~3段のレベルと分析しつつ、若いうちに先輩から何でも聞いて技術を習得する考えである。
 今後、しっかりと技術を身につけて地域農業を担う農業者になって欲しい。

高農林総合事務所長

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美味しいぶどう作りに取り組んでいます!(長村 和夫)

長村和夫写真

長村 和夫 (ながむら かずお)

Profile

石川県生まれ
市役所を早期退職し、就農準備校「アグリ塾」通年コースを受講
その後、かほく市高松で経営規模の縮小を考えていたぶどう農家から40aのぶどう園を借り受け、営農を開始
現在、生産組合や地元研究会に所属し、栽培技術の向上に励んでいる

就農のきっかけから就農まで

 長年、農業と関係の無い仕事をしていたが、就農準備校「アグリ塾」通年コースを受講した。
 当初は漠然と果樹栽培がしたいと栽培の基礎について学んでいたが、砂丘地農業試験場での研修をとおして、安全で安心できる美味しいぶどうを消費者に提供したいと思うようになった。
 家族(特に妻)には猛反対されたが、体力的にもまだ余裕があったため就農に踏み切った。 非農家出身で農地がなかったのがネックであったが、県や地元生産組合の支援により農地を借りられたことは非常にラッキーであった。
 最初は不安もあったが、アグリ塾の仲間と励まし合いながら準備を進めてきた。
 仕事を辞めてから、通年コースに入るまで少し不安であったが、早期退職したことに悔いはない。

就農してから現在まで

 生産組合や地元研究会に所属し、積極的に参加することで、組合員や周囲の農家と情報交換を行い、いろいろなアドバイスを受けている。
 また、元の所有者もこまめに園地を訪ねてきてくださり、栽培技術等の指導をしてくれている。
 昨年は、収穫間際に病気と裂果が発生し、思ったほどの収量をあげることができなかった。今年もこれまでは順調にいっているが毎日・毎日、不安である。
 現在、出荷している品種は「デラウェア」のみであり、危険分散や収益性の向上を考えると、規模の拡大は労力的に難しいので、大粒種を一部導入しようと思っている。
 まだ、地域の人達の顔も覚え切れず、車ですれちがう時など、ちゃんと挨拶できないので、高松の旧道を走るときは緊張して走っている。
 他の生産者に迷惑をかけないように、頑張っていきたい。

将来はこんな農業をめざします!

 規模の拡大は考えていないが、大粒種も導入し、楽しく農業をやっていきたい。

今後就農をめざす人へ

 若い人は何にでも挑戦してみたらいい。
 不安(体力的・技術的な)はずっと付きまとうが乗り越えられると思う。
 私も周りの生産者やアグリ塾の仲間がいたからここまで来れた。
 今でも、同期のアグリ塾の人達と連絡を取り合い情報交換をしている。
 ネットワーク作りを大事にしてもらいたい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 ぶどう園に入った時、色づいたぶどうがふさふさとしている光景が先ず目につきました。多過ぎとのことでありましたが、すばらしい出来映えと思いました。
 お話を伺っていたら、話しの端々にアグリ塾や研修先であった農総研職員の名前が頻繁に出てきて、就農やその後の営農に大きな役割を果たしていたことを実感しました。

高農林総合事務所長

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じっくりと考えて、準備して選んだ農業への道(廣瀬 敦士)

廣瀬敦士写真

廣瀬 敦士 (ひろせ あつし)

Profile

石川県金沢市生まれ
石川工業高等専門学校へ進学。進路相談で農業への憧れを告白したところ、金沢市の園芸農家での就業体験を紹介され、その夏の経験が「憧れ」から「職業」へと農業の見方を変えさせた
金沢市農業センターの研修、農林水産省農業者大学校の卒業後、白山市のトマト農家で実習しながら就農の準備を始め、祖父の農地を借りて野菜栽培を開始
現在は、ハウス4 棟を含む60aでトマトやさつまいもを生産し、直売所を中心に販売

就農のきっかけから就農まで

 幼い頃の記憶では、祖父が耕作する水田で田植えや稲刈りの傍らで遊んでいた覚えがあるがそれほど農業に特別な思いはなかった。
 農業について真剣に考えたのは高専の4年生となって進路を考えたときのこと。担任の先生に相談したところ「先生も農業はよくわからないからとりあえず体験してみろ!」と、夏休みを利用した体験実習として金沢市打木町の野菜園芸農家にお世話になった。とにかく暑く、忙しく、厳しい作業であったがご家族との楽しいひとときが忘れられず、農業への憧れがいっそう強くなった。
 実習先では将来のことを心配してくれ、農林総合事務所を訪ねて相談するよう教えられた。農林事務所には技術や研修、資金などいろいろな情報があり、若いこともあって農業者大学校への進学を勧められた。
 当時の農業者大学校は農業系高校卒が条件であったため、金沢市農業センターで1年間研修を積んで、入学することができた。
 農業者大学校の卒業後は農林総合事務所の勧めで白山市(旧松任市)のトマト農家で実務研修をしながら就農の準備を進めた。
 現在は、祖父の農地を借りてトマトやきゅうり、なすを栽培し、内灘町で借地した砂丘畑ではさつまいもやかぼちゃを栽培してJA直売所へ出荷している。

就農してから現在まで

 とにかく最初はすべて農林総合事務所に頼った。狭い農地で所得を上げるために「何を作るか」「どうやって金に換えるか」。研修や学校で学んだはずだったが、いざ始めるとなると途方に暮れた。初めてなすを作るときも植え付けの手伝いや市場へ出荷のお願いに同行してもらったり、栽培管理が悪いと本気で怒られた。当時の担当普及員には本当に感謝している。
 初めて市場に出荷した時は大赤字だった。やむなく自宅前に並べておいたら無人販売で売れた。これが直売所へ出荷する契機となった。今の直売所はきゅうりとなすは安売り競争になっているのでトマトを主体に出荷している。また、かぼちゃなども変わった品種をつくって競合しないように工夫している。
 大きな転機となったのは、内灘町の畑を借りることができたこと。部会員が減少するすいか産地で、先輩農家が「空いた農地があるから一緒にやらないか」と声をかけてくれた。その人には今もなんでも相談にのってもらっている。
 農業青年の仲間にもいろいろ助けられている。パイプハウスの廃材を譲り受けたり、温室でトマトの苗を育ててもらったり、収穫のアルバイトに雇ってもらったりした。
 苦労したことといえば格納庫と作業場が無いこと。新築するとなると多額の資金が必要で、今も悩みの種である。
 今年から妻が手伝ってくれている。妻とは農業者大学校で知り合った。2人分の収入を得るのは厳しいが1人の時の2倍以上の仕事ができる。これからは協力して頑張っていきたい。。

将来はこんな農業をめざします!

 100年続けていけるような農業を見つけて実践したい。

今後就農をめざす人へ

 ・毎年、泣きながらやっている(笑)
 ・計画はしっかり立てること。当面の計画と長いスパンでの計画が必要。
 ・計画どおりにならないのが当たり前、目的を決め、計画と違ってもあきらめないこと。
 ・自分はたくさんの人にお世話になっている。
  相談できる人を持つことが一番重要で、同世代の仲間も大切です。

農林総合事務所所長よりひとこと

 自宅の周りは住宅が建ち並び、少し離れた所にあるハウスの周りは商業施設で囲まれていた。
 トマトをメインに栽培し、販売は直売が中心である。
 おいしい野菜を沢山作りたいが、その技術が未熟であることから、農業青年グループの仲間や先輩農家との情報交換をとおして自分にあった技術を確立して欲しい。
 そして、立地条件を活かした直売主体の都市型農業経営を目指して下さい。応援します。

高農林総合事務所長

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「亀田さんの!」とわかってもらえる野菜づくりに頑張っています。(亀田 綱三)

亀田綱三写真

亀田 綱三 (かめだ こうぞう)

Profile

石川県生まれ
会社を早期退職し、就農準備校「アグリ塾」通年コースを受講
河北潟干拓地に農地を借り、奥さんと2人で営農を開始

現在は約60aの農地にパイプハウス8棟を建て、約50種類の野菜を栽培し、県内外の個人や飲食店を対象に直売を行っている

就農のきっかけから就農まで

 昔からアウトドアが好きで、家族でよくキャンプに行っていました。その時に立ち寄った直売所で買った野菜の味に感動し、何度も通ううちに「美味しい野菜をつくり、少量で安く提供すれば必ず売れる!もし自分が農業をやるのなら自分で売りたい!」と思うようになりました。
 将来の就農に備えて、妻の故郷である九州に農地を確保しましたが、非農家出身で経験も技術もなかったため、知人を通じて農林総合事務所に相談、アグリ塾を紹介され、思い切って仕事を辞めて通年コースに入塾しました。
 最初は野菜も数種類しか知りませんでしたが、アグリ塾では約20種類の野菜づくりを経験し、栽培技術を始め、色々なことを教えてもらいました。
 実際に就農するにあたっては、自宅周辺で小売店が減っていたことと、高齢者やパート勤めの人など、買い物に行きづらい人の助けにもなりたいとの思いもあり、県内でと決めました。
 そこで自宅に近いところで農地を探しましたが、なかなか見つからず、関係機関のお世話で、河北潟干拓地の農業開発公社有地を借りることになりました。

就農してから現在まで

 はじめは飛び込みで会社や病院に売りに行きましたが、なかなか売れませんでした。徐々にお客さんができ、また、口コミでも増えていきました。送料が掛かっても良いからと注文をしてくださる県外の方もいらっしゃいます。
 今では、レストランなど飲食店が主な販売先になっていますが、これも、あるレストランオーナーの奥さんがお客さんだったことがきっかけでした。
 現在は作型の違いも含めると約50種類の野菜を作っています。新しい品目の導入にあたっては、ちゃんと作れるかを確認したうえで、お客さんに使ってもらえるものを選択するようにしています。
 失敗はしょっちゅうですし、まだまだ分からないことも多くあります。
そんな中で、1年目から「一年間の作付計画の作成」と「毎日の出荷量の記録」は欠かさず行っています。
 経験が少ない中で、9年間のデータの蓄積は何よりの参考になりますし、お客さんからの問い合わせへの対応にも役立っています。

将来はこんな農業をめざします!

 販売量を増やすよりも、着実に、より良い野菜を作っていきたいと思っています。

今後就農をめざす人へ

 まず、自分がどんな農業をしたいのか、特にどんな方法で売るのかを明確にすることが大事だと思います。そうすることで、どこで、何を作るのかが決まってくると思います。
 また、家族と十分に相談をしてください。農業は一人ではできないと思いますし、いざというときにも助けてもらえますよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 生産物を直売したい、そのためには多品目生産を目指し、実際の栽培を通して、いつ、どんな物が出来るかを試し、その中から売れる物を選定してきた。購入者は、口コミで一般消費者から飲食店まで拡大してきた。
 冷蔵庫の大きな扉一面に貼られた何枚もの栽培計画表、そこには数十品目に関する時期別作業計画、収穫予定時期等を記載。その他に日別収穫量を記載。それにより飲食店の注文に応じ何を、どれだけ納入可能か即答できるとのこと、農業に関するデータ管理に感心しました。

高農林総合事務所長

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より美味しいものが作れるように頑張ります!(元林 圭介)

元林圭介写真

元林 圭介 (もとばやし けいすけ)

Profile

石川県金沢市生まれ
金沢工業大学卒業後、実家に就農
現在、金沢市五郎島を拠点にさつまいも、すいかを作っている
就農2年目から金沢市農業青年グループに所属し、様々な行事を担当
そのほか、個人でブログを書いており、消費者へ農業のアピールを行っている

就農のきっかけから就農まで

 小さいときから実家の手伝いをしていたので、その流れから就農しました。
 本当は、最初は農業をやれば、両親が楽になるかなあ・・・と思ったのもあります。就農することは両親も大歓迎していて、自分が就農する頃から面積もだんだん広くなっていきました。
 大学に入る前から就農するつもりでいたので、農業短大に進学することも考えたのですが、4年生大学を出たかったので、両親にお願いして金沢工業大学に進学しました。
 大学4年のころは就職活動もせず、卒研のみを行っていて、そのころも家の仕事を週3回ほど手伝っていました。
 大学時代の研究テーマは植物に光を当てると、なぜ植物に電圧が発生するかで、電圧による光合成の量を研究していました。その時の研究が今の仕事に生かされているとは思えませんが、後には役立つかもしれません。

就農してから現在まで

 就農し始めの頃は、自分でやるよりも言われた仕事をやらされる感じがしていました。小さい頃から手伝いとして農業をやっていましたが、就農してからもこなすだけの仕事が多かったです。
 就農2年目のころ、地元の人の誘いから農業青年グループに入りました。農業青年グループに入るまでは親しか話すことがなかったけど、グループに入ってから同じような若い農業者と話す機会ができて、より良いものを作ろうという意識が出てきました。
 それからは、自分でこうすればすいかの形がよくなったり、美味しいさつまいもができるのではないかと考えるようになり、やりがいを感じるようになってきました。
 2、3年前くらいからは、何人かの若い農業者と集まってそれぞれの作ったすいか、さつまいもの食べ比べをして、工夫した点などを話し合い、よりよいものを作ることができるように努力しています。

将来はこんな農業をめざします!

 美味しいすいか、さつまいもを作りたい!そしてその方法を共販の皆さんに普及できるようにしていきたい!

今後就農をめざす人へ

 自分は就農する基盤があるからやりやすかった。
 ただ農業をやるよりも、こういうことをやりたい、こういうものを作りたいというビジョンがある方がやりやすいと思うし、生半可な気持ちでは無理だと思います。
 美味しいものを作るなどの目的を持って就農してほしいです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 五郎島さつまいものブランド産地において、元林さんは若い時にやれることとして、さつまいものよりおいしい物を生産するため、栽培技術の改善に取り組んでいる。それを仲間とともに行い、各自の生産物を持ち寄り試食し、誰のいもがおいしいか、その作り方はどうかを検討している。
 元林さん達が改善した技術が産地に普及し、より高品質生産に結びつくことを期待するとともに応援します。

高農林総合事務所長

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身の丈に相応した継続できる農業をめざして!(田中 宏一)

田中宏一写真

田中 宏一 (たなか こういち)

Profile

香川県出身
会社を早期退職し、サラリーマン時代の最終赴任地であった石川県で就農準校「アグリ塾」通年コースを受講
平成18年に河北潟干拓地(内灘町湖西)で離農農家より施設を含めて農地を購入し、奥さんとパート1人の3人で営農を開始
現在は約60aの農地に建つパイプハウス10棟を活用し、こまつなの周年栽培を行い、河北潟営農公社を通じて市場へ出荷

就農のきっかけから就農まで

 サラリーマン時代から漠然と「何か違う世界の仕事をやってみたい」という願望を持っており、会社の事情で早期退職のチャンスがあったことから、退職しました。
 選択肢の一つとして農業があり、漠然と関心をもっていたものの、全くの未経験で具体性もありませんでした。
 ハローワークでの就農相談会でアグリ塾の存在を知り、通年コースを受講し、野菜栽培の基本知識を学習しましたが、研修期間の半分をすぎても就農地や栽培品目も明確に決まっていませんでした。
 そんな時に21機構を通じて「河北潟干拓地でこまつなを栽培していた方が離農するため、河北潟施設園芸部会が後継者を探している」という情報を知り、同部会の方から具体的なことを教えてもらうことにしました。
 その結果、アグリ塾の農家研修を同部会の農家の方のところで行うことになり、約6カ月の間こまつな栽培の基本を親身になって教えてもらいました。
 そして、平成18年4月から河北潟で営農を開始しました。

就農してから現在まで

 就農当初は、教わったことをこなして行くことで精一杯でしたが、何かわからない事があれば部会の先輩方に聞くことを心がけました。先輩の皆さんもとても親身になって教えてくれたので本当にありがた
かったです。このような指導が無ければ、今まで続けてくることができなかったのではないかと思います。
 譲り受けた60aの土地には2.4aのハウスが12棟ありますが、現在は、そのうち10棟のハウスを使いこまつなを年間5~6作栽培しています。
 収量アップのためには、労働力や栽培面積を増やす必要があると先輩方からアドバイスをいただいていますが、私と妻の体力や気力なども勘案し、焦らず営農を継続していくことが大事であると考えているので、現在のところ規模の拡大は考えていません。
 幸い就農以来、年々収量も向上していますので、当面の間は収量が前年割れしない事を第1目標に努力をしていきたいと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 できるだけ化成肥料や農薬に頼らない野菜作りをしたいと考えています。

今後就農をめざす人へ

 ある程度の「計算」と「思い切り」が必要ですが、度が過ぎるとせっかくのチャンスを逃したり、取り返しのつかない失敗の原因となるような気がします。
 「家族」、「資金」、「体力」等々を考えて、何とかなりそうならトライしてみる価値はあると思います。
 特に奥さんとの相談と合意は大事です。

農林総合事務所所長よりひとこと

 就農2年余りで「河北潟こまつな」産地の出荷量の約10%を生産するまでになった要因を聞くと、「関係者の支援や前の生産者から施設等を引き継ぐチャンスに恵まれたこと」と言うが、就農後、130回の種まき、収穫等についてパソコン上で管理し作業計画や労務管理等に活かしている努力も注目した。
 今後の課題は栽培土壌の管理や家族の健康管理とのこと。どちらも無理をしないで産地の一員として長く続けてほしい。

高農林総合事務所長

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食べて感動する野菜を提供したい(宮下 幸輔)

宮下幸輔写真

宮下 幸輔 (みやした こうすけ)

Profile

石川県金沢市生まれ
東京農業大学で農業経済を学んだ後、就農
現在は、家族とともにさつまいも2.3ha、すいか1.2ha、だいこん0.3haを栽培し、農協を通じて県内及び関西へ出荷
また、農業青年グループの副会長を務めている

就農のきっかけから就農まで

 記憶にないほどの幼い頃から、両親に連れられて、畑に来ていた。
 初めて農業に興味を持ったのは、小学2~3年生の頃で、当時は、両親にすいかの接木の手伝いをさせられていたが、なぜこの接木苗がすいかの玉になるのか不思議に思った。
 大学3年生の時に、卒業後の進路を考えたが、サラリーマンは仕事の内容から自分には合わないと思い、最初から就職先に考えなかった。どちらかと言えば、大工や農業などの肉体労働的な仕事に興味があり、卒業後は農業をやろうと思った。大学4年生の時に、アメリカに行ってみたいという思いから、海外留学に応募し、カルフォルニアの農場で1年間ひたすら働いた。
 就農時には、自分は他の仕事を経験したことがないので、農業以外にも何か向いている仕事があるのでないかと考えたし、農業への将来性についても多少不安を感じたが、自分の周囲には同じ年の人たちがいたので、話をしたり、アドバイスをもらった。
 就農までの支援としては、栽培や経営などの研修が必要だと思う。現在、農協を通じて出荷しているが、自分でものを売る販売研修があれば、売り先をもっと広げることができると思う。

就農してから現在まで

 就農してからは、さらに農業へのやりがいを感じ、農業で頑張っていくという気持ちが強まった。大玉のすいかを作るため、みんなと話し合って、昔からやってきたすいかの栽培方法を変えた。現在、すいかの振り分け栽培の技術を習得するため、試行錯誤している。自分としては、今あるものよりもさらにおいしいものを作り、みんなに食べてもらいたいと思っている。
 就農して困ったことは、普段から親と一緒に作業するため、栽培方法や些細なことでケンカになること。ケンカすると言ってもやはり親子なので、次の日には仲直りしているが。父とはお互いに思ったことを言い合いながら仕事をしており、会社勤めだとなかなかできないことだと思う。
 また、周囲との協力は大切だと思うので、農業青年グループ、部会、青年団、町会などの活動に積極的に参加している。
 現在の自分の技術レベルは、まだまだなので、これからもっと勉強して、人が感動できるような野菜を育てていきたい。

将来はこんな農業をめざします!

 県内において、品質面で自分の名前が通る農家になりたい。

今後就農をめざす人へ

 農業をする場合、周囲に相談できる人がいるかどうかが重要。農業は自分ひとりだけでやっているのではなく、地域の中で行うものなので、家族を含めた周囲の人を大切にしてほしい。
 農業は経営面や栽培面のいずれにおいても計画性が大切。やるからには責任をもって取り組んでほしい。
 農業をしていると、理想と現実で違うところもあるが、理想に近づけるよう、頑張って下さい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 宮下さんのもっぱらの課題は、すいかやさつまいもの品質を更に良くする栽培技術とのこと。すいかの課題は労力に応じた整枝方法であり、さつまいもは、どんな肥料が良いかを探っている。そのための情報を収集するとともに仲間との共同研究に取り組む。
 宮下さんたち若い農業者が技術の改善に取り組み、その技術がブランド産地に普及して行くことを期待しています。

高農林総合事務所長

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「人に喜ばれるものを作りたい」がメインテーマです!(川端 崇文)

川端崇文写真

川端 崇文 (かわばた たかのり)

Profile

石川県金沢市生まれ
サラリーマンを経験した後、就農を決意
れんこん農家で1年間の研修を経て就農。現在就農3年目となる
河北潟でれんこん1.5ha、水稲1.8haを生産し、金沢れんこん生産組合の販売副会長を務めている

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から農業に対する夢はあった。とりあえず社会勉強としてサラリーマンをやったが、今後について考えた時、農業の夢を叶えたいと思い、就農を決意した。
 祖父母が家庭菜園でものを作っていたし、これまでも実家で兼業で米を作っていたので作業を手伝ったことはあった。ただ、実際に就農しようとして父に相談したところ、米だけでは生活できないと言われた。
そこで他の品目を考えたところ、れんこんにたどり着いた。米以外にれんこんをやろうと思ったのは、祖父母がれんこんを作っており、人にあげた時に一番喜ばれていたからである。
 れんこんの畑は持っていなかったので、土地を求めていたところ、知り合いかられんこんの農地を貸したい人がいると聞いた。そこで借りる条件として1年間れんこんの研修をやることになり、研修をやらせてもらった。始めた頃は何も知らなかったけど、1年間畑で勉強でき、基本的な知識は身についた。
 妻ははじめは就農に反対していたが、今では時間の融通もきくし、子供と接する時間もたくさんあるので、理解してもらえている。

就農してから現在まで

 今でも栽培の面では地域特産マイスターの本さんにお世話になっている。それに、地域の人にもすぐにとけ込めた。周りは歳を取っている人が多いが、話していると勉強になるし、とても楽しい。それに、生産組合の中で自分のような若い人もいるので、その人とも情報交換をしながら仕事ができている。
 今は生産組合の販売副部長をやらせてもらっている。自分の子供の幼稚園にれんこんを飾らせてもらうこともあるので、れんこんを子供に説明するときにどのように説明したらわかりやすいかを考えたりもしている。それも楽しい。
 他に沢山やってみたいこともあるが、今はれんこんを突き詰めていきたい。後々は化学肥料に頼らずに有機肥料のみで生産ができるようにしていきたい。
 とにかくやりたいことは沢山ある。しんどいと思ったことはあるけど、それを超えるくらいに今は楽しい。本当に自分は恵まれているし、満たされていると思う。

将来はこんな農業をめざします!

 お客さんの「美味しい!」と喜ばれる顔をもっと見たいです!
 誇りを持ってれんこんを作ります!年間を通じてパーフェクトな栽培技術を身につけ、規模拡大を目指したい。

今後就農をめざす人へ

 結果はあとから必ずついてくるものだと思います。色々なコストがかかったとしても、それにプラスのものがつき、必ず返ってきます。自分の満足できるものを作って欲しいです。

農林総合事務所所長よりひとこと

  やりたいことはれんこん畑の土づくり、その方法が有機栽培。有機栽培により土が軟らかくなり堀取り作業がしやすく収量も増える。農業青年の仲間でボカシ肥料の作り方を調査している。
 農業が楽しいとのこと。種から作物に生長することがおもしろい、均一な生産とならず気象や栽培方法によって生産物が変わることがおもしろい、そういう農業をすることが楽しいのだ。その気持ちを持ち続けてほしい。

高農林総合事務所長

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周囲とのつながりを大切に、地域の農業を守りたい(山森 篤)

山森篤写真

山森 篤 (やまもり あつし)

Profile

石川県金沢市生まれ
専門学校卒業後、就農
現在、すいか2.1ha、だいこん1.3ha、メロン10a、ストック50a、水稲10aを栽培
出荷は農協を通じて県内及び関西へ出荷
現在、農業青年グループの事務局長を務めている

就農のきっかけから就農まで

 自分の家が専業農家であり、小学生の時から農作業の手伝いをしていた。当時は、農業は重労働で大変だと思っていたが、自分が手伝わなければ親はもっと肉体的にもきつくなり、大変だろうと子供ながらにも感じていた。
 農業に興味を持ったのは、自分が所属している町内の自警団に同年代で農業をしている人がいて、その人から農業の話をいろいろ聞いていたからである。就農のきっかけは、親の体力的なこともあったし、結婚することになったので、それを機に自分がもっとしっかりしなければと思い、就農することに決めた。
自分は長男で、他に農業を継ぐ人もいなかったので、いずれは自分が農業を継ごうと思っていた。親は農業を継ぐよう言わなかったが、自分が農業をすれば親が喜ぶのは分かっていた。
 就農するまでの悩みとしては、一旦就農すると農業中心となるため、その他の経験ができなくなると思ったので、就農までに、やりたいことを目一杯やった。例えばスキー場で毎シーズン泊まり込みで働くなど、いろいろな経験を積んだ。

就農してから現在まで

 農業をやろうと思ってからは、周囲の若手農業者からの誘いもあり、下安原の部会に入った。部会は組織体制がしっかりしており、栽培技術については、部会活動や飲み会の中で先輩方から話を聞き、参考にしている。また、それでも分からないことは普及指導員から関連資料をもらい勉強している。栽培技術は、以前に比べるとレベルアップしてきていると思う。就農したからには「やるしかない」という気持ちで日々取り組んでいる。
 現在の悩みは、部会組織がしっかりしているだけに役員会、懇親会、マスコミの取材対応、市場関係者との懇親など組織としてのつきあいが頻繁にあり、また、その他にも町内の自警団や農業青年活動もあるため、家にいる時間が短く、妻に寂しい思いをさせていること。そんな妻のためにも、もっとお金を稼いで、昔自分一人で行ったニュージーランドにいつか家族で旅行したい。

将来はこんな農業をめざします!

 新たな栽培技術や機械導入により規模拡大を図り、今後10年間で増加するであろう地域の不作付地を減らしたい。

今後就農をめざす人へ

 農業に対するこだわりはもちろん大切ですが、まずはいろいろな人の話を素直に聞くことが重要です。そして、ある程度栽培技術など農業というものが身についてきたら、次のステップとして自分のやりたいようにすればいいと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 山森さんは、良い物づくりを目指し、すいか、だいこんの栽培技術、中でも灌水技術を習得したいと考えている。また、経営への参画についても意欲を持っており、パソコンを使った集計・分析について前向きである。
 農業に積極的な山森さんは地域農業のたくましい担い手である。
 ただ、何かと忙しく夕食をゆっくり取れない時があるとのことなので、健康に留意し、すばらしい笑顔で頑張ってほしい。

高農林総合事務所長

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津幡町の中山間地農業を守りたい!(加藤 篤)

加藤篤

加藤 篤 (かとう あつし)

Profile

石川県津幡町生まれ
サラリーマン生活にピリオドを打ち、地元津幡町牛首で専業農家
水稲を主体とした経営に取り組み、就農後集落内外の農地を集積
現在、JA石川かほくの監事、青壮年部長、認定農業者など地域のリーダーとして活躍

就農のきっかけから就農まで

 サラリーマン時代からJAの青壮年部活動に携わり、様々な地区の農業を見ることができました。自分の地区を振り返ってみると圃場整備の計画も未定、地域を離れて市街地へ移住する人も増えるなど、将来この地区の担い手は?農業はどうなるんだろう?と強い危機感を持ちました。
 自分自身の生活面でも、このころ2人目の子供が生まれましたが、仕事が忙しく、子供と触れ合う時間がほとんど取れない状態でした。
 こんなライフスタイルにも疑問を感じていたことから、両親の反対はありましたが、「自分がこの地域の担い手になろう」と決め、離職し、就農しました。
 就農までは両親の説得に苦労もしましたが、実際の就農にあたっては、実家が兼業農家で0.7haの農地があり、技術的にも全くの新規ではなく、地域とのつながりもあったので新規参入の方よりは障害はなく、スムーズに就農できました。

就農してから現在まで

 就農後は青壮年部活動の人脈で様々な人から農地が集まってきました。現在地元と町内の4集落に利用権設定した農地4.0haがあります。この他にも作業受託(田植え等)のみの圃場が4.0ha、就農当時から津幡町の特産品であるまこもの栽培0.1haにも取り組んでいます。
 サラリーマン時代より所得は減りましたが、家族とふれあう時間が増え、消防団、緑の少年団、体育指導員など地域活動などに顔を出せるようになり、2年前から妻も一緒に農業に携わっています。
 平成17年には雪でハウスが倒壊し、中にあった田植機が壊れるというハプニングも経験しましたが、農機具の共済に入っていたおかげで助かり、なんとか現在に至っています。
 現在引き受けている農地は点在していて、一番遠いところで自宅から15km離れており効率が悪い状態です。今後は、集約することが最重要課題です。また、集落営農の合意が進めばその中で作業の中心となって地域を担っていけたらと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 中山間地域を中心に農地集積を進め10ha規模に拡大したい。
 点在している農地をまとめ効率化を図ることが課題です。

今後就農をめざす人へ

 農業の現状は厳しい。それなりの気構えで望んで欲しいですね。
 でも自然相手の仕事は自分にとっても、家族にとってもすばらしい職業だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 加藤さんは、農業の担い手だけではなく、JA 青壮年部長、緑の少年団育成委員長、消防団員等、地域社会の担い手としても活躍しています。
 まとまった農地を借りられない中山間地域にあって、往復1時間を要する離れた農地も耕作するなどの不利な条件下で頑張っています。そのため、農林事務所としても加藤さんが中山間地域における農業や地域の担い手として、地域の期待に応えられるよう引き続き、支援していきます。

高農林総合事務所長

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皆さんに安全・安心な能登の豚をお届けしたい!!(干場 かな恵)

干場かな恵写真

干場 かな恵 (ほしば かなえ)

Profile

石川県中能登町(旧鳥屋町)生まれ
専門学校卒業後、(株)光画社を経てから就農。両親が経営する養豚を手伝う
七尾鹿島農業青年協議会に加入し、平成16年度は副会長、次いで17年度は県内の農業青年グループでは初となる女性会長を務めるなど、積極的に活動
平成18年に家族経営協定を締結
現在、母豚約100頭を飼育し、子豚から飼育した豚を年間2,300頭を出荷しており、質の良い豚の育成等に力を入れている

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃はよく豚舎で遊んでいて、軽い手伝いなどもしていたので、養豚に対して、悪いイメージはあまり無かったですね。ただ、友達がディズニーランドに行ってきた話などを聞くと、うちは家族で遠出することが難しかったから、やっぱり羨ましかったかな。
 大人になってからは普通にOLをしていましたが、ある時、父が怪我をして母が一人で養豚の仕事をすることになり、少しでも母の力になれればと手伝い始めたのですが、そのままズルズルと(笑)。
 そんな感じで就農したのですが、父の代わりをするには、あまりにも何も知らなかったので、正直心配でした。
 農林事務所からアグリ塾を薦められて通い始めたのですが、今、七尾鹿島農業青年協議会で一緒に頑張っているメンバーの人も同じ時期に通っていたので、一緒に頑張れました。
 アグリ塾は勉強になったのですが、講義だけだったので、実技をもっと研修したかったです。

就農してから現在まで

 就農してからは、両親の補助をしながら養豚の技術を学んでいます。子豚にミルクを与えたり、えさの準備をしたりと、いろいろ頑張っていますが、牙を抜いたり、尻尾をカットしたりは、まだ怖くてできないですね。
 豚は結構繊細でストレスに弱いので、品質の良い豚を出荷するために、ストレスを与えないよう注意したり、えさも出来るだけ新鮮なものを与えるなど心掛けています。愛情いっぱいに育てた豚は、5軒の養豚農家が集まって結成した「むつみ会」の統一ブランドである「能登豚」として出荷しています。
 農業青年活動にも参加しています。養豚だけでなく、他のいろいろな農業に頑張っている年の近い人たちと話をしたり、相談もできたりと、とても役に立っています。
 休日になると、趣味で写真を撮っているのですが、ブログなどで公開できたらいいなと思ってます。子豚のかわいい写真など載せれたらいいなー。

将来はこんな農業をめざします!

 豚舎の消臭など環境への影響を考えながら、「能登豚」のブランド化を図り、安全・安心な豚を皆さんにお届けしていきたいです。

今後就農をめざす人へ

  今から農業をしようとしている若い人は、ぜひ、農業青年グループに参加してほしいですね。
 最初はつい面倒くさいとか知り合いがいないからと敬遠しがちですけど、同じ年代の仲間と語らい、一緒に活動することは大変楽しいです。
 私自身も知人の輪が広がったり、いろんな知識や新しい情報が手に入ったり、良いことばかりでした。

農林総合事務所所長よりひとこと

  「干場ぴっぐファーム」ではじめに目に入ってきたのは、干場さん自ら絵心を活かし描いたかわいい「ブタミン」のポスターでした。優しさあふれる干場さんらしいと思いました。
 今はまだ両親から畜産の技術を習得している最中ですが、早くマスターしてください。
 干場さんの自信作、優しさあふれる「能登豚」を早く食べてみたい。

藤田農林総合事務所長

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魅力ある花づくりは新たな感性とチャレンジ精神から(稲垣 稔博)

稲垣稔博写真

稲垣 稔博 (いながき としひろ)

Profile

石川県宝達志水町(旧押水町)生まれ
県立農業短大で生物生産学科・花きを専攻、卒業後に金沢市内の花き市場に勤務した後、実家の経営に参画し、就農
羽咋郡市の農業青年グループ青雲会に加入、平成20年度から会長となり、羽咋管内で県大会が行われるため忙しい年となった
経営的には主に花き部門を担当しているが、花は市場ニーズに迅速に対応することが重要であり、新たに導入した品種などの栽培技術を習得中

就農のきっかけから就農まで

 子供の時から県内有数の花木の産地である押水で、父の花作りを見て育ち、休日は作業も手伝っていた関係で、父の後を継ぐことは早くから決めていました。
 農業高校と農業短大では花きを専攻し、卒業後は金沢市にある花の流通関係の会社に勤務、学校で学んだ知識のほかに販売や鉢花生産技術についても学ぶことができました。
 花き流通会社に勤務した後、結婚を機に家業に就業し、補助的役割からスタート。多品目栽培に取り組む父のもとで技術の習得に努めました。
 父は脱サラして花き栽培に取組み、切り花ハボタンなど最高の技術を持つ良き教師であり尊敬しています。
 また、家業に就業と同時に羽咋郡市農業青年青雲会の会員となり、現在は会長として積極的に活動に取り組んでいます。
 一方、羽咋郡市切り花研究会に父とともに参画し、切り花生産の振興に向け頑張っています。

就農してから現在まで

 経営内容は切り花部門の中心である小菊を2ha、40品種栽培、7~12月の長期間出荷しています。
 共販により花木を関西市場へ定期便で出荷していることが、切り花も同時出荷でき、コスト面や新たな品種を売り込むのに大きく役立ち、切り花ハボタン、ストック、アスター、ケイトウなど40品種を栽培しています。
 当初は父の指示どおりに働いていましたが、小菊部門の責任を持つようになり、市場ニーズにどのように対応していくか考えると、やるべき仕事が多すぎて、休む時間も惜しいようになってきました。花の栽培は売れ筋に対する情報収集といち早い取り組みが大事で、インターネットで調べたり種子業者の意見を大事にしています。
 新しい品種は土壌適応性や病害虫の発生が異り指導機関との連携が大切であり、花の生育観測地点となっているため、定期的に普及指導員が訪れ、早急に対応してくれるので感謝しています。また、農業青年活動を通じた情報収集も役だっていますよ。
 我が家の自慢は、父が切り花ハボタンを北陸で作れば色上がりが良くなるのではとの市場情報を取り入れ、3年がかりで成功させ、現在、県の戦略品目となったことですね。

将来はこんな農業をめざします!

 今は技術を身に付け、いいものを生産したい。将来はポインセチアやシクラメンなど贈答用の鉢物生産に取り組みたい。

今後就農をめざす人へ

 石川県には花を栽培する仲間が少ないので就農するなら花作りをやってみませんか。
 農業やっていくならこれからは新品種や新技術の勉強が一番大切。
 栽培期間はなかなか勉強する時間が無いので1~2月に本を読んだりインターネットで調べています。
 あとは同じ農業者との幅広いネットワークづくりに努めること。

農林総合事務所所長よりひとこと

 外見はカサブランカと言うより、ささゆり。稲垣さんが物静かな感じのため、周りの花が一層鮮やかに見える。
 小さいときから培われた花を愛でる心が良く表れており、いつの日か稲垣ブランドが日本人の心を癒し、家庭を明るくしてくれると信じています。
 また、石川の伝統ある茶道を支える花生産者として頑張ってください。
 期待しています。

藤田農林総合事務所長

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子供たちにもやさしい野菜作りを目指して(垣田 雅彦)

垣田雅彦写真

垣田 雅彦 (かきた まさひこ)

Profile

京都府出身
地元で建築関係の会社に勤めていたが、農業に興味を持ち、京都府が行う就農農家研修を受講
その後、夫婦で能登島キッズランドの農園管理者のアルバイトを始めた
平成16年度から七尾鹿島農業青年協議会に加入。アグリ塾(月1回コース)を受講しながら、技術を学び、本格的に就農
現在、約4haの農地を管理し、無農薬有機栽培でじゃがいもやトマト、さつまいも等を栽培

就農のきっかけから就農まで

 祖父が専業農家だったこともあって、子供の頃から農業は身近に感じていました。今も伯父が祖父の後を継いで農業をしています。
 京都にいる時は建築関係の仕事に就いていたのですが、その頃から体を使う仕事が好きで、だんだん農業をしたい気持ちが大きくなってきました。
 それで仕事を退職して、京都府の就農農家研修を受講しながら就農する場所を探していたのですが、義兄が能登島キッズランドで野外体験活動の講師をしていたことから、農園管理者として能登島町(現七尾市)に就農しました。大きな決断でしたが、妻は特に反対もせず、ついてきてくれて、一緒に頑張ってくれて、本当に感謝です。
 始めはわからないことだらけで大変でした。周りの勧めもあって妻と七尾鹿島農業青年協議会に入って仲間を作りながら、アグリ塾にも通いました。講義が中心のアグリ塾はあまり面白くなかったのですが、同じく農業を志す人たちと知り合えたことが一番の収穫です。

就農してから現在まで

 平成17年から本格的に就農したのですが、最初の2年間はひどかったですね。キッズランドの農地は荒れ放題だったので、畑にするところから始めたのですが、無農薬有機栽培でやっていこうとしていたので、雑草との戦いで、思うように収穫がなくて大変でした。
 今はそれなりに収穫もあがるようになってきました。キッズランドの農園管理者も卒業して、一農家としてキッズランドの経営母体である(株)成基学園さんに野菜を販売しています。
 キッズランドには、成基学園の生徒さんが夏休み中に800人くらいやってきて、農業体験を行っています。僕たちの作った野菜を収穫したり、料理して食べたり。食育というと少し気恥ずかしいですが、そんなお手伝いもしています。
 他にもスーパーの直売コーナーでも販売しているのですが、最近のガソリン代高騰はきついですね。毎日のように配達に出るのですが、運送代がかかって本当に厳しいです。

将来はこんな農業をめざします!

 無理をせず、自分たちの背丈に合った農業をしていきたいです。でも、無農薬有機栽培にはこだわっていきます。

今後就農をめざす人へ

 自分のスタイルを持ち続けて欲しいですね。いろいろな人に話を聞いて、でもそれに流されないよう、やりたい農業を貫くことが大切だと思います。そして自分の思いを県や市、地域の方にぶつけてサポートしてもらうこと。
 僕は農薬を使わない農業を選んだのですが、周囲の理解や協力があったからできたと思っています。

農林総合事務所所長よりひとこと

 かきたファームを経営する垣田夫妻、京都育ちのやさしい農家が育てる野菜は徹底して有機肥料を使った体にやさしく、安全でおいしい野菜。
 この無農薬有機栽培野菜を思い出深い能登島農道橋を使って出荷していると聞いて、大変うれしく思った。
 もっともっとこの橋を使って安全でおいしい野菜を石川の子供達に。そして、いつまでも心のこもったキッズ農園、かきたファームを大切にしてください。

藤田農林総合事務所長

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ルビーロマンの将来と共に発展を期す(坂本 省一)

坂本省一写真

坂本 省一 (さかもと しょういち)

Profile

石川県宝達志水町(旧志雄町)生まれ
大学卒業後にアグリ塾(通年コース)を受講し、就農。実家の経営に参画
経営規模は葉タバコ200a、ぶどう200a(デラウエア100a、ルビーロマン等大粒品種100a)
主にぶどうの直売部門を任されており、消費者に喜ばれる品質・販売方法等を日々研究
就農当初から羽咋郡市農業青年青雲会に加入、会長等の役職を歴任し、現在は会の頼れる兄貴的存在

就農のきっかけから就農まで

 子供の頃から父が経営するぶどう畑を手伝いながら育ち、長男ということもあり、将来的には経営に参画するつもりでした。
 一度は就職しましたが、母の病気を期に会社を辞めて経営に参画しました。基本的な技術は父のもとで修得したものが主で、アグリ塾に入講しましたが、農作業の忙しい時期にはあまり行けませんでした。今から思えば、農業系の学校で学んでおけば良かったと思いました。
 また、家業に就業と同時に羽咋郡市農業青年青雲会に加入し、農業をしている同年代の人達といろいろ刺激しあえたのは良かったです。
 ぶどう農家と比べてタバコ農家の繋がりは強く、仲間意識が高いので、ぶどう農家も見習うところはあると思います。

就農してから現在まで

 直売所の経営を任されるようになり、切り盛りが大変です。昔はテントでの販売でしたが、結婚を機に、直売所兼自宅を建設し、しっかりやらないとという気持ちが強くなりました。消費者との直接やりとりのため、消費者のニーズに合った品種の選定を行うようになりました。
 大粒の新しい品種(ルビーロマン等)を積極的に取り入れています。直売に合わせた品揃えが大事ですし、例えば3色揃えた箱詰めなどを行っています。さくらんぼの栽培も行い、好評を得ています。
 ぶどう作りはおもしろいけど、手間がかかって大変です。1本ずつ、1房ずつ手をかけて栽培しているつもりですが、失敗することも多々あり、まだまだ修行が足りないと思います。特にルビーロマンは栽培年数が少ないこともあり、難しいですね。
 農作物は何でもそうでしょうけど、自分で売る力を付けていかないとやっていけない、販路の開拓が大事です。僕はパソコンは苦手だけど、何とかホームページが作れるよう頑張ってます。

将来はこんな農業をめざします!

 大粒の新しい品種(ルビーロマン等)をもっと取り入れ、消費者に喜んでもらえるようなブドウ農家を目指したい。

今後就農をめざす人へ

 自分の作っている農作物を好きになるのが一番です。好きになればやる気もわいてくるし、真剣に取り組んで行けると思います。
 農業は楽に出来るものではないし、手をかけなれば良い物は出来ない。良い物を作らないと売れないので、日々の観察の積み重ねが大切だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 はちまきがよく似合い、目がキラキラと輝きテキパキと仕事をこなす行動的な好青年の印象です。
 坂本さんの熱い気持ちでブドウ生産に取り組み、また、工夫しながら消費者に喜ばれる大粒品種の品質向上に努められ、ルビーロマンの将来と共に発展することを期待しています。
 是非、苦手なパソコンをこなしHPを開設してください。

中島農林総合事務所長

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きれいな養豚を目指します!!(平山 正幸)

平山正幸写真

平山 正幸 (ひらやま まさゆき)

Profile

石川県七尾市出身
東京農業大学農学部畜産学科を卒業後、阪神畜産株式会社(本社:大阪府)にて、最新の養豚業を学ぶ
その後、実家に戻り家業の平山畜産を継ぎ、両親と3人で切り盛り
平成17年度から七尾鹿島農業青年協議会に加入、県連理事を務めている
平成18年に家族経営協定を締結

就農のきっかけから就農まで

 子供の頃から養豚の手伝いをしていました。特に動物が好きとかではないんですが、よく豚舎に来てました。だから、親の背中を見て育つではないですが、小さい頃から将来は後を継ぐんだと思ってました。
 それで、高校進学のときから進路を決めて、高校、大学と農学系に進んで、卒業後は阪神畜産株式会社に勉強に行きました。ここは最新の施設を導入していて、規模もすごく大きく、とても勉強になりました。
 一通りの事を教えてもらえたので、家に帰ってきた後も、とても参考になり頑張れました。
 畜産の仕事は農家ごとにやり方が違うというか、それぞれの農家で持論みたいなのがあり、教えてもらったことがすぐ自分でできるわけではないのですが、それでもここで体験してきたことは今もすごく役に立っています。

就農してから現在まで

 今、両親と3人で作業をしています。特に仕事の分担はしていないですね。
 経営では、今年4月に豚舎の規模を拡大しました。少し豚舎が窮屈だったので、豚のストレスも減らせたと思います。豚の数も増やしたいのですが、その前に豚舎を十分清掃しようと思ってます。
 養豚はにおいが問題になりやすいので、環境整備やにおい対策には本当に気をつけています。昔に比べると随分良くなったと思っているのですが、規模を拡大しようとすると、やはり抵抗があるようですね。
 最近、飼料代があがり続けているのですが、養豚では飼料代の比率が高いため、経営に直結して大変です。
 堆肥は化学肥料の値上がりのため、在庫がすぐ無くなるくらいよく出ています。でも単価が安いので、赤字ですが。
 いろいろな情報は、石川県は畜産業が少ないので、コンサルの方からの最新の情報が大変役に立っています。

将来はこんな農業をめざします!

 においなどに気をつけて(今でも気をつけていますが)、きれいな養豚を目指します。

今後就農をめざす人へ

 どれだけ就農する前に学んできたかで、その後の経営が決まってくると思います。
 だから何年間か、自分が目指している農業の先端を行っているようなところで研修してくるのが良いと思います。農業では耳から入った知識だけでなく、体で覚えた経験が自分を助けてくれると思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 平山畜産は中山間の谷内田を利用し、両側が山に囲まれ、登り窯のように豚舎が並んでいる。
 平山さんの将来の方向にあるように、気になるような臭いはしない。豚舎の清掃が行き届いているのだろう。
 県道沿いの真っ赤なサルビアの花壇が訪問者を迎えてくれる。
 8年ほど前に県の環境美化コンクールで優勝されたそうだ。
 これからも、地域に愛されるきれいな養豚を目指して頑張ってください。

藤田農林総合事務所長

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若者が生き生きと働ける農業を目指して(濱田 友紀)

濱田友紀写真

濱田 友紀 (はまだ ゆき)

Profile

東京都生まれ
農業者大学校で学んでいた羽咋市の農家の長男と知り合い結婚
その後、羽咋市に在住し、就農を開始
まず、水稲育苗ハウスを利用したメロン、ネギ等の栽培を習得した。現在は販売部門に力を入れている
就農直後から様々な活動に積極的に取組み、全国農業青年グループの副会長に就任したほか、県内の若手女性農業者の会「I♥I(アイアイ)スマイルの会」を立ち上げ、中心的な役割を果たしている

就農のきっかけから就農まで

 東京で生まれ育ち、田舎が無かったので、子供の時から田舎暮らしに憧れていました。たまたま農業者大学校に修学していた夫と知り合い、羽咋に住むことになったのですが、思い描いていた田舎のイメージとぴったりでした。実家が共働きであったこともあり、サザエさん一家のような食卓を家族で囲むような団らんがあるのが嬉しいですね。
 他の人は農業はきついとか汚いとか悪いイメージがあるかもしれませんが、私はそのイメージが全く無く、ゼロからのスタートだったので、見るもの、聞くことすべてが新鮮で抵抗なく受け入れることが出来ました。
 まず、メロン栽培から教えてもらったことが、収穫の喜びを感じることが出来て良かったと思います。
 農作業日誌をつけて毎日の記録を残したことが、失敗した時に原因を調べることが出来るので便利でしたよ。

就農してから現在まで

 実際、何年かやってみるといろいろ壁にぶつかりましたね。まず、地元に同年代の人がいなくて、子育てしている時も話し相手がいない。また、家とハウス・田んぼの往復となり、他に友達が出来ない。農業青年グループに入ったけど、男性だけの会でおもしろくなかった。
 そんなこともあり、一時期農業を離れ、外で勤めることにしました。その中で友達も増え、農産物を買ってもらえるようにもなりました。また農業青年グループも夫婦で入れるようになりました。そのような中で全国農業青年グループの副会長の話が回ってきて、全国各地のいろいろな農作物を作っている友達もたくさん出来ました。
 また、外に出づらい若手女性農業者が集まり、問題点を話し合ったり、活動をすることでお互いに研鑽するため「I♥I(アイアイ)スマイルの会」を立ち上げて、ネットワークを広げるように頑張っています。

将来はこんな農業をめざします!

 加工所を作って、生産・加工・流通までを行いたいです。
 もっともっと力を付けて、農業を志す若者が生き生きと働ける職場環境を作りたいです。

今後就農をめざす人へ

 私のように農家へ嫁に入ったら、家の人に言いづらいかもしれません…が、自分の言いたいことははっきり言う。その方が結果的に良い結果になる場合が多いです。
 夫や家の人について圃場に行き、分からないことは聞いて率先して覚える。そうすれば、家族の会話にも入れ、溶け込めると思います。
 壁にぶち当たることもあるかもしれませんが、一緒に頑張りましょう!

農林総合事務所所長よりひとこと

 東京生まれの東京育ち、都会の感性と持ち前の明るさや行動力で、若手女性農業者の交流を深め、ほっとなネットワークをもっともっと広げ、全国区の活躍を期待しています。
 また、理想とするサザエさん的な明るく楽しい家族や、濱田さんの苦労が苦労でないと思う前向きなプラス思考で目標とする農業を目指し頑張ってください。

中島農林総合事務所長

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能登島を新規就農者のメッカにしたい!!(高 利充)

高利充写真

高 利充 (たか としみつ)

Profile

石川県金沢市出身
神奈川大学経済学部卒業後、(株)田島ルーフィングに就職、福岡県に勤務
その後、能登島に移り住み、約1年間の農家研修を経て、本格的に就農
七尾鹿島農業青年協議会会長や七鹿農業振興協議会理事、赤土馬鈴薯部会会長等の役職を務め、地域農業の発展に貢献
平成16年に妻博子さんと家族経営協定を締結
有機JASやエコ農業に取り組み、7haの農地とハウス3棟を経営し、じゃがいも、さつまいも、かぼちゃ等50種類の野菜を栽培

就農のきっかけから就農まで

 もともと自然が好きで、農業は良い仕事だと思ってました。
 就農のきっかけは、まだ勤めていたときですが、有機農法を行っていた知人を訪ねて能登島に来たときに、この知人から「医食同源」、「身土不二」の言葉と意味を教えてもらって感動したんです。その時に芋掘りも体験させてもらって、こんな人生もいいかなって思いました。また、いとこが能登島で漁師をしていたので、親近感もありましたね。
 そこで当時付き合っていた彼女に相談したら、いいね!! って応援してくれて、二人で就農する事になりました。彼女が今の奥さんです。
 就農については家族から反対もありましたが、十分話し合った結果、認めてくれました。今では高農園の一番のサポーターです。
 実際就農するにあたって、能登島の農家さんに1年間研修をお願いしました。事前に用意していたお金は使い切ってしまったので、研修しながらアルバイトもしました。大変でしたが、このときに教わったことや知り合った方々、そして休みなく頑張れたことが、大きな財産になっています。特にいろいろな活動を通じて知り合った方々は、今も僕の先生であり大切な友人です。

就農してから現在まで

 就農1年目はやっぱり苦労しました。収量も単価も低くて、目標販売額を下回りました。その上、久々の大雪で施設にも被害が出て、でも、来年は頑張るぞって、反対に力が沸いてきました。
 2年目以降も特に土作りに力を入れながら頑張りました。環境にも体にも優しい農業を目指し、就農当初から目標としていたエコ農業や有機JASに向けて取り組みました。
 僕みたいにゼロどころかマイナスから始めた新参者は、人と同じことをしていては生き残れないと思っていたので、どうやって高農園としての特徴を出すかいつも考えていました。販売でも、JA能登わかばさん等への出荷を行いつつ、いろいろな機会や知り合った方々を通じて積極的に新しい販路を探しました。
どこと取引をするのか、市場かスーパーか個別取引なのか、そこをしっかりしておかないと安定しないと思います。
 有機農業は始めが大変なので、いつか能登島で低農薬等に特化した新規就農者の受入れ態勢ができたらなと思ってます。

将来はこんな農業をめざします!

 能登島赤土野菜の全国発信。そして地域で後継者を育て新規就農のメッカにしたい。

今後就農をめざす人へ

 しっかりと計画を立てて下さい。何をどこでどうやって作るのか、機械や農地の手配、売り先はどこか、必要な項目を入れた就農計画書を作ってみてください。事前にできる準備も見えてくると思います。
 あと、人との出会いを大切にし、自分の先生を探すことです。地域の農家の方や同じ作物の産地の方、頑張っている方に指導を受けましょう。厳しい方も多いですが、あなたが本気でぶつかれば、必ず真剣に答えてくれます。

農林総合事務所所長よりひとこと

 高農園のご夫妻は、新聞や雑誌などに数多く掲載され大変メジャーな方であるため農業への取組方についてお聞きしました。
 就農前の下準備、どんな農業を目指すか、更に求評会後の取組など熱く話していただき、「能登島を新規就農のメッカにしたい」と語られた。
 その情熱で「能登島をまるごと野菜生産団地」として売り出して下さい。
 そして、後に続く新規就農者の良き相談者としての活躍を期待しています。

藤田農林総合事務所長

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羽咋農業の将来を担う水田経営(杉浦 龍彦)

杉浦龍彦写真

杉浦 龍彦 (すぎうら たつひこ)

Profile

石川県羽咋市生まれ
大学(非農業系)を卒業後、東京の民間会社に就職
結婚後、実家の羽咋に戻り、父が社長を務める農業法人((有)グリーンアース杉浦)の従業員となり就農
就農時から羽咋郡市の農業青年グループ青雲会に加入し、平成20年度には副会長に就任
現在、栽培技術を習得すると同時に、いかにして農業経営を安定させるか、日夜勉強
栽培品目は水稲、麦、大豆

就農のきっかけから就農まで

 結婚し、子供が生まれたことが、実家に戻り就農しようと思ったきっかけです。自分の生まれ育った羽咋市は自然も多く、子供を育てるのに良い環境だと考えたからです。
 両親からは「帰って、農業をしろ」と言われたことはなく、自分と妻の意志で帰って来ました。
 実家の経営に参画してみて、学生時代に手伝っていた田植えや稲刈りは思っていたとおり、スムーズに作業が出来ましたが、それ以外の今まで手伝ったことのない時期の仕事はまだまだ覚えることがたくさんありますね。

就農してから現在まで

 現在は、経営・販売方面に力を入れて勉強しています。各種の講習会に参加したり、農家のネットワークに参加して意見交換をしたりしています。会社で働いている時に簿記の資格を取ったのが、役に立っていると思います。
 消費者ニーズに応じた商品づくりを心がけています。特別栽培米、有機栽培米を作って消費者に直接販売しています。技術的なことは、県の関係機関の指導や県内の同様な米を栽培している方から勉強させてもらっています。
 水稲を経営の柱として、いかに経営を安定させるかを考えています。野菜や加工などは今のところ考えていません。特別・有機栽培米を作る技術を確立し、収量を増やしていきたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 時代と消費者ニーズにあった商品が作れる、柔軟な経営。

今後就農をめざす人へ

 農業は初期投資が大きく、習得することもたくさんあって、簡単な職業ではありませんが、しっかりとやれば答えが出ると信じています。
 そのためには、栽培技術だけでなく、販売・経営的な知識も必要となってきますので、いろいろな知識を持っている方が有利ですね。

農林総合事務所所長よりひとこと

 子供の教育環境を考えて東京からU ターン、自らの意志で家業の農業法人に就職された子供想いの優しい人柄の杉浦さんです。
 経営学の知識が、今の農業経営に活かされているそうで、これからの農業にはいろいろな知識が必要なことを痛感しました。消費者は高い米も買ってくれます。これからも水稲主体に儲かる農業を目指し頑張ってください。

中島農林総合事務所長

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果樹王国を目指して(金曽 新太郎)

金曽新太郎写真

金曽 新太郎 (かねそ しんたろう)

Profile

石川県宝達志水町(旧志雄町)生まれ
大学(非農業)卒業後、実家の経営に参画し就農
就農時から羽咋郡市の農業青年グループ青雲会に加入し、他の会員と切磋琢磨しながら、経営全般を勉強
りんごのもぎ取り体験など、消費者との交流を大事にしている
栽培品目は、もも、くり、りんご

就農のきっかけから就農まで

 大学を卒業してから、実家に就農したのですが、きっかけは良い就職口が無かったことと、両親が戻ってきたらと言ったことからです。
 もちろん、長男なので、将来的に後を継ごうかなと漠然と考えていました。
 小さい時から農作業の手伝いをしていたので、だいたいの作業は分かっていました。ただ、こういう時期にこういうことをするという、タイミングというか、いつやれば良いかは、まだ分からないので、父親に習っているところですね。

就農してから現在まで

 父親の指導を受け、専門書で基礎知識を勉強しているところなので、技術的なところはまだまだですが、早く身に付けて一人前の農家になりたいです。
 今後は販売面にもっと力を入れたいです。
 今までは直売が主で、知り合いに頼ったり、顧客の予約販売が多かったのですが、来年には、農園の前の農道も完成し、車の通行量が多くなると思うので、自分の作った生産物をもっともっとPRして、販売を拡大していきたいです。
 今は、まだ自分があまり戦力になっていないので、栽培本数を増やせず、果樹のもぎとりは、一部の知人だけにしか開放していないですが、自分に力が付いて戦力となったら、栽培本数をもっと増やして、本格的にやっていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者に喜ばれる生産物がたくさん売れるような経営をしたいです。

今後就農をめざす人へ

 就農する前に農業の基礎知識を学んでおいた方が良いです。最近は異常気象とかも多いので、気象について学んでおくと役に立つと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 就農して3年目、父親に技術を学びながら、専門書で基礎知識を勉強している向上心豊かで勉強熱心な金曽さんです。
 これからもご努力され自分の目指す農業に向け前進してください。農園前の広域農道の開通が来年に予定されており、それが追い風になり、生産物が沢山売れるといいですね。!

中島農林総合事務所長

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地域の胃袋は、地域の食材で満たすべき!!(清水 正宏)

清水正宏写真

清水 正宏 (しみず まさひろ)

Profile

石川県中能登町(旧鹿島町)生まれ
中能登農業共済に就職。平成13年に専業農家となり就農
平成17年には、近隣の農家2名と協同で農事組合法人北部農産を設立し、代表理事となる

◇作付規模
 水稲14.5ha  作業受託5.0ha  大豆15.3ha  野菜0.5ha

ななか農業振興協議会理事
昭和美術会北陸支部長

就農のきっかけから就農まで

 早くに亡くなった父の後を継ぎ、勤めながら1haの水田を守ってきました。機械も揃っていましたので、特に不安もなく就農出来ました。
 その後、圃場整備されたことを契機に専業農家に転身しました。生産調整、米価の下落など、農業が斜陽傾向になっていましたが、「だからこそチャンスだ」と思い、前向きに捉えて行動しました。
 それに日本画を描いている私には「スケッチ旅行に行く時間がほしかったから」というのも就農理由の一つでした。
 就農3年目には、地区の農家2名と農事組合法人北部農産を設立しました。3人で力を合わせ、機械も大型化して、安定した農業経営を目指していますが、農地の集積に苦労しています。

就農してから現在まで

 自分は中継ぎ投手。崩れかけたゲームを立て直して、次に渡さなければならないと思っています。地域の農業を守ってもらうために、自分がこの世界に飛び込んで感じたこと、喜び、障害になったことなどを、自分の言葉で次の世代を担う若者に伝えたいと思っています。
 女性の声を、そして力をもっと生かしたいと思い、昨年から北部農産内で婦人部(ききょう倶楽部)を立ち上げました。
 そして、小規模ではありますが、町内の小中学校とジャガイモと玉ねぎの契約栽培を始めました。毎日の給食に生産者の顔が見える食材を使うことで、児童や保護者の意識は変わるはず。若い世代にも地産地消の重要さをもっとわかって欲しいです。
 そのためにも、私達担い手が率先して地域の胃袋を満たすために頑張らないといけないと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 生産品目の無農薬、有機栽培化を進めていこうと思います。
 さらに、経営安定化のため、学校給食だけでなく、加工にも力を入れていきたいと思っています。

今後就農をめざす人へ

 大切な事は1つ、まず相手の利益を第一に考えることです。
 自分の利益だけを考えていては駄目です。はじめに相手が幸せになり、それが自分に帰ってきて、自分も幸せになる、この流れが大切です。
 この考え方は、昔から受け継がれている日本の商いの基本であると思いますので、ぜひ心に留めて実践してください。必ず道は開けると思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 農事組合法人を立ち上げて4年目、農地集積の難しさ、地産地消の取組、中能登町の学校給食への食材の提供(料理する側の都合でなく、よりおいしいものを子供達に食べさせたい。)、農機具のリース制度、加工品の取組等次から次へと思いを語る姿に、地域の農地を守る法人としての力強さを感じました。
 これからも地産地消、学校給食のために伴に頑張りましょう。

藤田農林総合事務所長

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輪島朝市の新しい名物に!焼栗が大人気!!(松尾 和広)

松尾和広写真

松尾 和広 (まつお かずひろ)

Profile

愛知県出身
高校卒業後、地元流通会社に就職し、その後、建築業、出版会社、漁師など数多くの仕事を経験し、平成17年8月に輪島市の(有)川原農産で農業研修を受け、翌年、廃園化されつつある能登町金山の栗園1.4haを無償で借り受け、農業を始める
生産した栗は「焼栗」を独自で加工して、全国的にも有名な輪島朝市で販売
現在は栗が不足するほどの人気ぶりで、来年度は更に規模拡大を進める計画

URL http://www.wannet.jp/matsuo-kurien/

就農のきっかけから就農まで

 生まれ故郷の愛知県で過ごし、農業とはまったく無縁な生活をしてきました。農業への興味をもったのは、高校を卒業し会社勤めをするようになってからです。会社の人間関係が難しく、組織の中で自分の夢・目標を見いだせないでいました。そんなこともあり、幾つかの会社を転々としましたが、「食べもの」を作ったり捕ったりする農業や漁業の仕事に憧れるようになり、北海道で漁師として働きました。しかし、仕事は船の上。船酔いに苦しみ漁師は自分に無理と判断し、断念しました。
 ちょうどその頃、石川県の奥能登で農家の高齢化から担い手不足で、後継者を募集していることをインターネットで知りました。早速、インターネット先の地域のリーダー的農業者である輪島市の(有)川原農産を訪ね、3ヶ月間の研修をさせていただくことにしました。
 終了後は独立し、能登町の空き栗園を借り、営農を開始しました。
 お客様に喜ばれる「いいものを作って自分で売る」、農業は自分にあった職業だと感じています。

就農してから現在まで

 営農を始めましたが、生活は苦しく、今でもコンビニでアルバイトして生計を立てています。しかし、会社勤めの時のようなストレスはなくなり、朝起きてもイヤだと感じなくなりました。農業をやってよかったと思います。
 借りた栗園は木の高さが5m以上のものもあり、まず、主枝の切り返し剪定による樹高を低く抑えることから始めました。また、併せて新植も行っています。1年目は700kg程度の収穫ができましたが、JA出荷では全部で20万円程度と云われ、どうしようかと迷っていた時、インターネットで知り合った東京の焼栗メーカーの方から焼栗製造についてのアドバイスをいただき、何とか焼栗の製造法をマスターしました。
 あとは販売です。自分で販売するなら「輪島朝市」との思いから、朝市事務所に企画書をもって何度も訪れました。その熱意が通じたのか通常では簡単にとれない組合員の許可をいただくことができました。
 朝市に出て販売を開始したところ、朝市のおばちゃん達からも励ましをいただき、売れ行きは順調で完売することが出来ました。

将来はこんな農業をめざします!

 平成21年には経営面積を5ha に伸ばす計画で、生産量を増やし、輪島朝市の人気商品にしたい。

今後就農をめざす人へ

 独立したい人には農業はおもしろいが、どこで、何を作りたいのか、売り先を考えて就農することが大事です。
 消費者は今「ほんもの」を求めています。安全で美味しいものを作る熱意があれば可能性が大きい職業です。
 農業は時間の使い方が自由で楽しい仕事。作物が育っていく過程を見るのは感動します。自分のしたことに応えてくれます。

農林総合事務所所長よりひとこと

 就農へのあこがれ、挫折感、農業の楽しさ、厳しさを知った1年間ではなかっただろうか。焼栗との出会い、輪島朝市への飛び込み出店など前向きな姿勢がピンチをチャンスに替えてきた。周囲の暖かい目にも支えられ、生き生きと農業に取り組んでいる松尾さんのチャレンジする姿勢に乾杯!
 早くよき伴侶を迎え、夫婦仲良く、農業をされることを願っています。

種本農林総合事務所長

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スーパーで直接販売!お客に喜ばれる農業を!(上田 拓郎)

上田拓郎写真

上田 拓郎 (うえだ たくろう)

Profile

石川県輪島市生まれ。輪島市房田町在住
柳田農業高校卒業と同時に実家で就農
同年 輪島鳳至(当時)地区農業青年グループに加入
実家は両親、祖父の4人で施設野菜主体の専業農家
主な作目は野菜苗30aのほか、露地メロン15a、なす15a、ハウストマト15a、きゅうり15aなど
就農時には奥能登管内でいち早く家族経営協定を締結し、休日や給料を設定
平成15年に農業後継者海外短期研修
平成19年に毎日農業記録賞優良賞を受賞
 

就農のきっかけから就農まで

 我が家の経営面積は、露地畑80a、水田30a、野菜栽培用のパイプハウスが40aで決して大規模な経営規模とはいえませんが、1年のうち前半は家庭菜園用の接木苗を中心に6万本の苗を生産・販売しています。野菜苗の出荷が終わった後は、ハウスにきゅうり・トマト・なす等を栽培し、露地ではかぼちゃ、ピーマンなどを栽培しています。これらの野菜はほとんど地元のスーパーに直接卸しています。
 小さい頃から両親の働く姿をみて、農業の大変さを痛感していましたが、中学を卒業するとき、希望する高校がなかったこともあり父の母校であった旧柳田農業高校へ入学しました。父と同じ先生から農業の基本を教えられ、高校を卒業する頃には自分に一番合った仕事は農業だと思うようになりました。
 また、輪島朝市で野菜やミニ草履を売り、ミニ草履を買ってもらうと朝市音頭を歌う名物の祖母がいて、高校生の頃よく手伝ったこともあり、お客さんと話すことにあまり抵抗感がなく、現在の販売などに活かされているように思います。

就農してから現在まで

 高校を卒業し、上田農園に就農しました。就農当時は父から「あの仕事をしてくれ」と云われるままに作業をしてきました。当時を振り返れば農業者ではなく単なる作業員であったような気がします。
 就農して5年目、父が海外研修で1週間家を留守にすることになり、ハウス管理を全面的に任される機会がありました。今まで何をしてきたのかと不安ばかりが先に立ち、父から、留守中の作業について初めて真剣に教わりました。父が研修に出発した後、目の前に広がる24棟のハウス管理は自分にかかっていると思い、この時ばかりは、昼夜を問わずハウスをこまめに管理しました。この経験があって農業の楽しさ、大変さがわかったような気がします。
 それ以降、気が付いたことがあればメモして書き残すようにしています。経営を大規模にして、手が回らないより今の規模でロスのない経営をしたいと思っています。お客さんに「おいしいよ」と喜ばれ、また、地元の人に信頼される農業にこだわりたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 味の違いがわかる、「こだわりトマト」を作りたい。

今後就農をめざす人へ

 農業は決して甘いものではない。覚悟を決めて就農して欲しい。ただ、やればやっただけの成果がある。わかりやすくて楽しい仕事です。
 自分でやりたいことをできるだけ早く見つけること、そして実践することでサラリーマンにはできない、農業のおもしろみが見つかるはずです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 訪問したときは父親とキュウリの接木の真っ最中。父親の義正さんに後継者を作る秘訣を聞いたところ、「夕飯の時、夫婦で毎日儲かったときの話をすること」だそうです。経費は就農してからとか。拓郎君は笑って聞いていました。現在トマトハウス2 棟を任され、その売り上げは給料以外のボーナスとか。美味しいトマトを作って拓郎ファンを広げてください。

種本農林総合事務所長

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家族三世代で効率的な水稲複合経営!!(谷内前 達也)

谷内前達也写真

谷内前 達也 (やちまえ たつや)

Profile

石川県珠洲市生まれ
石川県立農業短期大学卒業後、金沢市の建設会社に勤務
その後、家業である農業を継ぐため珠洲に戻り、就農
平成17年に結婚し、同年12月には祖父母、父・母、本人・妻の3世代で家族経営協定を締結
現在、1男1女の良き父である
来年度は更に規模拡大を進める計画
 

就農のきっかけから就農まで

 我家は祖父母の代からの専業農家で、子供の頃から農業を身近に感じて育ちました。その頃は、水稲と椎茸、カーネーションを栽培していましたが、最近は水稲+大豆+施設軟弱野菜による複合経営を行っています。
 地元の普通高校を卒業時、将来は親の跡を継いで農業をやりたいという思いや普及指導員からの薦めもあり石川県立農業短期大学農業工学科に進学しました。卒業後、大学で学んだことを活かしたいと思い、金沢の建設会社に就職しました。
 しかし、建築関係の仕事が減ってきたことや、祖父母が作る小松菜の所得が自分の給料より高いのを見て、家業を継ぐ決心をしました。父は私が自分で決意するまで、戻って来いとは言いませんでした。
 平成17年には、祖父母、父母、自分と妻による家族経営協定を締結し、各自の役割分担を定めました。
父が水稲と簿記記帳、母が施設野菜と労働日誌の記帳、私はその補佐をし、1日の労働時間や休日の回数などの就業条件や1ヶ月の給与を明確にしました。
 現在では、水稲と大豆の栽培管理を父親とともに担っており、機械作業をメインに行っています。

就農してから現在まで

 就農当時は、農業は単純な作業が多く、水稲や大豆は機械化が進んでいるため、何て楽な仕事なんだろうと思っていました。
 しかし、就農して3年目になり、農業の難しさに直面しています。農業は種を播いてから収穫までの期間が長いため、結果がでるのが遅く、また、自然相手であるため同じことをしていても結果が毎年違います。今は父や祖父に教わりながら、いつかは2人を越えたいと思っています。
 現在、水稲を約20ha作付していますが、昨年から省力化のために一部で不耕起V溝直播栽培を導入しています。これは育苗作業が不要な分、労力を施設野菜などの他の品目に分けられるため、作業の効率化につながります。現在、直播栽培の面積は4ha程度ですが、将来的には区画の大きい圃場を中心に、全体の8割以上で導入したいと思っています。
 今後とも、新しい技術や品目を取り入れることで意欲的な農業経営を目指していきたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 人を雇ってまで規模拡大をするつもりはなく、あくまで家族経営で効率的な経営を行っていきたい。

今後就農をめざす人へ

  農業は思った以上に難しいものです。しかし、それを乗り越えることにやりがいや喜びを感じることができます。
 私の場合は、家族という身近な所に先生がいました。本気で農業を始めるためには農業青年グループに参加したり、普及指導員とつながりを持つことで、良い先生、良い仲間にめぐり合うことが大切だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 ご両親は昨年、日本農業賞(県代表)を受賞されました。その時の審査委員から、大規模な経営展開が困難な奥能登で、農地を集積し、作目選択と複合化により極めて効率的で堅実な経営を行っていることが評価されました。達也さんには家族経営の良さをより追求して、働き方、家計と経営の分離、もう一つはイノベーションについて常に目を向けて欲しいと思います。

種本農林総合事務所長

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自ら販売することで、お客の心を捉える!(川原 伸章)

川原伸章写真

川原 伸章 (かわら のぶあき)

Profile

石川県輪島市町野町徳成谷内生まれ
松任農業高校から筑波大学に進学
大学卒業と同時に実家に戻り就農。実家は水稲+果樹の専業農家
平成13年に(有)川原農産を設立し、主に営業販売部門を担当
水稲18.5ha、くり2.0ha、りんご0.8haを栽培
同年、輪島鳳至(当時)地区農業青年グループに加入
平成18年に結婚、翌年娘が誕生して父親としても頑張っている
 

就農のきっかけから就農まで

 中学生の頃、「長男は家業を継ぐもんだ、高校は地元農業高校しか許さん」という父に、ささやかな抵抗を示し、同じ農業系でも松任農業高校に進学しました。
 高校入学当初から大学進学を考え、学費の安い国立を目指し、松任農業高校から19年ぶりに筑波大学へ合格することができました。大学では海洋微生物学を専攻しました。大学3年生になり、食品メーカーに就職したいという自分の希望と、家業の農業を継いでほしいという父の希望の間で1年間悩みました。
 久しぶりに帰郷した時に、足腰が曲がり一回り小さく見えた祖母の姿を見て、いつまでも大変な農業をさせておいていいのだろうかという気持ちになり、家業の農業を継ごうと決意しました。
 就農した初年度の9月から10月、くりの収穫・選別・市場出荷、水稲の収穫・乾燥調製と重労働が続き疲れ切っていた時、田んぼの地主さんから「お兄さんが帰ってきたので安心して田んぼを任されるよ」と感謝されたことや、くりの出荷で市場のセリ場中央に川原用の場所を空けて待っていてくれたことがあり、農業の面白さを感じました。農業を一生の仕事としようと決意した瞬間でもあり、祖母のためでなく、自分のために自分の意思で自分のやりたい農業をしようと決意しました。

就農してから現在まで

 就農はしたが月給の無い暮らしに不満があり、仕事とプライベートの時間をはっきりさせたいとの思いから法人化をめざしました。
 水稲経営基盤の強化を図りたい父の思惑とも一致し、平成13年10月に(有)川原農産を設立しました。その後、経営規模は4haから毎年約2haづつ増加し、平成20年には約18haと拡大しました。
 毎月の給料を確保するには、毎月売上げを上げるしかないとの思いから、米の直売を始めました。俳優の永島敏行が主催する「青空市場」に参加したことが貴重な経験となり、物産展やイベントへ積極的に参加するようになりました。お客様の声を直接聞くことができ、評価されたものについては、多くがリピーターとなるので、直売も順調に増加しています。
 技術的には、数十年のキャリアを持つ父を越えるには経験不足だと感じています。しかし、発想力や企画力を活かして営業、販売面では父に負けていません。プレミアムパスポート事業に協賛した子育て家族向けの学割米、能登ひかりをおにぎり専用米として、結婚式の引き出物に能登の花ヨメ米などを自社ホームページで販売しています。今後はさらに商品を増やすなどして、販売面に力を入れていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 血は繋がっていなくても親戚のように信頼関係のあるお客さんを一人でも多く作りたい。

今後就農をめざす人へ

 技術・資金が無くても周りの人を引き付ける魅力があれば、農業を始めることは出来ると思います。
しかし、何が何でも折れない信念・覚悟を持たないと農業は続けられない。苦しみを楽しみに変える力と行動力を身に付けて欲しいと思います。
 人と会い話をすることが苦手、自然の中で一人で働きたいと思っている人は農業に向いていない。農産物の販売のように、人と接することが農業でも大切なことだから。

農林総合事務所所長よりひとこと

 東京での求評懇談会でご一緒させていただき、顧客満足度を常に意識されておられる姿勢は立派だと思います。
 また、映画「能登の花ヨメ」の最後の字幕に川原農産の名前がありビックリ。新しい発想力で次世代の販売・企画戦略に期待しています。
 余談ですが、父義正さんと一昨年、会合で会った際、ご結婚されたことを大変喜んでおられたのを思い出します。

種本農林総合事務所長

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豊かな奥能登で時代を拓く農業を創る新田舎百姓(皆口 英樹)

皆口英樹写真

皆口 英樹 (みなくち ひでき)

Profile

石川県珠洲市生まれ
東京農業大学を卒業後、東京で建築会社に就職
その後、珠洲に戻って実家で就農
実家の(有)みなくちは水稲(6ha)、すいか(1.5ha)を主体として大納言小豆(6ha)、ねぎ(4ha)等による大規模な園芸と水稲の複合経営を営んでいる
「赤土すいか」、「能登大納言」、「こだわり米」、「赤土ねぎ」は高付加価値商品として市場で高い評価を得ており、それに加え独自の販売チャンネルを開発
現在は観光いちご園(4a)にも取り組んでいる
 

就農のきっかけから就農まで

 子供の頃から家を継ぐことを考えていた。誤解を招く言い方かもしれないが、農業をやりたかったわけではないが、やらないといけないと周囲の大人たちに期待されて育った。
 高校を卒業後、農業の勉強をするため、東京の大学に進学した。もともと大学卒業後珠洲に帰ってくる約束だったが、東京での生活が楽しく、しばらく東京で働くことに決めた。
 大学卒業後、アルバイトで始めた内装業の会社に就職し、やがて仲間が設立した会社でナンバー2として働いた。仕事は主に賃貸マンションのリフォームで当時はとても忙しく、休みがなかったが、給料が良かったので同年代の会社員に比べて裕福な生活をしていた。当時住んでいた部屋は、俳優が以前に住んでいたらしい。しかし、その仕事を一生続けようと考えたことは一度もなかった。約束をずるずると先延ばしにしていたが、いい加減に帰って農業を継ごうと思い立ったのが27歳の秋だった。

就農してから現在まで

 就農した当初はアルバイト感覚だった。シルバー人材センターから派遣されたアルバイトさんと一緒に父の言う通りに作業をこなしている感じだった。その頃は農業は面倒臭いと感じることが多かった。水稲と違って野菜作りは機械化していない部分が多く、手作業で細かな仕事が多い。定植や整枝、収穫など肉体的に辛いと思ったことはないが、単純作業が嫌になることがある。
 しかし、続けているうちに楽しさを見出せるようになった。なんといっても、育てたものが大きくなって収穫して食べたときの美味しさは格別で、今年掘りたてのじゃがいもは特に美味しくて感動した。
 また、今年からいちごの観光農園を始めたが、父の計らいでいちご園の運営を主体的に任されている。栽培のノウハウは内浦の赤碕いちごの生産者のところに通って教えてもらっている。ゴールデンウィークには1日で100人を超えるお客さんが来てくれ、小さい子供たちが美味しいと言って食べてくれる様子を見ると、うれしくて頑張った甲斐があったと思いました。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者に美味しさや喜びをとどけ、楽しみを発見し続けられる農業を実践していきたい。

今後就農をめざす人へ

 先ずは本当に農業が自分に合っているか、それで生活を成り立たせることができるかしっかりと考えることが必要。
 農業は予想以上に大変で、新規就農の場合はなおさらだ。給料がもらえるわけではないので、しっかりやらないと自分の食べていくお金も稼げない。一度、体験をしてみて、その上で農業で生きていくと確固たる決意ができたら就農を目指せば良いと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 父親の和寛氏はこれまで、国営開発地営農のパイオニアとして複合経営を確立してこられた。また、販売においても地元や金沢市内のスーパーとの契約、インターネット販売など独自の路線を築かれた。
このような、立派な先生が身近におられることは恵まれた環境にいると思う。このチャンスを生かして、現在取組中の観光いちご園を成功させてください。期待しています。

種本農林総合事務所長

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内浦園芸のブランド力を高めたい!(中野 幸作)

中野幸作写真

中野 幸作 (なかの こうさく)

Profile

石川県能登町(旧内浦町)生まれ
柳田農業高校卒業後、富山県のサカタニ農産で研修を受ける
その後、能登町の実家に戻り就農。実家は両親、祖母の4人で施設野菜主体の専業農家
主な作目はトマト48a(うち養液土耕18a)、きゅうり26a、メロン6aなど
就農と同時に、農業青年グループ珠洲あぐり倶楽部に加入し、平成16、17年には会長を務めた
平成13年に家族経営協定を締結
 

就農のきっかけから就農まで

 柳田農業高校に入学した時には就農する気持ちは持っていませんでした。高校を卒業する頃になると農業に対する関心が強くなり、農業系の大学へ進学してさらに学ぶつもりでいましたが、父親の強い勧めで富山県のサカタニ農産で研修を受けることにしました。
 サカタニ農産は水稲の大規模経営法人で全国から多くの研修生を受け入れています。研修期間中、研修生は寮で共同生活を送るので、同世代の仲間がたくさん出来ました。研修が終わると研修仲間は全国に散らばりましたが交流は続いており、この仲間が私の財産の一つとなっています。
 2年半の研修では、水稲の補助的作業から、一般管理、トラクターでの耕うんまでを身につけましたが、我が家はトマト主体の施設園芸なので習得した技術が実際に役立つことはありませんでした。それでも組織の中での人間関係の大切さや地域住民に対する気配りなど、栽培技術以外のところで得るものが多くありました。

就農してから現在まで

 内浦に戻り就農してから10年がたちました。トマト栽培ではまだまだ父親に及びません。昨年からトマトの養液土耕栽培を始めました。父親も習得していない新しい栽培法であり、父親に追いつくチャンスと捉えて毎日勉強して技術を磨いています。
 農業は晴耕雨読のイメージがありますが、施設園芸は天気に左右されないため休みが取りづらい面もあります。農繁期には1日12時間労働で1ヶ月に1日しか休めないこともあり、子供と遊ぶ時間がとれず正直しんどく感じます。
 今後は農作業日誌をつけ、作付計画を見直して余裕を見つけたいと思います。5年前からアールスメロンの栽培を任され、年々品質・収量とも向上してきましたが、県内他産地に箱当り単価500円の差をつけられてしまいます。来年は栽培面積を倍に増やし、出荷期間を延ばして対抗したいと思っています。
 就農と同時に農業青年グループ珠洲あぐり倶楽部に入会し、県連理事となって県全域での活動を行ってきましたが、今後はより地元に密着した珠洲あぐり倶楽部の活動に力を入れたいと思います。人数は少ないですが、あぐり倶楽部のメンバーと一緒に活動できることが今一番の楽しみです。

将来はこんな農業をめざします!

 社会環境の変化に左右されない農業を目指します。

今後就農をめざす人へ

 農作物は収穫まで最低でも2~3ヶ月かかる。満足できるものをつくるには数年はかかる。結果はすぐに出ない。辛抱強く、粘り強く続けることが大事。
 地域の人に配慮することも必要。農薬散布を事前に知らせる、道路に泥を落とさないなどに留意することで、トラブルは防ぐことができる。

農林総合事務所所長よりひとこと

 旧内浦町長尾集落の施設園芸は幸作さんの生まれる以前の昭和42年に朝日農業賞を受賞した石川県内でも古い園芸産地です。その伝統を受け継いで頑張っている姿に頼もしく感じます。
 農業の中でも施設園芸は気象に左右されることが少なく計画的な作業がしやすい特徴があります。
 栽培技術とあわせて作業計画づくりにもチャレンジしてみてください。

種本農林総合事務所長

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大規模法人の水稲管理を担う若手のホープ(原 輝雄)

原輝雄写真

原 輝雄 (はら てるお)

Profile

東京都出身。3児のやさしい父親
短大を卒業後、宮城県で農業土木関連の設計コンサルタント会社に就職
その後、一念発起して珠洲市の大規模水稲経営の農業法人「(有)すえひろ」に転職し、就農
現在、(有)すえひろの水稲の栽培管理を一任され、多忙な日々を過ごしている
 

就農のきっかけから就農まで

 そもそものきっかけは、高校生のとき、知り合いの家にさつまいもの草刈を手伝いにいったこと。作業は辛かったけど、仕事を終えた後の充実感や爽快感を感じ、漠然と農業関係の仕事に就きたいと思いました。しかし、家は農家ではなかったし、また、理数系の勉強が好きだったので、農業土木を学ぶために短大に進学しました。
 卒業後は農業土木関連の設計事務所に就職しました。業務内容はポンプ場やパイプライン等の灌漑排水施設の設計で、当時はとにかく忙しかったです。残業で帰りが常に遅く、家族との時間もほとんどありませんでした。仕事に追われる日々の中で、やりたいことをしたい、農業をしたいという思いがつのっていきました。
 そんな中、法人協会のホームページでいくつかの農業法人が従業員を募集していることを見て、就農を決意しました。(有)すえひろに決めたのは、米作りをしたかったから。当時、すでに子供が3人おり、下の子は1歳ぐらいの頃でした。不安は大きかったが、やりたい事をしたいという思いが強くありました。
 今でも奥さんは不満をもっているみたいだけど(笑)。

就農してから現在まで

 就農して一番困ったことはお金です。年収が会社員の頃に比べて大幅に減ってしまいました。また、言葉に慣れるのにも戸惑いました。最初の1年間は体力的にもつらかった時期です。
 良かったことは、帰りが早くなったことです。今は、家に帰ると、朝飯の片付けをして、夫婦で夕飯を作って、子供をお風呂に入れます。会社員時代にはできなかったことです。また、昔は体重が87kgもあり、高血圧で肝臓も悪かったが1年で健康になったように思います(笑)
 数年前から、田植えから稲刈りまでの管理を任されています。水管理や施肥、防除など作業計画を自分で立てて行っています。責任を持たされてやりがいもありますが、プレッシャーもひどく感じます。経験が豊富なら当たり前に管理できますが、自分は経験が浅くできません。それを埋めるために、普及指導員に話を聞いたり、自分で土づくりの勉強をしたり、最近は生育のデータを圃場毎にとっています。
 昨年は穂肥の時期が遅く収量が少なくなりました。今年は時期を早めて量も増やしていますが、変化のない田んぼもあります。なんで?と思いますが、データを残していけばその理由が見えてくるかもしれないと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 効率的・能率的な管理で本当にうまい米作りを!!
 早生で9俵、中生で8俵が直近の目標

今後就農をめざす人へ

 金のためだけなら農業はやるな。でも、我慢してもやる価値はある。
 農業は失敗がある程度許容される。また、思った以上に上手くいくこともある。皆で作業する楽しさもあるし、コンバインから籾が出てくる様子をみるのはやっぱり嬉しい。
 法人に就農するなら、単なる従業員ではなく、“本物の百姓”になってほしい。会社役員と対等に話せるような知識と技術を就農当初から目指して欲しい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 農業とまったく無縁の人生を歩みサラリーマンを経験してきた原さんならではの農業感にこれまで忘れかけていた農業のよさを思い出させてくれました。
 農業は工業とも商業とも違う。ましてやサラリーマンとも。自然に影響を受ける農業。生活と一体化した農業。
 作物を育てるのと同じように、喜びが感じられる農業人生を心から応援します。

種本農林総合事務所長

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フロンティアスピリットで奥能登を開拓する(瀬爪 忠)

瀬爪忠写真

瀬爪 忠 (せづめ ただし)

Profile

石川県能登町(旧内浦町)生まれ
地元の高校(建築科)を卒業後、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校に進学
その後、2年間アメリカはワシントン州で酪農の研修を受ける
帰国後、(有)内浦町農産公社へ就職。公社に4年勤めその後、(有)内浦アグリサービスへ転職
内浦アグリサービスでは、畑作全般を担当しており、常に新しい品目に挑戦
 

就農のきっかけから就農まで

 高校は建築科で卒業後の就職先もほぼ内定していました。しかし、父の強引な勧めで長野県にある八ヶ岳中央農業実践大学校に進みました。農業に興味や関心があった訳ではないので、父に素直に従った形でした。
 農業大学校卒業後は国際農業者交流協会の海外研修でアメリカへ渡りました。研修先は西海岸最北部のワシントン州で、搾乳専門の酪農農家でメキシコ人と一緒に2年間働き続けました。アメリカの農業は規模がケタ違いに大きく、技術は日本で役に立つものではなかったように感じました。
 海外研修で収穫できたことは2つ。1つはアメリカの開拓精神(フロンティアスピリット)を肌で感じられたこと。不屈の精神や人生の考え方、子育ての方法など新鮮に感じました。アメリカでは農地は若い時に買い、それを元に経営・規模拡大し、リタイアする時には売り老後の生活資金にする。農地は自分の子供に継がせるものではないという考え方には特に共感しました。アメリカ的なドライな考え方というより、グローバルな考え方が身につきました。
 もう1つは、海外研修の同期の仲間が出来たことです。研修を終えて帰国し就農した同期生は全国に90人ほどいて、今でも交流は続いています。能登で農業をしていると同世代が少なく寂しく感じることもありますが、同期生のネットワークがあるので救われています。海外研修が終わり帰国する頃には、自分の意思で農業を仕事に選びました。農業で生活が出来ないのであれば、農業にこだわらず転職する意思も同時にありました。

就農してから現在まで

 帰国後は役場職員の勧めで(有)内浦町農産公社に就農しました。公社に4年間勤めた後、(有)内浦アグリサービスに転職しました。
 内浦アグリサービスは水稲主体で冬場の仕事として菌床シイタケや野菜栽培も行っています。私は主にカボチャ、ネギといった露地野菜を担当しています。全体の売上げに対する野菜の割合が一番小さく、野菜の売上げを上げることが私の当面の目標です。そのため新しい品目に挑戦し続けています。新しい品目に必要な技術は近所のベテラン農家や普及指導員、現代農業などの書籍から得ることもありますが、一番頼りにしているのは海外研修で得た同期生のネットワークです。同期生は水稲、野菜、果樹、酪農などいろんな種類の農業をしているので、そのつてで全国に勉強しに行っています。海外研修同期生は本当に私の財産だと思います。
 農業をとりまく環境は短期的にはとても厳しいが、中長期的にみると明るくなると思います。それまでは技術習得と新しい人脈づくりに頑張ります。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者と生産者のズレ(品質、価格、価値観)をなくして、市場を通さず直接消費者に販売したい。

今後就農をめざす人へ

 非農家出身で技術・資金の無い人は農業法人へ入った方が良い。その土地の気候や風土に合った技術を身につけられるというメリットは大きい。
 また理想と現実は違う。会社・組織の中では人間関係や仕事内容など問題や障害もでてくるが、それから逃げて組織をやめ独立しても失敗する。挫折や失敗は前に進めるステップとなるので気にしない。転んでも砂をつかんで立ち上がれ!妥協だけはしないこと。

農林総合事務所所長よりひとこと

 瀬爪さんの話を伺っていると、農業者の子弟にあまり感じられなくなった覇気を感じます。これもアメリカでの2年間の研修成果でしょうか。技術よりも開拓精神を肌で学んできたことが、今日の瀬爪さんの生き方に色濃く反映しているように思います。畑作担当として消費者の求める商品を作りたいと日焼けした笑顔が頼もしく感じられました。とにかく納得いく農業を目指してチャレンジしてください。

種本農林総合事務所長

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生産環境の厳しい葉タバコ経営で生き残りをかける(宮野 峰生)

宮野峰生写真

宮野 峰生 (みやの たかお)

Profile

石川県珠洲市三崎町生まれ
葉タバコ農家の2代目。地元の高校を卒業後、京都の大学に進学。哲学専攻という異色の経歴を持つ
その後、実家の珠洲市で就農
現在は、葉タバコを3ha、水稲を4.6ha栽培しており、葉タバコを中心とした複合経営を営む
父は農事組合法人サンビの構成員であり、繁忙期にはアルバイトとして参加するなど地域の水田の担い手としても活躍
 

就農のきっかけから就農まで

 子供の頃から家の手伝いをしており、葉タバコは夏が農繁期なので、中学生の頃から夏休みはずっと収穫を手伝っていました。両親から家業を継ぐように言われたことはありませんでしたが、農業が好きだったので将来は就農するつもりでした。そのため、大学では思い切って農業とは関係のない方向に進みましたが、父親はそのことを分かっていて自由にさせてくれたのだと思っています。
 就農してから、毎日畑に行くようになって、葉タバコの生長の早さに驚かされています。定植して間もない頃は生育を良くするために1株1株に水やりをします。手間がかかって大変な仕事ですが、その効果は一目瞭然です。日に日に葉タバコが大きくなっていく様を見るのは面白いものです。でも、夏場は葉タバコの防除や収穫が忙しく、暑い時期に休みがまったく取れないのでハードな仕事だと思います。

就農してから現在まで

 現在は葉タバコを中心に水稲等の栽培管理を補助的に努めています。就農して5年経過し、ようやく葉タバコ栽培の流れが分かってきました。父親の仕事はとても丁寧で、水田の管理も行き届いていると評判で、最近は周りの人から田んぼを任されることが増えてきました。そんな父親の仕事ぶりや技術を見習っていきたいと思っています。
 今は葉タバコ栽培が経営の柱ですが、タバコの需要が減ってきており、将来を不安に思うことがあります。新しい品目を模索していかなくてはいけないと思いますが、なかなか葉タバコに変わる品目は見つけられません。葉タバコは施肥量や病害対策により品質格差ができ、格付けランクが大きく変わり、売り上げで10a当たり25万~50万円と倍の格差が付きます。先ずは、葉タバコで良いものを安定して作ることで生き残りを図っていきたいと思います。それには何よりも技術を磨くことが必要だと感じ一生懸命父親の技術を勉強しています。

将来はこんな農業をめざします!

 確かな技術と信頼で百年続く安定した経営を目指す。

今後就農をめざす人へ

 農業は甘くない、経営も易しくはない。就農するには覚悟も必要で、会社勤めのほうが気楽だと思う。
 でも、良いこともある。頑張った結果が自分に戻ってくるし、対人関係もわずらわしくない。時間も自分の思い通りに使える職業だ。
 それに、これからの世界の食糧問題を考えると日本農業の未来は明るくなると思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 経営の主要品目となっている葉たばこは珠洲市でも減ってきていますが、品質のいいものを作れば安定品目といえます。現在の水稲との複合経営は作物競合も少なく安定しています。
 今後、水稲、葉タバコの高品質生産技術を身につけるとともに、低コスト生産のために何が必要か、考えてみてください。

種本農林総合事務所長

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開発地入植3代目・チャレンジ精神で頑張る!!(前田 国且)

前田国且写真

前田 国且 (まえだ くにかつ)

Profile

石川県穴水町大郷生まれ
穴水高校卒業後、岐阜県の花き生産販売の農業法人に就職する。その後、Uターンして実家の(有)前田農園で就農。祖父母の代に開発地に入植した開拓農家の3代目
(有)前田農園は開発地での野菜・果樹の大規模経営を行っている。主な作物はすいか、かぼちゃ、さつまいも、はくさい、だいこん、りんご、ぶどうであり、近年は野菜苗が20万本と増加している。また観光農園も開設しており、りんご、ぶどう、さつまいもの収穫体験ができる。
 

就農のきっかけから就農まで

 僕の家はジイちゃんが戦後開拓で入植し、僕が生まれる前に父ちゃんが国営農地開発地に入り、畑での農業を始めました。ジイちゃん、父ちゃんの二人ともアメリカに農業留学したことがあり、チャレンジ精神が豊富で、いろんな作物を試しながらどんどん農地を広げていき、今では13ヘクタールになっています。
すいか、かぼちゃ、さつまいも、はくさい、だいこんは市場へ出し、野菜苗はホームセンターと契約栽培、りんご、ぶどうは観光農園での摘み取り用として作っています。
 子供の頃から家の手伝いをしていたので、農業に嫌な感じは持っていませんでした。高校は近所の普通科に進みましたが、卒業するときにはものづくりがしたい、それも家で作っていない花づくりをしてみたいと強く思うようになりました。
 ジイちゃんと父ちゃんは大学に進んでもっと勉強しろというし、僕は花づくりがしたかったのでけっこう悩みましたが、普及員が勧めてくれたこともあって、コチョウランの生産から販売までをしている岐阜県の会社に就職できました。
 会社では新しい品種の育成から栽培管理の方法と企業秘密が多く、就職したら一生やめられないということもあり、コチョウランの作り方をマスターしたら独立しようという僕の思惑がハズレてしまいました。そんなこともあり、会社を辞め、穴水に帰り家の仕事を手伝うことにしました。

就農してから現在まで

 家の農業を手伝い始めてから1年とちょっと経過しました。ジイちゃんと父ちゃんからやれと言われた作業はなんとかできるようになったと思います。でも野菜苗から露地野菜、りんご、ぶどうといった果樹まで品目の数が多いので作り方をマスターするのはキツイ。さらにぶどうでは県内では誰もやっていないレインカットの立木栽培法、りんごでは新しい品種の‘秋星’をつくりはじめるなど新技術も多いのでなおさら大変です。
 一緒に作業をする従業員は5人、宿泊研修施設があるので短期の研修生がいることも多いです。この人たちに負けないように早く仕事を覚えたいと思っています。
 観光農園もしているので、リピーターというか「美味しい」と言って何度もぶどうやりんごを買いに来てくれるお客さんがけっこうたくさんいます。こういったお客さんと接していると、まだ花づくりにも未練はありますが、今ある品目で頑張ってみようかなという思うようになってきました。

将来はこんな農業をめざします!

 まずは地元のお客さんに喜んでもらえる野菜を作る。

今後就農をめざす人へ

 農業は外仕事が多く肉体的にキツイが、自分が作った野菜をお客さんが「美味しかったよ」と言ってくれるので、気持ちの面で助かることが多い。
 お客さんの反応がダイレクトにわかる直売は、金銭面だけでなく、色々と勉強になるのでやってみる価値はある。

農林総合事務所所長よりひとこと

 フロンティアスピリッツに富んだご一家に育ったせいか、国且さんの話し方は、ゆったりしていますが農業3年目とは思えない自信を感じました。
 規模拡大より高品質なものをお客様に提供したいという思いを強くもっておられるようで、今の思いを大切に頑張ってください。

種本農林総合事務所長

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ママさん、脱OLでメロン栽培と子育てを両立(吉川 香里)

吉川香里写真

吉川 香里 (よしかわ かおり)

Profile

福井県勝山市生まれ
大阪で就職、結婚後、小松工場に転勤に合わせ、能美市に移住。第2子を出産後、就農を決意
指導農業士である父から技術を学ぶが、本人も就農準備校「アグリ塾」に入塾(1期生)するとともに、普及センターでの研修で技術・経営を学ぶ
平成9年にビニールハウス6棟で就農、現在は施設25a(メロン、トマト、コマツナ)露地10a(ネギ、ダイコンなど)を経営し、現在は農場直売、地元スーパーや給食センターに販売するなど、全て地元で販売
平成20年に「明日の農山漁村を担う女性」表彰で農林水産大臣賞を受賞
 

就農のきっかけから就農まで

 第2子の出産時に切迫流産で入院することになり、幸い大事には至らなかったものの、改めてベッドの上で今後のライフプランについて考えました。
 仕事は嫌いではありませんが、子どもに接する時間が短過ぎます。育児と仕事の両立させるためには「自宅での農業が一石三鳥」と思い立ち、脱OLを決意しました。
 福井県の指導農業士である父親に相談したところ「農業は手に職、やるなら応援するぞ」と励まされ、父親から栽培技術を学ぶことにしました。
 しかし、いくら父が福井県の指導農業士でも、石川県出身でない主婦の私が「農業を始めたい」と関係機関に相談しても、最初は全く信用されませんでした。
 それでも、粘り強く関係機関に通ううち、農業をやりたいという私の熱意が認められ、当時の辰口町(現能美市)の農業委員会から農地の斡旋を受けることができました。

就農してから現在まで

 当初はメロンを経営の中心にして営農を開始しました。周辺にメロンを作っている農家がおらず競合することはないし、何よりも単価が高いのが魅力でした。
 夜泣きする子どもを育てながらの早朝作業は辛いものがありましたが、一から作り上げる仕事としての喜びは大きかったです。
 最初はJAから市場出荷していましたが、出荷した後はどこの店に並べてもらっているのか、どんな人が買ってくれたのかが分からず、作る張り合いがありませんでした。
 出来れば地域の人や子どもたちに食べて欲しいと就農2年目から近辺の保育園児を農場に招待して「トマト狩り」「ホウレンソウ狩り」「だいこん掘り」を毎年実施しています。そこで地元スーパーや給食センターに営業をして取引できるようになりました。
 これまで、自分が消費者だったら、親だったらという視点で、顧客との接点を持ち続ける方法を考えながら営農してきました。
 地域の子どもたちの情操教育、食育という点からも、土と触れ合う場所が必要だと思っています。
 また、就農時に親身になって協力してくれた地域の方々への恩返しにもなると思っているのです。

将来はこんな農業をめざします!

 将来は、イチゴやメロンのもぎ取り、花摘みが出来る「体験農園」の経営を目指しています。

今後就農をめざす人へ

 「憧れ」以外に「目的」を持って下さい。憧れは時間が経過するとともに薄れ、そのうち、収入面の不安や作業のしんどさが憧れを追い越します。その時、目標がないと途方に暮れることになりますよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 吉川さんはしっかりとした自分の考えを持っている頼もしい母親のイメージでありました。
 平成20年にこれまでの活躍を評価され農林水産大臣賞を受賞されたことは本当に喜ばしいことです。
 今後とも、子供たちのため・地域のためにご活躍を期待します。

中山農林総合事務所長

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県下一の小松トマト産地で活躍する農業青年(飴山 智是)

飴山智是写真

飴山 智是 (あめやま ともゆき)

Profile

石川県小松市向本折町生まれ
県立松任農業高校から東京農業大学短期大学部生物生産技術学科短期の部卒業
平成9年 砂丘地農業試験場の臨時職員として働く。その後1年間研修生となる
平成11年 全農種苗センターで約1年間の研修を経た後、家族とともに農業に従事

◇経営概要
 水稲 5ha・トマト 50a・切り花ストック 20a

就農のきっかけから就農まで

 農家の長男として生まれ、子供の頃からコンバインに乗ったり、農業の手伝いをして過ごしたことから、農業は特別なものではなく、ごくごく普通なものであり、何のこだわりもなく、好きでも嫌いでもありませんでした。ごく自然の成り行きで農業高校へ行き、農業関係の大学へと進んでいきました。
 自分は大学を2年で終えましたが、4年間大学へ行く他の仲間のように、父があと2年ぐらいはいろんなことを勉強した方が良いだろうと言ってくれ、県の砂丘地試験場や経済連の種苗センターで野菜の栽培や野菜苗の接ぎ木作業など色んなことを経験しました。
 そんな折、県下一のトマト産地である小松市向本折において、これまでの土壌栽培から新しく養液栽培に取り組むことになり、施設の増設や栽培装置の組み立てなどに人手が必要となったことから、父から一緒にやろうと言われ、就農することになりました。
 就農に当たっては、既に父が基盤を作り上げていたので、技術や資金面等には新規就農者のような心配は全くなく、スムーズに入っていけました。

就農してから現在まで

 平成11年から両親が取り組んでいた水稲とトマト栽培に従事することになったものの、当初は、実際の育て方の知識がないことから施肥、消毒等栽培の技術は全て父の指示の元で管理していました。
 作物は正直なもので、手を掛ければ良いものが出来るますが、怠ると結果がすぐ出てきます。過去にはトマトの3割を枯損するような経験をし、台風が来るとハウスの倒壊が心配でおちおち寝ていられないれないこともたびたびでした。
 平成16年には無人へりの免許を取得し、同世代のオペレーター仲間と共に地域の水田の農薬散布作業を担っています。
 また、近年は切り花ストックの栽培を拡大し、水稲育苗後のハウスの有効利用と冬期間の労働力の平準化を図っています。
 県内でもトマトの集団栽培に早くから取り組んだ当地域は、JAの共同選果場が近くに整備されるなど、栽培環境が良く、園芸産地として条件が整ったところです。この好条件に甘えることなく、これからのトマト産地や地域の水田をどのようにしていくのかを考えたいと思っています。
 それにしても、トマトの価格が安値で安定しているのが残念です。
 また、栽培地域の周辺が都市化し、土壌消毒の作業やトラクタの騒音などに配慮せざるを得ないことになりつつあることも気がかりのひとつです。

将来はこんな農業をめざします!

 高品質なトマトを供給できる技術の高い農家を目指す。

今後就農をめざす人へ

 農業をやるには、会社勤めの感覚ではだめだと思う。
 それは、定期的な休みと給料は貰えないからである。
 技術の取得は、学校に行くのも良いが、実際の農家での実地研修がベストだと思う。
 自分の所でも協力は惜しまないので希望があれば相談してもらっても良い。

農林総合事務所所長よりひとこと

 飴山君は篤農家として地域で活躍している父の元に就農した笑顔のステキな優しい好青年でした。
 県下でも最大のトマト産地の恵まれた環境の中で生き生きとトマト栽培に取り組んでいる姿はとても頼もしく感じました。
 近年は宅地化のため消毒作業やトラクターの音にも配慮が必要になってきたということですが、トマト産地を担う一人として頑張って欲しいと思います。

中山農林総合事務所長

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自ら作った農産物に付加価値を付ける農業経営を目指して!!(野村 佳史)

野村佳史写真

野村 佳史 (のむら よしふみ)

Profile

石川県小松市中海町生まれ
東京農業大学生物生産学部農業経営学科卒業後、福井県の自動車会社で営業に従事
平成13年 (有)のむら農産に就職
平成14年 (有)のむら農産常務取締役に就任、直売店、販売加工部門を担当

◇経営概要
 もち米11.0ha、うるち米2.0ha、農作業受託30ha

就農のきっかけから就農まで

 家が農家で、小さい頃から父の作業現場である田んぼや山が遊び場で農業には親しみがありました。しかし、大学の進学に当たっては、明確な目標を持ってというよりも、何となく北海道にある学校を選択しました。
 大学時代は、大自然の中でスノーボードなどの野外スポーツを思う存分満喫していました。もちろん学業もそれなりにしたつもりです。
 そんな折、農業に携わっている父から「法人化しようと思うが、おまえはどう思う」との電話がありました。「いいんじゃないか」と答えたところ、「では(おまえは)跡を継ぐ意志があるんだな」と問われ「いいよ」と答えたことが、就農の直接のきっかけとなりました。
 大学を卒業するに当たり、すぐに父の会社に入社することも考えたのですが、一度社会に出て勉強してくることが重要だと親子の意見が一致し、父の紹介で車の営業を3年半経験した後、就農することになりました。

就農してから現在まで

 農業とは縁もゆかりもない車の営業から、いきなり(有)のむら農産の加工販売部門を任せられました。
 当時の経営状況は決して良好とはいえず、会社として継続するには厳しいものを感じざるを得ませんでした。しかし何とかしなければと一念発起し、死にものぐるいで良く働きました。とにかく時間が足りませんでした。もっと時間が欲しいと思いました。
 「売り上げを伸ばすにはどうしたら良いのだろう?」と思いつくアイディアをひとつひとつ実行していきました。悩んだり苦しい時も多々ありましたが、営業時代の経験が非常に役立ち、困難に打ち勝つことが出来たんだと思います。
 売り上げは着実に伸び、4年目には従業員を1人増やすことが出来るまでになりました。この時から少し光が見えてきたように思います。
 今は、どうしたら効率よく加工が出来るか、どうしたら販売を拡大出来るのかと、作業工程を改善・計画したり、いろんなイベントを仕掛けたりと頭と身体を使っています。
 現在は従業員が増え、人と共に働くことの面白さや頼もしさと難しさを同時に感じつつ、楽しく働いているところです。

将来はこんな農業をめざします!

 「感謝ー報恩ー共生」
 自然と健康をより大切にした農業法人を目指します。

今後就農をめざす人へ

 今の不景気の中でも農業はやり方次第では伸ばすことが出来る。
 農業は夢があり、おもしろいし、先のある分野だと思う。ただ、人と同じことをしていてもだめだと思う。自分の強い思いこみ、こだわりを持つことが大切である。
 そして自分で自分で作った商品を渡すことで、お客の反応を直に感じて商品作りに生かせばいい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 今回登場の野村君は、単に農産物の生産を行うのではなく、生産したお米をより付加価値を付けて販売し、経営の安定化を目指す若者であった。
 就農当時は、大変苦労した話を伺ったが、今の彼が目指す農業は将来の農業のひとつのあり方を暗示しているように思えた。
 是非、夢を実現して、後に続くものに勇気を与えて欲しい。

中山農林総合事務所長

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農業大好き人間のトマト栽培農家(山崎 茂喜)

山崎茂喜写真

山崎 茂喜 (やまざき しげき)

Profile

石川県能美市秋常生まれ
県立松任農業高校卒業後、鯉淵学園で畜産学科を専攻
卒業後、小松市のトマト農家での2年間の研修を経て、平成16年に実家で就農
同時に小松能美地区農業青年グループに加入。平成17年から3年間、県連理事を歴任

◇経営概要
 トマト 5,100本(ハウス5棟)
 水 稲 5ha

就農のきっかけから就農まで

 実家が水稲と養豚の複合経営農家で、小さい頃から手伝いをしていたこともあり、高校進学時点で、将来は養豚業をしようと思っていました。
 鯉淵学園3年生の時、諸般の事情により、養豚経営を断念したため、今後の方針について色々考えました。園芸専攻の学生等から情報を集めた結果、施設でのトマト栽培を目指すことにしました。
 しかし、鯉淵学園では養豚の勉強をしていたため、トマト栽培はそれこそ畑違いで一から始めなければならなかったので、栽培技術の面で不安がすごくありました。
 そのため、卒業後、農林総合事務所等の紹介で小松市のトマト農家で2年間研修することにしました。研修2年目には、県の事業を利用してハウス1棟を借り、栽培技術の習得後、実家で就農しました。
 もともとスポーツ好きで、身体を動かすのは苦にならなかったので、農作業が辛いとは思いませんでした。
 ハウスを建てるとき、最初から作付規模を大きくしたら、管理の手が回らないと思っていましたが、手助けするから思い切ってやれという両親の後押しがあり、現在の規模のハウスを建てました。

就農してから現在まで

 2年目の研修で、一から実践的なトマト栽培に取り組んだことは、就農する際、大きな自信となりました。
 これまでに最も難儀したことは 就農3年目に1棟のハウスで青枯病が発生したときでしたが、小松のトマト農家や農林総合事務所に対処する方法を教わり、その後発生を抑えることができました。
 トマトの管理は自らが主体的に行って、両親には手伝ってもらう形で行っています。作業内容で意見の相違が生じることもありますが、そこは親子なので親の意見を優先することもあります。
 水稲は父親と2人でやっており、機械利用を増やしたこともあり最近は労働時間に余裕が出てきました。
 喜びと言えば、手塩にかけて育てた自分のトマトがスーパーに並んで、それが売れ、さらにおいしいと言われるとうれしくてやりがいがあります。
 年による大きな所得変動はなく、それなりに安定した経営が出来ていると思います。

将来はこんな農業をめざします!

 水耕栽培を導入してトマトの規模拡大を目指す
 (家族労働でできる範囲で)

今後就農をめざす人へ

 農業はきつい、汚いと言うイメージが先行しているが、自分は、きついとも汚いとも思わない。
 それよりも自分で育てたトマトが実をつけ、スーパーに並んでそれが売れることを思うと喜びである。
 大それたことは言えないが、就農を目指すなら、栽培技術の研修や資金の工面等の準備は必要と思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 山崎君は、本当に農業が好きで高校時代から農業を目指した数少ない若者でした。
 心優しい健康的な好青年であり、先ほど結婚された新婚さんでもあり、充実した生活ぶりが話の端々から感じました。
 将来は自分の出来る範囲内で規模拡大を目指すとのこと。頑張って地域のリーダーとなって欲しい。

中山農林総合事務所長

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母と娘で奮闘している専業農家(吉田 絵美)

吉田絵美写真

吉田 絵美 (よしだ えみ)

Profile

石川県小松市日末町生まれ
県立大聖寺高校卒業後、主として北海道のリゾート地で趣味のスノーボードを楽しみながら多種多様な職務を経験
平成18年、父の死を機会に郷里に帰り就農
母親とともキュウリ・軟弱野菜等の施設野菜を中心に作付けを行い営農を開始。主に直売所に出荷
平成20年、JA小松市夏秋トマト部会の役員に就任

◇経営規模 水稲 10ha・ハウス 30a

就農のきっかけから就農まで

 自分の生まれた家は、日末町では有数な稲作専業農家でした。
 私自身は子供の頃、農業は特に性に合っているわけでもなく、好きでもありませんでしたが、秋の米の収穫時にコンバインに乗って、籾の運搬作業などの仕事は手伝っていました。
 私は、高校卒業後コンビニのアルバイトを手始めに色んな職業を経験してきました。趣味のスノーボードを活かし、北海道の富良野や知床のリゾート地でリフトの手伝いや接客の業務に携わってきました。
 そんな折、母と2人で農業に携わっていた父が急逝し、これまで築いてきた吉田家の農業を誰が引き継ぐかが大きな問題となりました。
 弟2人は、既に他の職業についており、農業に就く意志がなく、このまま吉田家の農業が無くなっていくのは、忍びなく、私が母とともに吉田家の農業を引き継いでいこうと決意しました。
 友人と別れて郷里に帰るのは寂しかったですが、周囲の助けもあり就農に至りました。

就農してから現在まで

 就農した当初は、農業の経験がほとんど無い自分に、商品となる米や野菜を作れるか、全く自信はありませんでした。
 幸い父と農業に携わっていた母は、米や野菜の栽培技術は身につけていましたし、近所の亡き父の友人から、トラクタやコンバインの操作を教えていただきました。
 コンバインも故障するたびにメーカーの修理担当の方にお願いをしていたのですが、最近はそのたびに修理作業を観察することにより、修理の方法を習得し、今ではちょっとした修理は自分でできるようになりました。
 就農してみて感じることは、作物を栽培するということは、想像していた以上に大変だということです。水管理、病害虫の防除対策、施肥、草むしりなど適期に適切に手をかけてあげないと良いものが出来ません。
 農業はやればやるほど、やらなければならないことがたくさんあることに気付かされ、毎日大変忙しく、やりがいを感じています。
 経営的には、農業機械が高く、所得(粗収益)がなかなか上がらず大変ですが、何とか食べてはいけます。
 農業を始めて最も嬉しかったことは、就農した最初の年に、お米がきちんと収穫できたことです。
 私なりに、型にはまらず、サラリーマンより自由度があり、収穫の喜びのある農業を楽しんでいます。

将来はこんな農業をめざします!

 自分で収穫したお米や野菜を生かした「ごはんやさん」をやりたい。

今後就農をめざす人へ

 私の場合は、父が作業場を始め農業機械などの生産設備を整備してあったので問題はありませんでしたが、新規に就農する場合は、資金の問題や技術の取得などを学んで良く検討する必要があると思います。
 農業は思っている以上に手がかかるが、自由がある分楽しいかな。

農林総合事務所所長よりひとこと

 15年間にわたり、色んな職業を経験された優しい顔をした吉田さんのバイタリティに感服しました。今は、母と一緒に女手だけで地域の中核農家として頑張っておられ、将来は、収穫したお米や野菜を利用したお店も出したいとのこと。夢が実現することを願っています。

中山農林総合事務所長

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先端産業から農業に転職して(安田 康治)

安田康治写真

安田 康治 (やすだ こうじ)

Profile

石川県能美市赤井町生まれ
金沢大学理学部物理学科卒業
平成9年 液晶を研究する会社を退職後、北海道の大規模水稲農家で農業研修を経て就農

◇経営概要
 水稲  5.6ha
 大麦  1.9ha
 丸いも 0.5ha

就農のきっかけから就農まで

 大学卒業後、今日の最先端技術である液晶を研究している会社に就職し、カーテンを閉め切った外気も入らない暗い部屋で生産管理に従事したが、一生の仕事として何か違和感を感じていました。常にストレスがあり、お日さまの下で働ける仕事に就きたいという思いが次第に強くなりました。
 そんな時、「農業」という職業が思い浮かびました。子供の頃、両親が水稲と原木椎茸栽培を行っており、時々手伝っていたことが影響したのかもしれません。
 そこで、水稲の栽培技術を取得するためにどうすべきかを情報収集し、就職情報誌で北海道の大規模水稲農家での研修を斡旋してもらいました。ここでは1シーズン1作ではあるが、稲作の手ほどきを受けました。
 北海道での研修では、栽培技術と言うよりは、百姓の「根性」を学んだ面が大きかったと思います。

就農してから現在まで

 当時は両親が水稲と椎茸栽培に取り組んでおり、北海道の研修を終え、帰郷したものの、自分が独立して農業をすることは、資金的にも技術的にも無理であり、原木椎茸で生計を立てようと考えました。
 しかし、ちょうどその頃から、中国産の安い椎茸が大量に輸入されるようになり、単価が下落し、規模拡大すればするほど赤字が大きくなるような惨憺たる状況下となりました。当時は赤字の穴埋めのためにアルバイトをしなければならないという悲惨な状況で、地獄を見た気がします。
 そこで、椎茸栽培に見切りをつけ、能美特産の「丸いも」栽培にチャレンジすることを決めました。
農家仲間からは「あんなしんどいもんするな」と言われましたが、農協の指導員や仲間からいろんなことを教わりながら始め、最初はほんの一畦でしたが、現在は50aを作付けしています。
 水稲の方は、近在の離農された方の田んぼが少しづつ集まり、当初の2倍の耕作面積となり、経営的に安定してきました。
 農業をやっていて楽しいと感じるのは、種を播いてから収穫するまで、自分で考え、自分の手で育てられることです。今は、労力に余裕があり、原木椎茸への再チャレンジと水稲の規模拡大を模索しているところです。

将来はこんな農業をめざします!

 農業で他産業並みの所得を得るべき複合経営の確立を目指す。

 今後就農をめざす人へ

 ゼロから始める人はしっかりした資金計画がないとやっていけないのではと思う。農業をやって生活が成り立たないと辛いだけである。
 農業をやるには技術の習得も大事であるが、なによりも農業が好きであることが大切だと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 安田君は、大学で物理学を専攻し、IT産業に従事した経歴を有す異色なニューファーマーです。 太陽の下で汗を流す農業が好きで、日々充実している様子がインタビューの端々から伝わってきました。
 農業で他産業並みの所得を得る経営の確立を図って、後に続く者に道を開いて欲しい。

中山農林総合事務所長

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地域の水田農業の担い手を目指す異色な農業青年(酒井 晶弘)

酒井晶弘写真

酒井 晶弘 (さかい あきひろ)

Profile

石川県川北町田子島生まれ
県立金沢泉丘高校から電気通信大学に進学し、電子工学を専攻
大学を中退し、興味のあったヘリコプター操縦士の免許取得のため渡米
平成18年、帰国後、種々の職業を経験した後、実家にて就農
現在、JA能美ヘリ防除のオペレーターとして活躍中

◇経営概要
 水稲11.0ha、大麦3.0ha

就農のきっかけから就農まで

 実家が農家だったこともあり、子供の頃から手伝いをすることも多く、農業は見慣れた風景であったが、農業に対して特別な思いを抱くこともなかった。
 大学在学中に、ヘリコプターの飛ぶ様子を見て、ヘリコプターを操縦したい気持ちにかられ、免許を取得するため大学を中退し渡米した。苦心の末、免許は取得することができたが、帰国後、免許を生かした職が見つからず、長距離トラックの運転手や製造業等、種々な仕事に従事してきた。
 そんな中、「ずっと派遣社員として生きていくわけにもいくまい」という思いが募り、自分が生涯やっていこうと思える職業は何なのかを考え始めました。
 そんな折、兼業農家だった父親が勤めていた会社を退職し、専業農家として作業受託を始め、徐々に経営規模を拡大していきました。
 また、農協から農薬散布をする無人ヘリの免許を取得しないかとの誘いが舞い込みました。
 今後、更なる規模拡大にあたり、父親への助けも必要になるだろうと考え、はじめて「農業」を自分の職業として意識することとなり、就農に至りました。

就農してから現在まで

 米作りに関する知識の有無など細かいことを考えず、とりあえず農業を始めることにしました。実家への就農ということで、就農するにあたっては特に不都合はなく、すんなりと就農できました。
 始めの頃は、農作業について知識不足であったため、作業の一切合切を父親の指示のもと、作業をこなしながら学びました。
 仕事が分かってくるに従って、父親と意見が衝突することもありますが、現在でもまだまだ父親には及ばず、作業計画や経営管理はほとんど父親が行っています。
 農地の集積は今後も更に進むと思われ、地域の担い手としての責任も大きくなってくると感じています。
 父親もいつまでも元気というわけではないし、いつかは引退する日が来ることを意識しながら、自分が引き継いでいけるよう日々勉強中です。
 農業は職場が近いし、全て自分の判断でコトは進むし、自由な時間がある。人は農業は大変と言うが、自分は身体を使うのが好きだし、会社勤めより充実感があると思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 複合経営によるリスク分散と他産業並みの所得を確保できる農業を目指す。

今後就農をめざす人へ

 農業は自分で全てをやらなければいけないという辛さもあるが、自分で全てを決められるという自由もある。
 また身体を使う仕事が多く、じっとしているのが苦手という人には向いていると思う。
 要は農業をやるぞという気持ちがないと長続きはしないと思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 酒井さんは、大学で電子工学を学んだ後、米国に渡りヘリコプターの操縦免許を取得したユニークな青年です。
 長距離運転手や製造業等、種々の職業を経験して農業に参入して来た青年で、今は父の指導のもと、栽培技術の習得で一所懸命であるが、農業は楽しいと頼もしい言葉をもらった。早く独り立ちし、地域の担い手としての活躍を期待したい。

中山農林総合事務所長

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若い仲間との技術交流で夢のあるブドウ栽培をめざす(西村 靖吉)

西村靖吉写真

西村 靖吉 (にしむら やすよし)

Profile

石川県加賀市生まれ
中日本自動車短大を卒業後、岩手県の落葉果樹農業研修所にてリンゴ栽培を学ぶ
平成8年 長野県の農家でブドウ栽培について学ぶ
平成9年 両親の農業経営に参画
平成21年 加賀市農業青年グループ会長

◇経営概況
 ブドウ300a(約15品種、主に直売)、キウイフルーツ20a、柿20a、ウメ20a

就農のきっかけから就農まで

 ブドウ農家に生まれたこともあり、幼い頃からブドウ栽培の手伝いをしてきた。袋掛けや収穫作業など、農作業は大変だったが、バイト感覚でそれほどつらいと思わなかった。
 農業に就くことは、親に言われたわけでもなく、長男ということで、家業のぶどう園を継ぐのは当然だと思っていたので、特に抵抗はありませんでした。
 就農前に落葉果樹研修所で1年間研修を受けましたが、そこではリンゴ栽培が中心だったので、さらに1年間、長野県のブドウ農家で住み込み、巨峰栽培をひと通り経験しました。
 振り返ってみると、その時の農家での経験は、自分の園の経営と比較することで役立っており、今でも刺激を受けています。
 就農にあたっては、両親がすでに圃場や農機具を揃えていたので、資金の心配も無く、スムーズに就農できました。

就農してから現在まで

 両親の仕事を見て育ったので、作業をする上で戸惑った事はあまりありませんでした。
就農して10年くらいで作業の流れだけでなく、栽培のポイントもつかめてきました。
 今も就農時と変わらず、とてもブドウ作りに興味があり、毎年手入れしているとブドウに対する愛着も湧き、ますます楽しくなってきました。
 現在は、両親、自分、パートの4人で作業を行っています。自分はルビーロマンやブラックオリンピア等の大粒種の管理を任されており、去年は1.5haの剪定を1人で行いました。
 4月から9月末までは摘粒作業等で忙しく、休みはありません。摘粒作業には自信を持っていますが、品種によって様々な特徴があるため、これからも試行錯誤が続くだろうと思います。
 また、県内の若手ブドウ農家による研究グループ結成に参加し、ベテラン農家を訪ねて技術指導を受けたり、会員がお互いの園を訪問して、剪定などの栽培方法を教え合うなど技術の研鑚にも努めています。
 今は両親の作ったブドウを目当てに来るお客さんがほとんどで、年配の方が多いのですが、今後は自分の作ったブドウを目当てに来る新しいお客さんを開拓したい。

将来はこんな農業をめざします!

 偶然でない確かな技術を身につけ、品種ごとの栽培方法をマスターし、美味しいブドウを安定的に生産し、みんなに楽しんでもらいたい!

今後就農をめざす人へ

 ブドウ栽培はハウスなどの設備投資が高くつくため、資金力がよほどないとゼロから始めるのは難しい。
 初めのうちはわからない事も多いので、地域や同業者のサポートが必要となるので、何でも相談できる人を作ることが大切だ。
 また、ブドウ栽培に取り組むならまず販売方法(観光農園か共販か)について決める必要がある。その上で、販売方法にあった品種の選定などを検討したら良い。

農林総合事務所所長よりひとこと

 「自分で体験しないと納得できない」と言うほど信念を持った青年です。
 今年は自分の育てた木からルビーロマンを30房出荷し、その高い技術は注目されています。
 若いブドウ農家との交流を深め、石川県のブドウ栽培をリードするたくましい農家に育ち、美味しいブドウを楽しませて欲しい。

中山農林総合事務所長

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ヨーグルトなどの製造、直売による付加価値の高い酪農をめざす(平松 薫)

平松薫写真

平松 薫 (ひらまつ かおる)

Profile

カナダ生まれ、翌年両親と3人で加賀市に帰国
高校卒業後、事務機器の会社に勤務
平成10年 牛乳の製造、配達が忙しくなり、家業を手助けするため就農し、加工部門、広報部門
(ホームページ)を担当している。現在、加賀農業青年グループ役員として活躍中

◇経営概要
 酪   農:乳牛37頭を飼育、牛乳の生産、加工、直売、牛乳配達500軒
 乳製品製造:ソフトクリーム、アイスクリーム、ヨーグルト

就農のきっかけから就農まで

 平松牧場は昭和52年に父親が生乳生産を主体とした経営で始め、一時は乳牛を70頭飼っていたこともありました。
 子供の頃には両親が毎晩8時頃まで牛舎で働いていたため、1日のほとんどの時間を牛舎で過ごしていました。牧草作りやボロ出し(牛舎の清掃)をよく手伝っていました。このため、酪農に就くことについては特に抵抗はありませんでした。
 25歳になったら家業を継ぐ計画で、社会勉強のため高校卒業後、事務機器の会社に就職しました。
 しかし、平成5年に両親が低温殺菌処理施設を設置して、牛乳の自社生産を始め、平成9年にはソフトクリームの加工を手掛けるなど、付加価値を高め出荷する自己完結型の酪農経営に方向を転換しました。
 このことにより、両親の仕事が忙しくなってきたため、両親を手助けするつもりで予定より2年早く会社を辞め、就農しました。

就農してから現在まで

 学生時代は酪農について学んだことがなく、専門知識もなかったので、平成11年にアグリ塾へ1年通ったが、難しくて理解できませんでした。結局、カナダで酪農を学んだ父親に習うことが多かったように思います。
 就農した3年後に参加した(社)中央酪農会議が主催する「地域交流牧場」をきっかけに、全国の酪農の仲間と積極的な交流をしました。そこでいろんなことを学び、知識を深めるとともに視野の広がりを感じました。
 就農して以降、平成12年にアイスクリーム、平成17年にはヨーグルトの製造機を導入し、牛乳の付加価値の増大に努めてきました。
 現在は牛の飼育頭数を37頭に減らしたことにより、フレッシュで安心、安全な牛乳の提供が可能となり、地産地消で地域の信頼を得ることができました。

将来はこんな農業をめざします!

 酪農だけでなく、商業や工業といった異業種の分野とも関わって、加賀市を盛り上げていきたい。
 また、気軽に牛と触れあえる牧場にするとともに、本物の牛乳の味を守り、その良さをわかってもらえるようにしたい。

今後就農をめざす人へ

 専門知識の習得も大切だが、自分の専門分野にこだわらず、いろんな分野に顔を出して、同業者だけでなくいろんな人と交流を深めることが大切だ。
 人前で話し、いろんな人から積極的に聞くことが勉強になると思う。

農林総合事務所所長よりひとこと

 忙しいのが悩みだと言っていた。牛という生き物を飼い、週に3回牛乳の製造と配達を交互に行っているが、いずれも早朝からの仕事だ。忙しい酪農に取り組みながら、常に前向きで積極的な好青年である。
 酪農で加賀市を盛り上げてくれることを期待したい。

東農林総合事務所長

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就農前に身につけた技術を活かして頑張る農業青年(森 泰之)

森泰之写真

森 泰之 (もり やすゆき)

Profile

石川県金沢市に生まれる
平成3年 土木、運送会社に勤務
平成8年 結婚を機に加賀市で就農
平成9年 アグリ塾(果樹)を受講
平成19年 家族経営協定を締結
平成20年 JA加賀かぼちゃ部会長

◇経営概要
 水稲11ha、大豆7ha、かぼちゃ1ha、ブドウ2ha、作業受託14ha、水稲育苗2万箱

就農のきっかけから就農まで

 農業と縁のない家に生まれ育ちました。小学5年生の時に授業でバケツの中で稲を育てたことが今でも印象に残っています。
 学校を卒業してからは土木や運送の会社に勤め、重機やトラックのハンドルを握っていたが、時間に追われてゆとりのない生活が続き、本当にこれで良いのかという思いが強くなりました。
 トラックを運転している途中、家族で働いている農家の姿が窓から見えるたびに、自分も農業ができたらいいなぁという意識が芽生えたように思います。
 職場で知り合った妻が農家の跡取り娘であったこともあり、農業をさらに強く意識し始め、結婚を機に会社を辞めて農業の世界に飛び込みました。
 農業については全くの素人だったので、勢いだけで、がむしゃらに頑張ってきました。

就農してから現在まで

 80歳代の爺ちゃん、婆ちゃんに両親、自分たち夫婦、それに3人の子供(一番下の子は5歳)総勢9人。
 田植えやブドウ棚のビニールまくり、収穫作業などは、家族総出で行うのが森家の習わし。就農前に描いていた家族全員で頑張る農業ができることに喜びを感じています。
 農業経営の役割分担としては、水稲の基幹作業とかぼちゃ栽培を担当しています。平成20年からはJAのかぼちゃ部会長を引き受け、責任の重さに緊張の毎日を過ごしています。
 特に、土木の仕事で覚えたバックホーやブルドーザーを使った作業や、中古の農業機械を購入し、自分で分解・整備することに自信を持っています。
 平成10年に当時の普及指導員の強い勧めもあり、農業青年グループに入会しました。
 今考えると、農業青年グループの仲間に対するライバル意識から、仕事を頑張ったことで今の自分があるように思います。
 また、JAの受託作業班に10年程度参加しており、市内のほとんどの集落を回ることにより、知人を増やすことができました。
 金沢からやってきて、農業を知らなかった自分には貴重な経験であり、とても良かったと思っている。

将来はこんな農業をめざします!

 鍬やスコップまでうまく使いこなせる百姓のエキスパートを目指したい。

今後就農をめざす人へ

 農業に対する意欲や知識はもちろん必要だけど、トラクター、田植機、コンバインを始めとする農業機械は非常に高価なので、意欲や知識だけでは農業を始めることはできないと思う。
 経営基盤をどのように築くのか、しっかりした道筋が見えていなければダメ。
 遠回りしてでも、まずは自分や家族の生活を築くことを考えて欲しい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 今は、ブドウ栽培には全く興味がなく、大型機械を使いこなす水稲部門に情熱を燃やしている。
秋の稲刈りの季節には寝食を忘れて1日2.5haの稲を刈り、乾燥、調製しているという。あっけらかんとして、大変馬力のある頼もしい好青年である。
 身体に気をつけて、これからも百姓のエキスパートを目指してほしい。

東農林総合事務所長

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ビジネスに「農家らしさ」を残した農業へ!(長谷 佐知子)

長谷佐知子写真

長谷 佐知子 (はせ さちこ)

Profile

石川県小松市生まれ
女子栄養大学栄養学部文化栄養学科卒業後、丸山ぶどう園(加賀市)で研修
平成11年、(有)中本農園 入社
直売所担当後、広報(裏方全般)担当
平成19年、職場結婚
 

就農のきっかけから就農まで

 大学で栄養学を学び、栄養士が使用する「栄養価計算ソフト」の研究をしていました。栄養士が計算などに時間を取られずに、相手の立場に立った栄養指導の時間が持てるようにするためのものだったのですが、肝心の「日本食品標準成分表」の野菜の栄養成分が年々低下していることを知り、栄養士だけの問題ではないと思うようになりました。
 「野菜の成分自体を上げなければ、どんなに栄養計算をしても意味がない。野菜の成分を上げるには農業しかない。」と思うようになりました。
 悩みましたが、私にとってパソコンの仕事より農業の方が希望も未来もあると感じました。
 それは、ちょうど「食育」ということが言われ始めた時期だったので、まだまだやれることがあるように感じたからです。実際、農作業だけじゃない仕事が沢山ありました。

就農してから現在まで

 中本農園に就職して、最初に担当したのは直売店でした。
 1日3時間だけの営業でしたが、直接お客様の声を聞くことができ、私にとってとてもいい勉強になりました。何より「農業は生産(栽培)だけではない」ということを強く実感しました。生産、販売、営業などすべてのサイクルが出来て、はじめて生計を立てていくための仕事である生業(なりわい)であると思いました。
 今は、小松菜の契約販売先が増えたため、止むを得ず直売所が閉店となりましたので、次は広報(裏方全般)担当になりました。もちろん、農作業もしますが、その他の仕事も沢山あります。両方を担当することで、より生産者と消費者との距離を縮めることができます。
 より多くのお客様に「中本農園」を知ってもらい、食の大切さ、農業の重要性にも関心を持ってもらえたらと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 農業で、各家庭の食卓を精神的に豊かにすることができればと思っています。

今後就農をめざす人へ

 職業としての農業に癒しはありません。お客様に「美味しかった」と満足して頂いた時だけ気持ちが救われます。
 その為に自分がどこまで頑張れるかです。
 資格ということだけでなく、会社勤めや海外生活など色々な経験をしてから農業を始めると、自分のすごい武器になりますよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 若い頃は農業のノの字も意識していなかったのに、今は土にまみれ太陽の光を浴びて野菜づくりに汗を流す農業のど真ん中に生き、毎日が楽しくてしようがないという姿がとても眩しかったです。
 利益や効率追求だけではない、人のぬくもり、家族の団欒など心温まるものを提供できる農業を大事にし、子供達や若い人にもっともっと農業の素晴らしさを知って欲しいと訴えて頂きました。
 事務所も佐知子さんの思いと同じです。
 ともに頑張りましょう!

中川農林総合事務所長

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安全でおいしいお米を食卓にとどけたい(西濱 誠)

西濱誠写真

西濱 誠 (にしはま まこと)

Profile

石川県白山市生まれ
農業大学を卒業後、(株)六星に入社
水稲・野菜栽培から餅加工、販売等の多岐にわたる仕事を経験
現在は水稲栽培担当及び営業部営農課長
平成21年より、石川農業青年会議の会長として、農業青年の地域のリーダー役もこなす
 

就農のきっかけから就農まで

 実家が農家をしていることもあり、幼いころから農業には関心があり、農業大学へ進学しました。
 大学4年生の時、父の勧めで1か月間(株)六星で研修をさせて頂きました。
 この研修で農業の新たな魅力と可能性を見つけることができ、この会社で農業をしたいと強く思い、卒業後は迷わず入社しました。 実家は農業を営んでいますが、父母から後を継げと言われたことは一度もなく、(株)六星で就農することを素直に喜んでくれ、スムーズに入社できました。
 現在、実家の農業は弟夫婦が後を継いで頑張ってくれています。

就農してから現在まで

 入社(就農)1~2年目は研修が主で、いろいろな作物の栽培補助から販売・加工の手伝いまで幅広く、様々な作業工程を学びました。
 入社3年目からは無農薬栽培での米づくりを任され、これまで7年間試行錯誤を重ねてきました。
 担当して2年目には無農薬の田んぼが一面雑草だらけになり、自然の力を思い知らされました。その後も種子の温湯殺菌やプール育苗、除草機の使用、紙マルチ田植えなど、無農薬栽培を実現するため、ありとあらゆることに挑戦してきました。
 今でも農薬を使用しない栽培の難しさは変わりませんが、米は1年に1作しか栽培できず、管理によっては1年を棒に振ることを肝に銘じながら、毎年一歩一歩前進できるよう頑張っています。
 入社10年目にして、水稲栽培全体の計画を任されるようになり、より一層安全でおいしい米づくりに励んでいます。いつも米を買って下さるお客様に「おいしいお米をありがとう」と言われると、もっと良い米を作らなければと思います。

将来はこんな農業をめざします!

とにかくもっと上手に無農薬のコメをつくれるようになりたいと思っています。味にこだわりを持ち、みんなが食べておいしいと言ってもらえるコメづくりを目指します。

今後就農をめざす人へ

 就農する際は、しっかりとした目標をもって欲しいと思います。
 私の場合、農産物はおいしいことが大前提と思って、色々努力してきました。現状はまだまだですが、日々少しずつ進歩していくのが励みとなっています。
 皆さんも大きな目標に向かって進んで欲しいと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 弟さんは実家の農業を継ぎ、一家の主として頑張る反面、貴方は組織の一員で後悔はないか?との意地悪な問いに「一農家では出来ない無農薬の研究もじっくりやらせてもらったり、営農方針や経営まで自分の意見が言える会社なので感謝している。さらに市を代表する農業法人を目指すとともに、争うのでなく実家も含めた個人農家との連携もやってみたい」と力強いコメント。
 また、貴方の目指す具体的な米づくりは?には「無農薬だけでなく、味も伴ったものにしたい。それには肥料のコントロールがミソで、そのノウハウはしっかり積み重ねてきた」とのこと。
 将来は無農薬とV溝直播もセットでしてみたい、と新技術にも積極的でした。
 期待してるぜ、ま・こ・と!

中川農林総合事務所長

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現実を見すえ、自分にあった農業を!(木村 公洋)

木村公洋写真

木村 公洋 (きむら こうよう)

Profile

石川県白山市生まれ
金沢工業大学卒業
平成14年 (有)黒澤農場に入社
平成17年 白山市木津町で、(有)木村農産を立ち上げ、営農を開始
 

就農のきっかけから就農まで

 就職を考えていた時、親から「我が家に水田があるので、農業を始めてみないか?」と言われ、農業を職業として考えるようになりました。
 しかし、今まで親も農業をしていなかったので、どのように取り組めばよいか分からず、まず、県庁の農政課へ行き、アグリ塾を紹介してもらいました。講師の方に栽培技術を習得して、自分で自立して農業をしていきたいという気持ちを伝えたところ、黒澤農場を紹介してもらい、入社することになりました。
 黒澤農場では、水稲、大豆、野菜の栽培管理をしながらトラクターの乗り方や栽培技術について一から教えてもらい、3年間修行しました。ここでは技術の他に市場での農産物の情勢等も学ぶことができました。
 その経験を生かし、新たに自分一人で農業を始めるとき、種苗費の低コスト化や育苗労力の省力化から、「まず金時草の周年栽培に取り組もう」と思いました。

就農してから現在まで

 就農時は水稲とハウスでのミニトマトと金時草の周年栽培に取り組みました。
 黒澤農場では、金時草の栽培をしていなかったし、近隣で金時草を栽培している人もいない状態だったので、始めた当初は、金時草に虫食いや病害が発生していてもそれが何か分からず、被害が拡大してから初めて気づくなど、管理が大変でした。
 こんなことを何回か繰り返し、金時草の栽培技術を身につけていきました。ミニトマトは3年目には大玉トマトに切り替えました。
 金時草、トマトの安定生産が見込めてきたので、栽培面積を徐々に拡大していきました。
 これからも栽培技術をしっかりと身につけ、徐々に品目や栽培面積を増やしていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 農業で十分に生計が立てられるように栽培技術を身につけ、安定した生産量を上げられるようになりたい。

今後就農をめざす人へ

 実際に農家のもとで、研修したり就職して、栽培技術や農業経営について勉強し、いろいろなことを知ることが大事だと思います。
 農業を自分で始めるにあたって、準備しなければならないものを知った上で、本当に農業をしていくかどうか考えてから取り組んだ方が良いですよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 はじめから農業で自立することを明確に打ち出してスタートしたことで、余計な回り道をせず今に至ったと感じました。しかし、やみくもに突っ走るのでなく、所有している水田の価値等、自分が活用できる資産をしっかり把握してどう運用していくかを事前に分析したり、いよいよ独り立ちと言う時に、当時は余り取り組まれていなかった金時草を先駆けて始めるなど、先見の明と物事の選択に際し、判断すべきつぼを心得ているナアと感心しました。
 また、これまで多くの方々から支援を頂いたことも忘れておらず、礼節をわきまえた好感の持てる青年でした。
 今後とも着実かつ大胆に木村流の農業を展開して欲しい。事務所も応援します!

中川農林総合事務所長

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農業 そんなに悪い仕事じゃないぞ(出村 英樹)

出村英樹写真

出村 英樹 (でむら ひでき)

Profile

石川県輪島市生まれ
金沢工業高等専門学校卒業後、運送会社に就職
平成8年 結婚
平成13年2月 運送会社を退職し農業に従事

現在、白山市鳥越地区で水稲8.5haを栽培

就農のきっかけから就農まで

 学校卒業後、トラック運送会社に勤務していましたが、漁師をやめて養鶏をやっている人が近所にいたことなどから半農半漁への憧れがあったことや、祖父が亡くなってから買うようになった米がまずかったこと、タイ米等、外国産の輸入問題などから前々から漠然と自分で食物を生産できる農業をしたいと思っていました。
 農業でやっていけるか、また何を作ったらいいかわからなかったため、農業者大学校を卒業した父や輪島の専業農家等の話を聞いて水稲を栽培しようと思いました。
 父の実家がある輪島市や能登町での就農も考えましたが、最終的には家族と相談し、妻の実家がある白山市上吉谷で就農することに決めました。
 上吉谷にあった農地は全部他の農家に貸してあったためなかなか返してもらえませんでしたが、なんとか返してもらえた所と近隣集落であまり条件が良くない農地を借り営農を開始しました。
 当初は、アパートのあった野々市町(現野々市市)から通いで耕作をしました。開始に当たって、農業機械、ハウス、格納庫は自己資金で整備しました。

就農してから現在まで

 農地の貸し借りは親類のつながりが強く、当初は条件の悪いところしか貸してもらえず、石の多い田やイノシシ被害がありました。
 農地を増やすために集落の会合に積極的に参加し「農業をやりたい」「もし田んぼをやめる人がいたら田んぼを借りたい」といい続け、徐々に貸してもらえるようになってきました。田んぼは、もっともっと増やしたいと思っています。
 栽培技術については、就農前に輪島の実家で手伝ったこともあり特に勉強はしませんでした。農業を始めて間もない頃は、地元の農家が田んぼを見てくれたり、アドバイスしてくれました。また、周りの農家の作業を見て目安にしました。
 就農して2年後に上吉谷で新居を建設し引っ越しましたが、集落のしきたり等に慣れるのが難しく、草刈りの遣り方が悪い、挨拶の遣り方が悪いとよく叱られました。
 今後の農業がどうなるのか少し不安もありますが、今年からは仲間8人でブランド米(特別栽培米)生産の取り組みも始めており、水の綺麗なこの場所で頑張っていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 外国の米には負けたくない。
 自分で作った米を将来は全量、自分で販売したい。

今後就農をめざす人へ

 地域の人と良好な関係を築くことが大切であり、その気持ちを持ちながらまずその地域に住んでみればよい。
 最初から大きな投資をしない方がよい。中古の農機をいかにうまく使うかが大切。
 まわりから体が大変やと言われたけど機械化されているのでそんなに大変ではないです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 トラック運送業からの転職や、ここに至るまで殆ど行政の力を借りず、今は8ha余りの水稲経営など、一大決心と相当の苦労があったのでは?との問いには「深刻にならず、歩きながら考えるという私の性格で、女房も同じなので苦労とは思っていない」とサラリ。
 チャンスがあればもっと経営面積を増やし、自分のつくった美味しい米を自らも売ってみたいと、物静かなが
らもポジティブな夢を次々と述べて頂きました。
 内に秘めた胆力は相当のものと見受けました。事務所も精一杯応援しますので気軽に足を運んで下さい。そして近い将来、「ヒデキ、感激!」と夢を実現させて喜ぶ姿を楽しみにしています。

中川農林総合事務所長

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美味しいと言ってもらえる農作物をつくりたい(宮越 敬二)

宮越敬二写真

宮越 敬二 (みやこし けいじ)

Profile

埼玉県生まれ 千葉県育ち
建築関係の専門学校を卒業
平成14年 長野県駒ヶ根市の農事組合法人で実習
平成16年 (株)ぶった農産入社
平成21年よりぶった農産生産事業部長

現在、水稲・かぶ・大根等の栽培を担当

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から農業に興味を持ち、将来は米づくりをしてみたいという気持ちがありました。
 高校卒業後に、千葉県内の農家を訪ねたりしましたが、経験もない者に農業は無理だと断られ、建築関係の専門学校に進みました。
 卒業後、何となくその関係の職に就いていましたが、農業への思いを断ち切れず、平成14年に東京で開催された就農相談会(ニューファーマーズフェア)に参加しました。
 その中で、水稲や野菜を大規模に行っている長野県駒ヶ根市の農事組合法人を知り、1年間研修を受けました。
 研修後、本格的に農業に従事し、米づくりを行いたいと思い、本場の北陸地域で就農口を探しました。
 そんな中、たまたま見た雑誌で(株)ぶった農産を知り、訪ねて社長さんと話をしたところ自分の望んでいた仕事はこれだと思い、直談判して受け入れてもらうことになりました。
 初めは研修生として入社し、約1年後に社員となりました。。

就農してから現在まで

 入社(就農)1~2年目は、会長や先輩の手伝いをしながら、水稲栽培や野菜栽培の全般的な基礎知識を身につけました。
 入社3年目からは、作業全般を任されるようになり、自分なりに作業計画や施肥設計等を立てて、先輩等の指導を仰ぎながら実行しました。幾度かの失敗もありましたが、ある程度の栽培管理もできるようになり、現在は生産部門を任されるようになりました。
 また、当社は小さいながらも加工と販売部門があり、就農前では考えもしなかったことが沢山経験できて、大変感謝しています。そんな中で、この頃、沢山の先輩方が言われる通り農業は生産だけでなく、販売業務も大切だということが年毎に強く感じられます。
 生産圃場の現場では肉体的に厳しい日や、失敗の連続で精神的に参る日も多々ありますが、新しい発見もまだまだ多く、毎日が充実しており、これからもがんばっていきたいと思います。。

将来はこんな農業をめざします!

 一人でも多くの方に美味しいと言っていただける農産物を生産するため、日々努力したいと思います。

今後就農をめざす人へ

 私自身に言えることですが、何かを始める前に自分自身の限界を考えないこと。(笑)
 つまり、あれこれ悩むよりも、まず、農業に飛び込んで来て欲しいということです。実際に体験してみないとわからないし、将来の方向性もないと思います。そのうえで、夢に向かって努力して欲しいと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 水稲栽培や農業にこだわるルーツは?との問いには、「しいて言えば小さい頃、父の実家がある新潟で作られた米がとても美味しかったこと、家庭菜園で手伝ったことが楽しかったことかな」と思い出しながら答えてくれました。
 ぶった農産のこだわりは?と聞くと、「例えばかぶら寿司は伝統の味を守ることは勿論、漬ける時期に応じた塩加減、重石の重さや麹の色、カブに鬆(す)が入らない等の見た目も含め、細心の注意を心掛けています」とのこと。
 少数精鋭の中で幅広い作業や部門をこなすのは大変でしょうが、一本筋の通った行動力で乗り越えていけると踏みました。
 より高いレベルに向かって、前進あるのみ!

中川農林総合事務所長

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ファミリーで、HOTな農業!!(林 貴勝)

林貴勝写真

林 貴勝 (はやし たかかつ)

Profile

石川県白山市八田町生まれ
福井工業大学卒業
石川県の設計事務所勤務
アパレル関係(洋服店)勤務
平成16年 実家に戻り就農

◇経営概要
 水稲9.2 ha、大根と小松菜80a、トマト22a

就農のきっかけから就農まで

 学生の時、父と一緒に農業に携わっていた母が病気になり、週末・休日には福井県から石川県の家へ帰って、農作業の手助けをしていました。この仕事は父1人ではなかなか大変だということは感じていました。
 大学卒業後は、アパレル関係に就職し、服飾関係の仕事に就きましたが、休日には学生時代と同様、家に帰って農業の手伝いをしていました。
 父と農業をしながら、いろんな話を聞くうちに、少しずつ農業をしようという気持ちになってきたように思います。
 両親も年々年をとるにつれて、家のことが気になるようになり、一緒に農作業が出来るうちにと思い、就農を決意しました。

就農してから現在まで

 子供の頃から実家で農作業の手伝いをしていましたが、実際に仕事として農作業を始めてみると、種まき、肥料、収穫作業と今まで自分の知らなかった部分がたくさん見えてきました。
 現在、水稲のほか、小松菜、大根、トマトなどの野菜を主に作っており、就農した当初は、父の指示のもとに仕事をしていましたが、今ではトラクタなどを使う機械作業や年々請負面積が増えている水稲管理作業はほとんど任せてもらえるようになりました。
 野菜の管理作業は、病害虫などまだまだ分からないことがたくさんあり、もっと勉強したいと思っています。
 また、同じ八田町に、野菜を一緒に作っている、これからの地域の農業を語り合える仲間がおり、励まし合っています。

将来はこんな農業をめざします!

 現状の農業をしっかり勉強して自分のものにして、地域の人の役に立てるようになりたい。

今後就農をめざす人へ

 農業は簡単な仕事ではないが、やる気次第で結果が出る仕事です。
 私は農家の子弟で、一緒に農業をしている父に栽培管理や農業経営のことなど、分からないことはすぐ聞けるので安心ですが、ゼロから始める人は技術の習得や経営基盤の確保など大変だと思います。
 就農後は身近に相談できる人や仲間を見つけることが大切なことだと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 大学での大好きなサッカーに潔くケリを付けたり、建築やアパレル関係の異業種とキッパリ縁を切り家業の農家を継いだのは、小さい頃から手伝いをして農業に違和感がなかったこともあるが、やはりお母さんの病気がキッカケの家族愛。友達同士のように3人で語るのを見るのは何とも羨ましい。
 今は農政もどちらを向くか混迷、農業経営も先行き不安の中、貴勝さん自身、林家の農業をどうしていくか簡単に見つけられないと思いますが、今の内に様々なノウハウをしっかり身に付けておけば、必ず近い将来大きく羽ばたいていけるものと確信しています。何よりも貴方の感性と優しさを以って。八田は君に任せた!

中川農林総合事務所長

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土を愛し、土に生きる(北野 昌弘)

北野昌弘写真

北野 昌弘 (きたの まさひろ)

Profile

石川県野々市市生まれ
新潟大学農学部家畜生産学講座卒業後、北海道帯広市で酪農実習(約1年)
地元に戻り、米づくりができる就職先を探しつつJAでアルバイト
平成16年 (有)ばんば内定後、半年間インド・スリランカ・ネパールにて放浪
平成17年 (有)ばんば就職
アグリ塾水稲専門コース受講

就農のきっかけから就農まで

 大学在学中にサークル活動で、中魚沼郡仙田(現十日町市)の地域起こしに参加し、日本一の米を作る人達との交流を通して「この人達と同じ土俵に立ち、米づくりの話を肴に酒を飲みたい。」「自分の大切な人に自分が育てた物を食べてもらう。こんな素敵な職業は農業以外考えられない。」と米づくりを決意しました。
 北海道帯広市で酪農実習後、地元石川県に戻り米づくりを仕事とする道を模索しました。現在はいしかわ農業人材機構などありますが、当時はハローワーク、求人誌、県庁の農政課などにあたってみたけれど見つからず、苦労しました。
 また、両親からは「大学まで行かせて何で農業なんかに」と嘆かれましたが、農業を仕事としたいという気持ちは変わらず、JAの育苗センターや砂丘地集出荷場でアルバイトを続け、その時に知り合った方に人を募集しているという「(有)ばんば」さんを紹介していただき、ようやく就農することができました。

就農してから現在まで

 就農した当初は、正直米づくりに関してあまり知識はありませんでした。百姓の名の通り、様々な仕事があり、憶えることだらけで肉体的、精神的にも疲れ果てる毎日でした。
 でも、今振り返ると、その苦労と比例して米づくりの知識や自分ができる作業が増えていく喜びも感じることができる毎日だったと思います。
 また、インド、ネパールなどを旅し、改めて農業の大切さを実感し、農業への想いは熱くなるばかりです。
 現在5年目、ほとんどの作業を任せてもらえるようになり、その期待に応えられるように精進する毎日です。
 就農のきっかけとなった新潟の人達と再会し、米づくりの話で一杯やり、ようやく「百姓です。」と胸を張って言えるようになってきたところです。

将来はこんな農業をめざします!

 農業は、「元気にする力」を持っています。
 環境、生物、人、そして生まれ育った日本が元気になるような農業を目指します。

今後就農をめざす人へ

 農業はとても魅力ある仕事です。しかし、とても厳しい仕事でもあります。
 だから、仕事が無いから「とりあえず農業でも」という甘い考えの人は長続きしないと思います。自然相手だからこそ厳しい世界なのです。
 逆に、どんなことでも農業に対する熱い想いがある人にはやりがいのある仕事だと思います。農業は熱い人材を求めています。「想いがあれば何でもできる」。

農林総合事務所所長よりひとこと

 畜産という、家畜の命を頂くことで人間の食生活が保たれるという関係が身近に感じられる世界や、南アジアでの食べたくても食べれないという飢えの世界を目の当たりにしてきたことで、食料が生きるうえでのベースであることや感謝の気持ち、食料を作ることの大切さが心に沁みたと熱く述べて頂きました。
 そういう想いを持って生産者となった今は安全性や栄養面等、食に対する様々な責任を感じながら手も気持も緩めず作っていきたい。そして自分の大切な人に食べてもらい、美味しいと喜ぶ姿が明日への活力になると続けて頂きました。
 最後に、大切な人とは?との問いには、ハニカミながら只今募集中とのこと。
 一本、筋の通ったいい男ですよ!

中川農林総合事務所長

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1人農業で、新たな生き甲斐を「もうける」!!(綱 要)

綱要写真

綱 要 (つな かなめ)

Profile

石川県宝達志水町生まれ
昭和45年 マルピー薬品(株)入社
平成17年  〃 退社
平成17年 アグリ塾体験コース
平成18年 アグリ塾通年コース
平成19年 白山市向島にて新規就農
現在、ガラスハウス2棟を借り、メロン・軟弱野菜を栽培
協同選果場及びJAグリーン、Aコープ等で直売
 

就農のきっかけから就農まで

 農業と云えば、小学生の頃に「くわ」で周囲の畑を耕す程度のことしか記憶がありませんでした。
 そんな折り、「あんた、押水のあいた土地に野菜でも作ったら。今、県のアグリ塾で、作り方を教えているよ。」と妻からアドバイスがあり、早速、平成17年度のアグリ塾体験コースを受講し、メロンづくりに出会いました。
 「よし、これだ!」と思い、18年度のアグリ塾通年コースを再受講しました。
 そして、平成19年には、石川農林総合事務所のご支援を頂き、メロンづくりに適したハウスを借りることができ、メロン栽培に取り組みました。

就農してから現在まで

 就農時は正直、4aのガラスハウスを管理出来るのかどうか不安でいっぱいでした。
 というのも、アグリ塾ではメロンを250本栽培するのに、2人で苦戦しながら管理をしていたのに、いきなり880本をたった1人で栽培し始めようとしていたからです。
 そういう思いでスタートしましたが、「アッ」という間に3年が過ぎてしまいました。
 なんとかなったのです。
 3年目の今年は、ガラスハウス1棟とビニールハウス1棟(1.5a)を増やし、メロンの年5作に取り組みました。
 この間、農林総合事務所、あるいは近隣の農家の方々のご指導、アドバイスを頂き、感謝・感謝・感謝であります。
 また、新しい試みですが、メロン受粉用のミツバチを自分で飼おうと思い、養蜂技術を習っているところです。

将来はこんな農業をめざします!

 今年就農3年目であるが、あと2年後には、農業で独り立ちが出来る農家になりたい。

今後就農をめざす人へ

 私がアドバイスを送れるとしたら、定年を迎え、年金暮らしをしながら就農しようと思っている方へです。
 それは、自分が食べて大好きな品目を選び、先ず、栽培を始めてみましょう!!

農林総合事務所所長よりひとこと

 しきりに、「はじめは家庭菜園が上手く出来れば、ぐらいの気持でこの道に入ったのでファーマーと名乗るのは申し訳ない。」と謙遜していましたが、今年はハウスも増やし3月の種まきから11月の収穫まで働きづくめ。立派に農家。
 なぜメロン?との問いには、一人で気楽に作業が出来そう、収穫時は一時に集中し作業にメリハリがありそう、自分も好物で高級感があり高く売れそう、とのこと。わかりやすい。
 病害で1ハウス分全て廃棄するなど情けないこともあったが、それ以上に楽しかったことが一杯あり、ここまでやってこれたと感慨深げ。常に前向き。
 次はハチミツにチャレンジしてみたい、と止まるところなし。私も見習いたい!

中川農林総合事務所長

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僕が作って、嫁が売る!!(西濱 俊介・西濱 沙耶香)

西濱俊介・沙耶香写真

西濱 俊介(にしはま しゅんすけ)

Profile

石川県白山市生まれ
東京農業大学卒業後、地元会社に就職し、営業として勤務
平成20年、実家で就農
 

♥西濱 沙耶香(にしはま さやか)

大阪府生まれ
中学の頃、金沢市に引越し
高校卒業後、地元企業に就職
平成20年、結婚を機に就農
 

※経営概要
 施設野菜25a、露地野菜35a、野菜苗10a

就農のきっかけから就農まで

♠俊介
 子供のころは、家の農業を手伝うことがよくありましたが、継ごうとは考えていませんでした。大学を卒業するときも、やりたい仕事が特になかったので、地元の会社に就職しました。営業として働いていましたが、他人からやらされるだけの仕事にやりがいを見出せず、2年で辞めてしまいました。しばらくは実家の農業を手伝いながら、農閑期に(株)六星で生産・加工・販売などのアルバイトをして経験を積み、生活をしていましたが、本腰を入れて農業をやろうと思い、実家を継ぐ決心をしました。

♥沙耶香
 学生時代にバスケットボールをやっていてスポーツが好きだったので、高校卒業後はスポーツ関連の会社に就職しました。4年間の勤務の後、昔から興味があったアパレル関係の仕事に就きました。大好きな仕事でしたが、子供ができたら続けられないなと、なんとなく考えていた頃に、結婚が決まりました。相手が農家の息子といっても、農業がどんな仕事かわからなかったので、悩んだことはありません。すぐに農業をする予定でもなかったのですが、後を継ぐ人がいないと、いつかみんなの食べるものがなくなるんじゃないかなという気持ちはありました。そして、子供ができて仕事をやめることになり、両親や友人が『沙耶香は農業に向いてるよ!』と太鼓判を押してくれたこともあって、旦那さんと一緒に農業を始めました。

就農してから現在まで

♠俊介
 就農した当初は、わからないことばかりで、自分で管理するというより、親にひとつひとつ教えられて作業をしていました。しかし、一人で任される仕事が増えてくるにつれ、土づくりや施肥設計など、より良いものを作るために大切な要素というものがわかるようになってきました。そして、農業の大変さ、野菜づくりの難しさはもちろんですが、その反面、自分で考え、工夫するおもしろさを感じられるようになってきました。

♥沙耶香
 とにかく全てが初めての経験で、わからないことばかり。たくさんの野菜を作っている西濱家に、 只々感心していました。私はこれから何をしていけばいいのか、考える余裕はありませんでした。でも、お義母さんを始め、家族のみんなに教えてもらいながら、野菜に触れ、袋詰めや配達などの仕事を任されていくうちに、お客さんにうちの野菜を知ってもらい、買って頂いて、喜んで頂けるという大事な役割を見出すことが出来ました。

将来はこんな農業をめざします!

 新しい技術を取り入れた、自分にしかできないこだわりの農業をめざします!!

今後就農をめざす人へ

 就農するか悩んでいる方は、思い切って飛び込むことも大事!
 でも、農業は興味がないと続かない仕事でもあります。
 初めは大変なことの方が多いけれど、私の場合は、義父母や周りの人たちが支えてくれるので、安心して仕事をしています。ちゃんとがんばっていれば、必ずそれを見て、助けてくれる人がいるから大丈夫です!(沙耶香さんより)

農林総合事務所所長よりひとこと

 とにかく仲が良く、思いやりがあり、それぞれのよい所を理解し合いながら役割分担していくことが当たり前のように話し出されました。
 作る役の俊介さんは、「今は作るだけの農家ではダメ。ハウスの活用や多様な品種により出荷時期をずらす工夫で販売にも勝負!」
 売る役の沙耶香さんは、独身時代の仕事で得た客商売のノウハウを生かしての販路拡大に意気込み十分!
 でも、たまには夫婦で関東・関西市場へ新規開拓に出かけるのも互いに勉強になるし、違う芽も出るかもしれませんよ。
 二人でやることで苦しみは半分以下、喜びは倍以上に跳ね返ってきます。
 一人ずつより二人三脚ダー、俊介、沙耶香夫妻!

中川農林総合事務所長

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くだもので みんな楽しくしあわせに!(能嶋 眞百美)

能嶋眞百美写真

能嶋 眞百美 (のじま まゆみ)

Profile

石川県金沢市生まれ
金沢星稜高等学校卒業、銀行勤務後、着付講師ほか
平成20年アグリ塾果樹科に入塾
平成21年2月、白山市長島町で40aの梨栽培を開始
平成21年10月、白山市長島町で新たに30a借りる

就農のきっかけから就農まで

 着物が好きだったので、着物関係の仕事をずっとしていました。それからすれば、農業をすること自体、家族もびっくりしましたが、私は華やかな世界と裏側とのギャップに嫌気がさして、アッサリそれまでの仕事を捨てました。
 自分の年齢を考えて、この先は自分に合った仕事をしよう、それには自然体で、余計な気遣いのいらない仕事をしようと決めました。ちょうどその頃、新聞に農業のことが載っていて農業もいいなと思いました。私は桃が好きだったので桃を栽培してみたいと思いアグリ塾に入塾しました。
 そこで、梨園を引き継ぐ人を捜しており、「梨は手間も労力も倍かかるけど、梨が作れたらどんな果物も作れる。」と聞いていたので、土地捜しに疲れていたこともあって、引き受けることにしました。

就農してから現在まで

 引き継いだ時は、すでに冬の剪定の時期でした。考える余裕もなく、翌日には肥料をまき、一からのスタートだったので、書店で買って来た梨の剪定の本を参考にしながら剪定するという状態でした。
今思うと「ひどい剪定をしていたなあ。」と思います。それでもやってこれたのは、元の園主さんや、周りの園主さんが、その都度ポイントを教えてくれたので、何とかついていくことができました。今では本当に感謝しています。
 「毎日園地に通っているから大変だね。」と言われるけど、不思議と辛いと思ったことはありません。たぶん、農耕民族のDNAが目覚めたでしょう。この先老いて行くばかりの園地だけど、できる範囲で新植し樹形も若々しい園地に育てて、仲間と一緒に楽しく果物が作れたらいいなあと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 食べるものを通じて人々と交流がしたい。出来るだけ多くの人たちに果樹園に直接来て頂き果樹の楽しさを体験して欲しい。
 ベリー類など摘み取り園にも挑戦したいです。

今後就農をめざす人へ

 土地から捜している人は、あまり固定観念にとらわれず、出会った所と自分の気持ちが一致した時がチャンスだと思います。
 借りられるものは借りたりして、少しずつ、自分流に開拓して行けばいいと思います。土地捜しは大変ですが、ピンチの裏側にはチャンスがあることを忘れずにあきらめないで下さい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 桃から梨への転換、2作目はほぼ倍増の経営面積、新品種への植替などチャレンジャー精神旺盛な動きの原動力は、楽天的な性格?と失礼な質問にも「そうですねー」と笑いながらも、しっかり計算され尽くされた中での結論に至ったことを説明頂きました。
 将来は摘み取り園も、とはスゴイですね。と更に水を向けると、流石に「今の梨園が軌道に乗ってからの中期的な思いです」と言いつつも「野菜栽培に興味を持たれる方は是非この農園で梨栽培体験をしてみては。野菜も梨もやる気があればそう変わらないです。やはり仲間が増えて欲しい。大歓迎しますよ。」
 あくまで前向きの能嶋さん。事務所も全面的に応援させて頂きます。
 イケイケドンドン、まゆみ!

中川農林総合事務所長

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~自然体で就農~目指すは県内一の家族経営!!(小林 孝志)

小林孝志写真

小林 孝志 (こばやし たかし)

Profile

石川県金沢市生まれ
東京農業大学農学部で主に国際農業を学び、同大学卒業後、金沢市農業センターで2年間の研修を受け、平成12年4月に実家で就農

現在は、両親と奥さんと共に河北潟干拓地と背後地の水田で、水稲 24ha、すいか 2.5ha、ブロッコリー 2.0ha、もち加工等の経営を行っている

就農のきっかけから就農まで

 専業農家の長男として生まれ、周りには田植機やトラクターなどの農業機械が当たり前に並んでいて、小さい頃から、遊び場も畑や田んぼで、農作業も当たり前のように手伝っていました。
 大学を卒業した後、周囲の薦めもあって金沢市農業センターで2年間研修を受けました。研修期間中は、試験栽培や金沢市の先進農家での実習も行いました。ちなみに奥さんは当時、この農業センターで働いており、研修中に知り合いましたが、自分としては、これも研修成果の一つではないかと思っています。
 研修中も、休日は、農業を手伝っていたので、研修終了後は、今日から、改めて就農するという感じではなく、農作業することが当たり前という日常生活が始まり、ワクワクしたことを覚えています。
 正直、親から「農業を継いでくれ」と言われたことは一度もありません。昔から自分は農業を継ぐもんだろうと思っていましたが、この思いは何となくではなく、それが自然であり、会社に就職する自分は想像出来ませんでした。
 今考えるとやっぱり、大変なことも多いけど、楽しそうに農業をやってきた両親を見てきたからかもしれません。

就農してから現在まで

 我が家の農業は、金沢市八田町周辺の水稲栽培と河北潟干拓地での野菜(すいか、ブロッコリー)栽培の複合経営で、就農後は機械作業を中心に、全ての部門に携わっていますが、親からは手とり足とりではなく、毎日の作業の中で、自分なりにわからないことを聞きながら自然体でやっています。もちろん親子で衝突もありますが、お互いの意見を尊重し、より良い物づくりに挑戦しています。
 経営の中で、水稲部門では水田地帯である地域の恩恵を受けながら、品種や施肥を工夫し、自分の出来る範囲での規模拡大を目指しています。野菜部門では、すいか中心の作付けを見直し、ブロッコリーやその他野菜の試作・検討をしながら、持続可能な複合経営を確立したいと思っています。
 それに伴い、連作障害を避けるための土づくりが大切だと感じていますし、高品質の農産物をつくっていくためには、今後、有機栽培や無農薬栽培などこだわったつくり方にも挑戦したいと思っています。
 平成16年に、両親と私達夫婦の4人で家族経営協定を結び、全員が仕事も好きだけど遊びも徹底的に楽しむという家族経営なりの良さを感じていますし、担い手農家が全て法人化していく必要はあるのか考えることもあります。
 うちは両親が元気なので、今年は私達夫婦で、いしかわ農業人材機構の「いしかわ耕稼塾・経営革新スキルアップコース」に通い、色んな分野の方の話を聞いたり、同じような後継者とのネットワークをつくるなど貴重な経験をさせてもらってます。

将来はこんな農業をめざします!

 地元で、“美味しくて、食べて安全・安心”な農作物づくりを目指します。

今後就農をめざす人へ

 農業は「食」と結びついている産業なので、今後も衰退していくことはありません。
 これからはつくるだけでなく、色んなことをやらなければいけないけど、必ず目標を持ってやることが大切です。
 自然相手で大変なことも多いけど、達成感や爽快感の味わえる魅力的な職業ですよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 両親と大規模な農業経営を行っている中で、彼は会計業務を担当し、既に経営に参画している。
そして、何が儲かっているのか、何が儲かっていないか、どんなものに経費がかかりすぎているかを分析している。その結果と流通関係者からの情報を基にした新しい品目の試作から、今後の経営のあり方や方向を検討している頼もしい後継者である。

高農林総合事務所長

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金沢の園芸産地を若い力で守っていくぞ!(吉田 武志)

吉田武志写真

吉田 武志 (よしだ たけし)

Profile

石川県金沢市下安原町生まれ
普通高校を卒業後、一般企業に就職
平成15年、家業の農業を継ぐことを決意
現在、農業青年グループ会員、砂丘地部会西瓜部会役員

<経営内容>
 すいか(130a)・だいこん(100a)・メロン(10a)・打木赤皮かぼちゃ(10a)・
 コカブ(10a)・ストック(10a)・葉ボタン(5a)

就農のきっかけから就農まで

 高校卒業後、一般企業に就職しました。その頃は、家業の農業を時々手伝っていましたが、親から強く農家を継ぐことを勧められてはいませんでした。
 就農のきっかけは、地区の青年団活動で農業をしている先輩から勧められたからです。野菜の集荷場には、若い人が多く、色々な話が聞ける良い先輩がいて、楽しく、仲間に入りやすい雰囲気がありました。
 また、結婚を機に自分の将来を考えていましたが、地域の農業青年がしっかり農業をやっている姿をずっと見ていて、頑張ればやっていけるとの確信が持てたからなのかもしれません。
 今でも、野菜を出荷した後の集荷場や部会の役員会で、新たに入った後輩や先輩と話をするのが好きです。

就農してから現在まで

 現在、父は施設のメロンや花き等を担当し、私は露地のすいかとだいこんを担当しています。5年前から完全に任せてもらっています。
 すいかは、上手く玉を付けて、2L・3Lの大玉に作れれば楽しいけれど、毎年天気が違うので微調整が難しいです。販売促進のため大阪に出かけますが、消費者から直接「甘くておいしいね」と言われると一所懸命作らないといけないと思います。
 だいこんは、キレイな肌のものを作りたいのですが、肥料と水加減に苦労しています。
 打木赤皮かぼちゃは、すいかの後にハウスで作っていますが、市場からは1年中出荷して欲しいと言われています。今年、立体栽培を試してみましたが、玉の大きさが揃い、安定して栽培できるという手応えを感じました。赤皮かぼちゃをもっと産地で拡大出来れば良いと思っています。
 農産物は、毎年天気が違い、作りも違うが、同じ事をしていては良いものができません。すいかは、他の農家のやらない栽培方法も試してみている。そうすると今の栽培方法が良く見えてくる。肥料も少しずつ変えてみるが、思った通りにならないことが多く、奥が深いなと思います。
 現在、野菜生産部会の役員をしています。
 金沢南部は県でも大きな野菜の産地であり、その将来を担っていると思うと責任も重く感じます。若手の生産者も多く、活気もあるので協力して産地を引っ張っていきたいと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 市場や仲卸・量販店との話し合いの機会が増えています。
 消費者ニーズに対応し、野菜産地としてまとまった面積を維持しながら、販売力のある産地であり続けたい。

今後就農をめざす人へ

 個人選別出荷でも共同選別出荷でも、農業では人づきあいが大切である。わからないことを相談できる人が多い方がいい。
 農業は、一所懸命すれば答えが返ってくる職業である。いいものを作りたいという欲がないとうまくなれない。 常に考え、工夫していくことを続けて下さい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 県内で最も大きな野菜産地で若い後継者がたくさん育っていることは本当に喜ばしい限りです。
 吉田さんは、Uターン就農ですが、高い栽培技術を求められる産地の中で日々研鑽を積んでいるようでした。
 野菜の販売環境が厳しさを増していますが、常に時代に対応してきた産地ですので、今後も吉田さん達若い農家のがんばりで産地を守っていくことを期待しています。

高農林総合事務所長

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れんこんのトップファーマーを目指して(宮野 義隆)

宮野義隆写真

宮野 義隆 (みやの よしたか)

Profile

現在は、れんこん専作経営。家族は、妻、子供2人
子供が保育園児で育児の手がかかることから、妻は出荷・箱詰を手伝う程度でほとんど自分一人で行っている
また、休日はゴルフと野球を楽しみ、自称、アウトドアタイプの人付き合いの良い好青年

<経営内容>
 レンコン1.5ha 出荷:4,500ケース以上/年

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から地元ではガキ大将で、独立志向が強く、学校を卒業したら、将来的に誰かに雇われるサラリーマンより、会社の経営者になりたいと思っていました。その経営者になれる農業に昔から関心がありました。
 そんな思いを持ちながら社会人となり、一時的には大工の仕事もしていましたが、8年前に専業農家だった父親が病気に倒れたのをきっかけに、兄とともに父の経営を引き継ぐ形で就農しました。
 当初は兄と水稲栽培に取り組んでいましたが、どうしても独立したくて、河北潟干拓地でれんこんの栽培を行うことにしました。やるからには、優れた品質の美味しいれんこんを作りたいと思いましたが、自分ひとりでは栽培の勘どころがわからなかったため、先輩のれんこん農家から栽培ノウハウを教えてもらいながら、一生懸命、栽培技術を習得しました。
 ようやく、れんこん農家として経営の目途が立った平成19年に認定農業者となり、現在、地元加賀野菜にこだわる本格的なれんこん農家として栽培・出荷に取り組んでいます。

就農してから現在まで

 れんこん栽培は、水稲より手作業が多く重労働です。特に、夏の出荷ピーク時には、午前2時に起床して掘り始め、午前9時まで働き通しなので、正直辛いです。
 また、れんこんは根菜で土中で生育するため、葉の状況だけで作物の生育状況を見極め、施肥・防除をしなければならないため、水稲に比べて、かなりの技術が要求され、その技術を習得するまで時間がかりました。
 それでも現在では、消費者に自信をもって出荷できるれんこんが栽培できるようになり、満足しています。
 また、河北潟干拓地では、自分と同じ若いれんこん農家も増えてきており、一緒に切磋琢磨していきたいと思っています。
 今後は栽培面積を拡大し、加賀れんこん産地の牽引役となれるような栽培や活動をしていきます。

将来はこんな農業をめざします!

 土づくり、有機栽培などこだわりのれんこんを栽培し、同じ生産者から信頼される仕事をしたい。
 将来的には消費者との直接販売もしたい。

今後就農をめざす人へ

 加賀れんこんの栽培は、決して甘くはないですが、やりがいのある仕事です。
 出荷期間が8月から翌年5月と長く、価格も比較的安定しているので、特に体力に自信のある人にはお勧めです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 加賀れんこんは4節からなる。新堀の頃、先頭節を「さしみ」(サラダ等)で食べると品質の差がはっきりするらしい。その味が良く、本物づくりの生産者Mさんを師匠と仰ぎ、師匠の域に近づきたいと努力している。Mさんにれんこんのことから私生活のことまで何でも相談しているとのこと。
 良い産地には良き指導者がおり、良い担い手が育っていると思う。

高農林総合事務所長

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安全・安心で美しく、美味しいぶどうを多くの人達に食べていただきたい(福本 一朗)

福本一郎写真

福本 一朗 (ふくもと いちろう)

Profile

石川県生まれ
35年間勤めた製薬会社(営業)を定年退職後、アグリ塾通年コースを受講。
平成18年、金沢市下安原で農地、施設を借り、新規に営農を開始

現在、34aのぶどう園で巨峰等を栽培し、生産組合を通じて主に金沢市場へ出荷
石川県オリジナル品種「ルビーロマン」の栽培にも取り組んでいる

就農のきっかけから就農まで

 田んぼは家の周りに少しありましたが、農業はその頃過渡期で先が見えないということで、父親と同じサラリーマンになりました。
 勤めていた頃は東京の本社にいたものですから、社内旅行で山梨に行くことが多く、そこでぶどう狩りをしたり、ワインに触れたりして、「ぶどう」というものに非常に魅せられました。定年退職になった暁にはぶどうを作ってみたい、作りたいとずっと思っていました。
 平成16年に定年退職し、1年くらいゆっくりしようと思っていたのですが、たまたま県庁の情報コーナーでアグリ塾の募集を見つけたので、応募して受講することになりました。アグリ塾の研修先である砂丘地農業試験場の場長とはウマが合って、夜遅くまでいろんな話をさせていただきました。
 アグリ塾卒業後は家のそばで少しやれればいいなという考えしかありませんでしたが、1月の終り頃に下安原のぶどう園で誰かつくる人を探しているという話をいただきました。自分としてはいきなり34aの大きい面積をやるつもりはなかったのですが、市や県の担当者と話をしていくうちにやってみようかという気になりました。

就農してから現在まで

 就農1年目はビニールの掛け方でも、まずバンドの結び方が分かりませんでした。周りの農家に微に入り細に渡って指導してもらいました。
 県の指針では収量が1.5t/10a位になっていましたので、目標を設定して34aで3tくらいはとりたいなと思っていました。1年目は半分もいきませんでした。3年目は消毒も作業も何もかも遅れました。適期を逃して、つらい思いは何度もしています。百姓は結構つらいですね。来年であっという間に5年経とうとしています。
 来年は密閉作型に挑戦してみようと思っています。開放作型で収穫が遅れていたのですが、もうちょっといい時期に出せるような形で努力したいと思っています。
 ルビーロマンも栽培しています。来年は1万円のぶどうを出荷したいと思っています。そういう目標がないとやってられません。希望は大きく持ちたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 自己研鑽を積んで、いっぱしのぶどう農家になりたい。

今後就農をめざす人へ

 お金と時間、技術が必要。体力もいります。健康でないと出来ないし、やりながら健康を作っていくのは難しいです。サポートもいります。支援してくれる家族はもとより、指導者が必要です。なかったら、とてもじゃないが、2~3年でギブアップしていました。
 やるという根性と目標意識を持たないとダメです。自分の身から出てきた「やらなきゃならない」という意識が一番大切だと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 課題は、収穫時期の前進化、収穫量の増加。そのため来年は、これまでやったことがないハウスの密閉作型にチャレンジする。
 この栽培方法に沿った技術的な対応が必要なことはもちろんであるが、この他、旧松任市からの通勤農業であるため、きめ細かなハウス開閉作業が容易ではないという問題を持つが、何とか取り組みたいとのこと。担当普及指導員も応援するので頑張っていただきたい。

高農林総合事務所長

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「おいしかったね」と言われたい!(西本 いずみ)

西本いずみ写真

西本 いずみ (にしもと いずみ)

Profile

平成19年に金沢農業大学校へ入校。2年間野菜栽培の技術を学ぶ
平成21年に千木町の夫の実家の農地30aと無量寺町の借地20aにおいて栽培開始
金沢市御所町慈姑出荷生産組合、JA金沢中央大徳甘藷部会への参加のほか、自身で金沢春菊などの加賀野菜を栽培し市場出荷
その他、焼き肉店との契約栽培としてサンチュの栽培などを行っている
また、夫も現在農業大学校生であり、2人で協力し作業を行っている

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から農業のあるところで育ったわけではありませんでした。夫の実家が米農家だったので、田植え、稲刈り時に手伝いをしたくらいです。
 就農するきっかけとなったのは、食品加工業者でパートをしていた頃、添加物が身体に良くないということを知ったことです。しかし、スーパーで買い物しようとすると、添加物の含まれていない食品と言えば生鮮野菜しかなく、それなら自分で野菜を栽培しようと思ったのです。
 野菜栽培を始めようと思った頃、ちょうど金沢農業大学校の研修生募集の記事が目に止まり、農業大学校へ入校しました。
 大学校へ入る前は有機栽培をやってみたいと思っていましたが、農薬散布もある程度は必要だということを大学校で学びました。そのため、なるべく使わないようにはしていますが、必要最小限の農薬散布と化成肥料の施肥を行っています。また、今後も必要最小限は使用しなければいけないと考えています。
 就農するときは大学校の支援と自己資金でハウスを建てました。夫の実家の農地があったため、探して借りる必要がなかったのは良かったのではないかと思います。

就農してから現在まで

 私が大学校を卒業したのと入れ替わりに、以前から農業に興味があった夫も、会社を退職し、大学校へ入りました。2人で作業を行うのは気分的に楽なのですが、初めて経験する農作業ばかりなので、毎日が一杯一杯になっています。
 栽培品目については、大学校で学んでいる時から、金沢春菊を栽培していましたが、それ以外は卒業してから、親戚の市場関係者から話を聞いたり、大学校の先輩から誘いを受けたりして、いろいろ試しながら取り入れています。
 また、大学校で出荷先を相談したところ、部会への加入を勧められました。
 部会員の皆さんにはさつまいもの機械を借りたり、お世話になっております。
 さらに空いた農地を借り、面積を拡大しないか?という話を部会の皆さんからもらっています。今すぐに面積を増やせる状態ではないですが、技術を習得し、面積を拡大する実力をつけたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 おいしい良いものを栽培し、食べたみなさんから「おいしかったね!」と言われたい!

今後就農をめざす人へ

 初心者が農業で自立経営を目指すには、学校などに通って基礎的技術を学ぶことが大切だと思います。
 技術の習得はもちろんですが、ともに学んだ仲間と卒業後も情報交換ができることはとても大事なことだと思います。
 また、農地や資金などの自己資産を持っていても、新しく農業を始めるときには、各関係機関に相談し、いろいろな支援を利用することをお勧めします。

農林総合事務所所長よりひとこと

 ご主人と一緒に話をしてくれました。それによれば就農1年目にもかかわらず、営農計画をしっかり持っておられると感心しました。
 作る種類・量によって販売方法を決めたとのこと。さつまいも、くわいについては量が多く、既存の各部会に入り、市場へ、また、金時草、春菊を個人で市場出荷、その他、量が少ない物については契約栽培や直売所へ出荷する計画である。計画に沿ってお二人で良い物をたくさん作ってください。

高農林総合事務所長

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生産から加工・販売まで心を込めて新しい農業に取り組みたい!(井ノ山 利倫)

井ノ山利倫写真

井ノ山 利倫 (いのやま としみち)

Profile

石川県津幡町出身
名古屋の専門学校卒業後、石川県に戻り就職活動していたところ、(有)かわにを紹介
アルバイトとして採用され、その後、正社員となり、平成18年に就業
今年で4年目に入っており、現在では生産部門の作業の他、ホームページの制作・更新やトレーサビリティーシステム導入を担当

就農のきっかけから就農まで

 名古屋のスポーツ関係の専門学校を卒業後、地元石川に戻り、就職活動をしていましたが、アルバイト求人雑誌に載っていた県内農業法人に興味を持ち、応募したところ、採用されてしばらく農作業をしていました。
 その後、より自分にあった農業をしたいと思い、再度、県内農業法人での就業先を探しましたが、農業の仕事はなかなか求人が無く、自分で見つけることができませんでした。
 そこで、就農の相談や支援をしてくれる石川21世紀農業育成機構という機関を訪ね、相談したところ、(有)かわにを紹介してもらうことになり、担当者と同行し、(有)かわにの河ニ社長と面談しました。
 (有)かわにでは、すいかやさつまいもの生産をしているほか、さつまいもの加工も行っていると説明され、農業分野で幅広い業務に取り組んでいる法人だなと感じました。
 その場で採用が決まり、2年間程アルバイトとして働き、その後正社員となり、就業しました。

就農してから現在まで

 有)かわにでは、さつまいもとすいかの生産及びさつまいものペーストや焼き芋の製造販売を行っています。ペーストは全国的にもありますが、通常は蒸すのに対し、当社では遠赤外線オーブンで焼き芋にした後、加工しています。コボコボ感があり、お菓子等にした時おいしさに差がでます。
 就農1年目は、初めての収穫作業に戸惑い、重労働に疲れる日々でした。
 翌年は育苗から定植・収穫の一連の作業を経験、農作業の厳しさ・難しさを知るとともに覚えることも多いため、気持ちや身体的にも余裕がなく、やはり疲れて帰る日々が続きました。
 3年目に入ると、全体の作業の流れが分かり、体力も付き、農作業での身体の使い方も分かると、気持ちに余裕が出来て、疲れて帰る日がだんだんと少なくなりました。
 徐々に農作業に慣れてくると、自分が収穫し出荷した野菜をスーパーなどで見るたび、喜びを感じるようになりました。
 現在では正社員として、農作業だけでなくホームページの製作・更新作業等のWEB担当を任されています。
 らに生産から製造までのトレーサビリティーシステム導入の試行にも携わるようになり、その技術研修に鳥取大学へ研修に行っています。

将来はこんな農業をめざします!

 さらに技術を習得し、将来は独立して農業をしたいと社長に相談しています。今後は、インターネットを活用した製品販売・情報発信の向上に取り組みたいと思っています。

今後就農をめざす人へ

 農業に新たに夢を持って取り組みたいと考えている人は多いと思いますが、知識・技術もなく無経験で始めることは難しいと思います。
 回り道と感じるかもしれませんが、一度農業法人等で就業して色々なことを教わることが大事だと思います。
 その後、独立を目指しても遅くはないと思っています。

農林総合事務所所長よりひとこと

 「農業に対するあこがれを持ち”かわに”に入社」した青年が農作業に慣れるとともに、様々な仕事を通して農業を知り「視野が広がった」と言う。
 また、“かわに”ではWeb担当としてHPの更新、トレサビシステムの開発にも関わっており、まさに仕事に打ち込み、充実している様子が感じられ、昨年結婚したことでさらに前向きに取り組んでいるようであった。

高農林総合事務所長

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地域の農業を守るという思いで仕事しています!(大田 建)

大田建写真

大田 建 (おおた けん)

Profile

大学卒業後、実家で就農
その後、かほく農業青年グループ加入
主に水稲を担当している
いずれ葡萄栽培にも参加していきたい

<経営内容>
 水稲 16ha
 ぶどう 50a
 野菜(大根) 30a

就農のきっかけから就農まで

 思えば就職活動中の秋の収穫時、何気なく稲刈りの手伝いに行ったのがきっかけです。
 大学在学中の4年間でやりたい仕事が見つかっていれば、進む道は違ったかもしれませんが、小さい頃から手伝いをし、「農」を見てきた自分としては「農」を越えるものがなかったのです。
 就職活動中、久々に稲刈りの手伝いをし、見たものは、荒れ地が増えた農地でした。生まれ育った農地が荒れていくのを見るのは、とても寂しく、私が守らねばならないと決心しました。
 また、我が家自身が、専業農家といっても半分専業農家でなくなっていたので、専業農家としてこの農地を守っていこうと思ったことも理由のひとつです。

就農してから現在まで

 就農当初、ほ場整備はすすんでおらず、まだ話だけの段階で、荒れ地を耕して作付した所もありましたが、雑草が多く、管理が大変でした。
 小さい頃から、手伝いをしていたといっても、所詮、手伝い程度でしかわかってなく、作業も水稲と葡萄では重なる時期があり、水稲はひとりでする仕事が多い。水稲は、すぐ身近に教えてくれる人も少なく、右も左もわからない状態で、でもやるしかないという一心でやってきました。手伝いをしていたからなんとかなるだろうという考えもあり、毎回毎回、自分の甘さを実感しました。
 そんな中でも、量・質ともに安定してくると今までの努力が実ってきたようで、力が湧きました。
 就農から3年くらいたった頃だろうか、かほくに農業青年グループというのがあると聞き、入会。そこで、同年代で農業をしている人達と知り合い切磋琢磨することにより、今までの「井の中の蛙」から抜け出せました。
 しかしまだまだ課題は多く、追いつけ追い越せの精神でやっておる次第であります。

将来はこんな農業をめざします!

 「土地」を守り「食」を守る、その他にも自分なりの農業を目指す。

今後就農をめざす人へ

 農業と言っても、いろんなやり方があり、その中でも自分らしい農業であれば良いのではないか。それでも、そんなに甘いものではなく、ただ好きなだけではやっていけない。
 現実を受け止め、1人のカラに閉じこもることなく、やっていければいいのではないか。

農林総合事務所所長よりひとこと

 彼が考える農業は、耕作放棄地を無くし米づくりをすること、つまり農地を農地として活用してこそ多様な生物が生存し、環境が維持されるということである。そして、彼が耕作し環境が向上した区域を散歩する人は以前より増加している面も見られるとのこと。
 一方、草刈り・用水管理作業については農地・水・環境保全向上対策を地域の方と一緒に実施している。

高農林総合事務所長

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職人スタイルで、こだわりのぶどうを!(竹森 賢司)

竹森賢司写真

竹森 賢司 (たけもり けんじ)

Profile

石川県立金沢桜丘高校から金沢大学工学部へ進学
平成17年に父親の経営するぶどう園に就農

現在、経営者として90aのぶどうを栽培している

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から家の仕事を手伝い、ぶどうの木と共に育ちました。
 自然が好きであったことと、人と同じ事はしたくないという性格から、ぶどう園を経営することに魅力を感じ始めました。また、直売店舗であったため、消費者の生の声を聞く機会が多く、こだわりを持って作っているぶどうが評価されていることを目の当たりにしてきました。そして、「自分もみんなが笑顔になれるような美味しいぶどうを作りたい。それを少しでも多くの人に味わってもらいたい」と強く思うようになったのです。
 二人兄弟の兄は金沢の会社へ就職し、私が大学で物質化学工学科へ進学したときも、父は私たち兄弟にぶどう園を継いで欲しいという期待は一切かけず、好きなことをさせてくれました。
 そんな寡黙な父の背中を見て、「これぞ職人農家だ!自分もこんなカッコイイ農家になりたい」と感じ、ぶどう園を継ぐ決意をしたのです。

就農してから現在まで

 就農してから2ヶ月後、父が病気で入院しました。知り合いのぶどう農家の方に教えてもらうことになったものの、人とは異なるこだわりの作り方をしている父の畑では上手くいかず、その年は品質・収量ともに大きく低下してしまいました。
 その後、父の容態は悪化し、1年後の夏に亡くなりました。こだわりの美味しいぶどうを作る秘訣も謎のまま、いつもの味を求めてこられるお客様の期待に応えられるのだろうかと、不安な日々が続きました。
 それから、栽培講習や先輩農家の方の指導を受けながら必死で勉強しました。そして基本的な技術を身につけたある日、父が残してくれたぶどうの木に答えが隠されていたことに気づきました。ざっくり切られた枝の断面、ミミズの這ったような汚い字のメモ書きなど、父は無言で私に教えてくれたのです。
 そして、その年のぶどうを食べたお客さんに、「お父さんの味だね」と言ってもらえました。あの時の感動は今でも忘れられません。
 まだまだ未熟ですが、父の意志を引き継いだこの畑で、こだわりのぶどう作りを追求していきたいと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 こだわりのぶどうで、人に笑顔と感動を与えたい!

今後就農をめざす人へ

 まず方向性を決めましょう。農業と一口に言えども多様なスタイルが存在します。儲けたいのか、地域とのつながり、地球とのつながりを大切にしたいのか、職人のようなこだわりを求めるのか。自分がどのスタイルに合うのかを明確にしておくことが大切です。
 そのためにも、ぜひ農業青年の活動に参加しましょう。何か答えが見つかるはずです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 工学部の夢と農業の夢から農業の夢を選んだわけを聞いた。
 工学部の夢は地球に優しい、エコ関連の仕事であったが、その仕事は「遠すぎて実感がない」。しかし、ぶどうづくりは結果がすぐ出る、消費者からも反応が直接聞けることから「直結感があり、これだ!」と思ったとのこと。消費者から直に評価される直売を行い、自分が納得できる物しか売らないという職人気質を持っている。

高農林総合事務所長

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かほく市のブランド品目を作る責任と誇りを胸に!(中 外喜雄)

中外喜雄写真

中 外喜雄 (なか ときお)

Profile

平成17年 建設会社を退職
平成19年 就農準備校「アグリ塾」通年コースを受講し、大崎の農家で研修
平成20年 大崎園芸生産組合及び大崎甘藷生産組合に加入し、営農を開始
 

就農のきっかけから就農まで

 長年、農業とは関係の無い仕事をしていました。会社を退職し、雇用保険受給時に内灘町のふれあい農園で野菜を栽培したのが第一歩でした。
 50平方メートル程の農地に所狭しと、じゃがいも、だいこん、すいか、きゅうり、トマト等を栽培しました。農園の周りの皆さんから色々教えていただいて、とてもおいしい野菜を収穫することができました。
 その中でもすいかは特においしく出来上がり、格別の喜びでした。第2の人生を始めるのに「農業もいいかな」と思い始めました。
 そんな状況の中、ハローワークで石川21世紀農業育成機構の方からアグリ塾のことを教えていただきました。また、アグリ塾へ入るまでの研修先として白山市の農業法人も紹介していただき、葉物の栽培を主体とした半年間の研修を行いました。
 アグリ塾も後半に入り、砂丘地農業試験場の場長、担当課長から大崎園芸生産組合を紹介されました。
 しばらく今まで色々やってきたことを考え、思い切って組合に加入して、皆さんのお世話になろうと決心しました。

就農してから現在まで

 大崎園芸生産組合及び甘藷生産組合に加入したことで、先輩組合員やJA石川かほく及び津幡農林事務所から色々大切な指導を受けることができました。経営は自己責任ですが、播種から収穫、出荷に至るまで周囲の組合員の皆さん(雲の上の人・・・)に良いお手本となっていただいています。
 就農1年目、2年目と、欲を言えばきりがありませんが、なんとか満足できるものでした。小さな失敗はたくさんありましたが、大きな失敗が無かった事が良かったと思います。春から就農3年目に入りますが、今年はもっともっと周囲の先輩組合員の圃場を見せてもらいながら学びたいと思っています。
 大崎園芸生産組合では、すいか、秋冬だいこんを栽培しています。また、甘藷生産組合では、さつまいも「かほっくり」を栽培しています。「かほっくり」については、喜綿代表理事のリーダーシップのもとで、昨年から「ソフトクリーム」、「かほっくりペースト」、「干しいも」等加工品の開発・生産拡大を積極的に進めています。
 二つの組合の一員として、皆さんの指導を受けながら、また迷惑をかけないように夫婦二人で頑張っていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者の皆さんから「収穫は、まだ?」と言われるようなおいしい野菜を作っていきたいと思います。

今後就農をめざす人へ

 就農を目指す人とひと口に言っても、色々な状況、また条件の違いで千差万別だと思います。
 初めは農業研修、インターンシップ、その他色々な支援・施策がありますので、経験してみるのも良いことと思います。そうしている中で自分の目指す農業像を少しずつイメージしていき、就農に結びつけていって下さい。
 一歩ずつでも前進して下さい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 長く会社勤めをされた中さんから見た農業の魅力は、「トラクターに乗っている時の開放感、作物の生長を見る感動、収穫の喜び等」である。反対に辛いことは「かみさんの愚痴を聞くこと」と言う明るい方であった。
 そして、今後の望みは「喜びが感じられて夫婦2人で仕事を続けられること」と話していただいた。

高農林総合事務所長

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美味しくて安全な農産物の生産を目指して(堀田 敦)

堀田敦写真

堀田 敦 (ほりた あつし)

Profile

広島県福山市生まれ
石川県農業短期大学農業工学科卒業後、建設会社に勤務
平成12年 妻の実家の羽咋市で就農
農業青年やJAの青壮年部などに参加し、交流の輪を広げている

<栽培品目>
 水稲 5.2ha
 大麦 1.8ha
 だいこん 3.0ha
 ブドウ 0.7ha
 馬鈴薯 0.1ha
 その他野菜 1.0ha

就農のきっかけから就農まで

 もともと中学時代から農業に興味があり、といっても栽培ではなく品種改良や遺伝子工学だったのですが、大学進学時に縁あって農業短大に入学、卒業後は東海地区で、主にトンネルなどの地下工事で現場管理や設計など農業とはかけ離れた仕事をしていました。
 その後、農業短大時代の同級生だった妻と1999年に結婚しました。
妻は3姉妹の長女で、結婚時には実家で就農しており、自分も将来的には就農するよう義父母に言われていました。
 ただ、しばらくは会社勤めを続ければとも勧められたのですが、非農家でほとんど農業とは無縁で育ち、農作業といえば農業短大の実習をしただけだったので、少しでも早く仕事を覚えようと決意し、結婚と同時に就農しました。
 今、振り返ると、早い時期に農業の世界に飛び込んだことで、比較的すんなりと順応することができたのではないかと思います。

就農してから現在まで

 就農当時は、農作業全般で右も左もわからない状態で、とにかく義父母や妻の仕事を見て覚えるしかなく、また、農作業以外にも町内の人や田畑の場所、地主、土地の境界など覚えることが多く大変でした。
 現在は、農作業の技術はそれなりに向上したと思いますが、感覚的な技術(作物の葉色をみての追肥量の増減など)はまだまだ技術の向上に精進しなければと感じています。特に、農薬使用に関係する技術は、消費者にとって一番関心の高いことなので重点的に取り組みたいと思います。
 また、就農してすぐに羽咋郡市農業青年青雲会に参加したことで、先輩会員の皆さんからのアドバイスや、色々と相談に乗って頂くことができ、とても助かりました。今では青雲会でもベテランの域になりましたが、今まで受けてきた恩を新しい人たちに少しでも返せるようにと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 味にこだわり、消費者から堀田農園の農産物は美味しいと言われるよう、土づくりなどの栽培技術を鍛えていきます!

今後就農をめざす人へ

 新規に参入する方は、就農=起業だという事を認識しましょう。開業資金の準備もなく就農したいという人が多いように感じます。少なくとも3年間は収入がなくても生活できるだけの資金は必要だと私は思っています。
 農業は天候との戦いです。いかに天候に左右されることない、強い農業をするかが勝ち残れる農家の条件だと思います。お互い切磋琢磨しながら頑張りましょう。

農林総合事務所所長よりひとこと

 コンクリート現場から農業の世界へ飛び込んだ堀田さんです。
 農業青年などでの幅広い交流の輪をもとに、精力的に水稲、野菜、果樹の複合経営に取り組んでいます。
 経験も必要な世界ですが、技術向上に一層磨きをかけ、安全で美味しいこだわり農作物づくりを目指して頑張ってください。
 トンネル工事も土作りも地下から始まります。
 美味しい農産物はきっと消費者に歓迎されますよ。

中島農林総合事務所長

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人との結びつきを重視した水田経営を目指して(向瀬 正芳)

向瀬正芳写真

向瀬 正芳 (むこせ まさよし)

Profile

石川県羽咋市生まれ
専門学校(非農業系)卒業後、金沢の民間会社に就職
平成13年、結婚後に妻の実家の羽咋市で就農
就農時から羽咋郡市農業青年青雲会に加入し、会長等の役職を歴任し、現在は監事に就任
現在は、消費者に安全・安心の作物を作るため農業を勉強しています

<栽培品目>
 水稲20ha

就農のきっかけから就農まで

 専門学校卒業当時は実家が兼業農家であったため、農業に興味はあったものの、就農までは考えておらず、漠然と測量関係の会社に就職しました。
 妻の実家が専業農家をしていたので、結婚した当初から就農するつもりでいました。就農に対しては、元々実家が兼業で農業をしていたことから違和感はありませんでした。
 田植えや稲刈りは実家でも今までやってきたので、思っていたとおりスムーズに出来ましたが、それ以外の播種・育苗や田植え後の管理は、今まで手伝った事があまりなかったこともあり、毎日が勉強でした。
 特に、畦の除草管理等は農家によってそれぞれやり方があり、実家とやり方が異なっていたため、多少戸惑いましたが、父から丁寧に教えてもらいながら、なんとか作業することができました。

就農してから現在まで

 今のところ、義父が中心となり経営を行っていますが、将来のために現在、経営・販売方面に力を入れて勉強しています。
 平成7年の米販売自由化に伴い地元の専業農家5名と販売グループを結成し京都・大阪・東京を主に小売りの米屋に直接販売しています。
 米屋のニーズに応じた栽培品目を作付けし、消費者ニーズに応じた安全・安心の作物を提供することを心がけています。
 就農当時は10ha程度でしたが、圃場整備の工事も終わり、現在は20haと作付面積も増え、大規模農業にやりがいを感じています。
 自分の周りには農業の大先輩がたくさんいるので、昔からの栽培方法を学ぶとともに、それらを現在の農業に活かしながら技術の向上に励んでいます。
 現在は今の水稲経営をいかに安定させていくかを考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 先人達の技を受け継ぎ現在の農業に活かしていきたい。

今後就農をめざす人へ

 農業は人と人を結びつける仕事だと思っています。
 自分は始め、農業青年グループに入るなんて面倒くさいと思っていました。
 しかし、今では経営・栽培の相談をしたり、流通の情報交換などをして力強い味方です。
 就農した暁には、ぜひ農業青年グループに入る事をオススメします。

農林総合事務所所長よりひとこと

 結婚を機に離職し、奥さんの実家の農業を始めた向瀬さんです。
 当面は、水稲で直播を導入しながら面積拡大を考え、今はまだオペレーター的な作業が中心ですが、今後、経営・販売面を勉強していきたいということです。
 将来は経営継承し、水稲を主体に22年度から導入される戸別所得補償制度を活用し、儲かる農業を目指して頑張ってベンツに乗ろう。

中島農林総合事務所長

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消費者に喜ばれるようなおいしくて、安心、安全な豚肉生産をめざして(谷口 郁)

谷口郁写真

谷口 郁 (たにぐち かおる)

Profile

石川県宝達志水町(旧押水町)生まれ
秋田県立大学で経営学を学ぶ
同大学を卒業後、実家の養豚業を手伝う

現在は、兄弟、両親とともに、母豚約160頭、肉豚約1,800頭を飼育し、生産環境や衛生面に万全を期した「安心、安全な豚肉づくり」をモットーに奮闘中
肉豚は「能登豚」という統一ブランドで出荷され、肉質はもちもちしており、口の中でじわっと広がる甘味が特徴

就農のきっかけから就農まで

 小学生の頃は、両親、祖父母とも養豚に従事しており、帰宅しても誰もいなかったり、年中無休で、家族で揃って遠出することも少なく、養豚に対してはあまり良いイメージはありませんでした。高校生までは、時々、掃除、子豚の移動、出荷等の簡単な手伝いをした程度でした。
 大学進学時には、まだなりたい職業は決めていませんでしたが、どんな職業に就くにも必要だろうと思い、「経営学」を勉強することにしました。頭の片隅には、「家の仕事を手伝うことになっても必要になる分野」だとの思いもあったのかもしれません。
 その後、卒業時の就職活動では、養豚とは関係のない仕事に就こうかとも思いましたが、やはり子供の頃から見て、接してきた養豚は大変な仕事だと理解したうえで、「両親の負担を少しでも減らしたい」と思い、この仕事を手伝うことにしました。

就農してから現在まで

 就農に際しては、子供の頃から仕事の手伝いをしていたので、少しは勝手がわかっているつもりでした。しかし、実際にやってみると、仕事のほんの一部しか経験していなかったので、いろいろと覚えるのに大分苦労しました。
 例えば、豚の体調管理で、この症状ならこの病気、あの薬が効くと教わっても、元気な豚と体調の悪い豚との違いがよくわからないことがありました。
 また、与える餌の量、質、新鮮さ、豚舎内の温度、空調管理について、こまめなチェックが必要だということも子供の頃は全く知りませんでしたし、豚がこれほど衛生面、ストレス、温度変化に左右される動物だとも思いませんでした。
 就農してから3年程たちますが、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。経営面においても、飼料はどんどん値上がりしていますが、豚枝肉価格は、景気冷え込み、生産頭数の増等で低迷しており、危機的状況にあります。全国的にも養豚農家も減っており、今後、どのような経営戦略が必要なのか考えなければなりません。

将来はこんな農業をめざします!

 豚肉の高級ブランド化は今のところ無理だと思うので、現在の肉質をより向上させるとともに、収益性を高めるために極限まで生産性の効率化を図りたい。

今後就農をめざす人へ

 自分も就農してまだ3年しかたっていませんが、何事にも「経験」がものをいうと思います。
 いくつもの農家で研修するのもいいことですが、それぞれの経営者でやり方が違うので、いろいろと苦労するかもしれません。
 それでも、この仕事をすることに「やりがい」を見出せることが一番大切なことではないでしょうか。

農林総合事務所所長よりひとこと

 谷口君は、三人兄弟の末っ子ということで、就農も遅く、技術的にも、経営的にも、まだまだ経験不足な点が多くあるかもしれません。
 これからは、毛利元就の「三本の矢」のように兄弟3人が、技術、経営などのそれぞれの得意分野で力を合わせて、(有)TPF(谷口養豚)を盛り上げていってください。
 何事にも失敗を恐れずガンバレ!

中島農林総合事務所長

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企業だからこそできる農業を(半澤 咲子)

半澤咲子写真

半澤 咲子 (はんざわ さきこ)

Profile

福島県いわき市生まれ
大学院(農学部)を修了後、青年海外協力隊員としてコスタリカで活動(組織培養技術指導)
帰国後、派遣社員を経て、種苗会社で花のメリクロン苗の培養、販売に携わる
平成19年 この年から農業に参入した水産加工食品会社の(株)スギヨに就業。農場長としての忙しい日々が始まる

現在、七尾市能登島を中心とした約17haの畑で、キャベツ、にんじん、タマネギなどを栽培し、自社加工した商品を販売

就農のきっかけから就農まで

 家は全然農業に関わっていませんでした。学生の頃は生物が好きで、特にバイオテクノロジーに興味があったので、農学部の中でも一次産業としての農業とは少し離れた生物化学科を専攻していました。
 以前は花の苗だけを扱う小さな種苗会社に勤めていましたが、「もっと違う環境で、自分の可能性を試せるような仕事をしたい」と考えるようになりました。そんな時、(株)スギヨの中途採用社員の募集をホームページで知り、募集サイトに畑の写真があったので目に留まりました。募集内容には、農業に携わる人とは書いてなかったのですが、求める人材の中に「枠に捉われず、幅広い分野で興味のある事に取り組んでいってほしい」と書いてあり、面接に応募しました。
 面接の中で、正直に「自分には御社で活かせるような専門知識はないかもしれませんが、好奇心と体力だけは自信がありますので、一から勉強するつもりで何にでも取り組みたい」旨を伝えました。すると面接官から、実は農業の事業を始める計画がある事を知らされ、農業をするのはどうかと聞かれました。私としては、「むしろ農業に興味があり、今までの経験が活かせる事もあると思うので、ぜひやりたいです」ということを面接官に伝えたところ、農業事業担当ということで採用されました。

就農してから現在まで

 突然来て、そんなに経験も無い私に、それを承知の上で、好きなようにやっていいと言ってくれました。「いいのかな!?」との思いもありましたが、「まあ、やるしかないかな!」と。開き直りじゃないけど、始めの頃はそう思いました。
 右も左もわからない状況で、農林事務所、市役所など、片っ端から分からない事は何でも聞いてました。聞けば丁寧に答えてくれたので、そこは非常に助けてもらいました。
 1年目は圃場に水がなかったのが苦労しました。夜に出てきて散水した事もありました。「水って、作物にとってこんなに必要なんだな!」と思い知らされました。今では水の施設がある圃場が少しずつ増え、施設のありがたみを感じます。
 いろんな所からのアドバイスなどもあり、栽培技術は少しずつ進歩していると思いますが、毎年反省点がたくさんあって、品質や技術の向上は限りがないです。
 農業を通して、いろんな人との交流を持ったり(掛け合いをしたり)、計画を立てたり、時には店頭販売をしたりもしますが、それらも仕事の楽しみのひとつだと思って、何でも挑戦できる今の環境にとても満足しています。

将来はこんな農業をめざします!

 将来の目標としては、スギヨを農業生産法人として独立させ、農業経営を成り立たせることです。
 そのためには、野菜の加工や、商品開発にも力を注いで、野菜を有効活用できるような連携体制を整えていきたいと思います。
 また、能登島の近隣農家さんたちとも協力して、能登島の自然、環境など特徴を生かした野菜のブランド化もしていきたいです。野菜を利用した加工食品には、様々な可能性があると思います。七尾、能登を生かした加工食品を、スギヨだけにこだわらず、いろんな形で農商工連携によって作り出し、加工食品も揃えた直売所も作って行けたらなとも考えています。

今後就農をめざす人へ

 失敗はつきものだと思います。ただ失敗をすることを恐れず、その失敗から逆に学び、次の対策が練れる、という思いでやっていくことが大事。
 成功するといろんな相乗効果で原因が見えにくいけど、失敗するとその原因が明確になり、次の対策を練ることで、一歩進めるのかな。

農林総合事務所所長よりひとこと

 久しぶりにお会いして、とても素敵な農家(女性)に変身しておられるのでびっくりしました。
やはり、能登島で育った野菜のように、きめ細やかな赤土の中で働いているからだと思いました。
 これからも、周辺の集落にとけ込み、協力関係を大切にして、能登島を石川の野菜生産団地として売り出してください。そして、野菜と魚の新しいコラボレーションを期待しています。
 スギヨ、すきよ。

藤田農林総合事務所長

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農業する素敵な女性でありたいと思っています!(高木 純子)

高木純子写真

高木 純子 (たかぎ じゅんこ)

Profile

愛知県生まれ
石川県立農業短大でそ菜を専攻
卒業後、愛知県にある花のバイオテクノロジーの会社に就職
平成10年 短大時代からの同級生の彼(ご主人)と5年間の遠距離恋愛を成就させ無事結婚
結婚を機に再び石川県へ。その後「(有)ウィード能登」に就農
平成17年から、「七尾フラワーパークのと蘭ノ国」で花作り
只今2児の母。子育て花作りに奮闘中!!

就農のきっかけから就農まで

 家は農家ではなかったけど、母が家庭菜園で作るイチゴが楽しみでした。子供の頃、夏休みで直売所のマスクメロン(渥美メロン)を初めて食べて「あたし、農家のお嫁さんになる!!」と言ったそうです。
 そんなことは忘れていたけど、高校の進路を決めるとき、やっぱり農業したくて「いざ!!石川農短大へ!!」と進学。
 短大卒業後、愛知に戻ってバイテク&お花の会社に就職し、花作りを学び、夢の!?農家と結婚。
 初めは、全く知らない土地に来るものですから、花屋さんか家の手伝いか?と思っていましたが、結婚式の最中に、仲人さんに見初められ、「どうヤ!ウチで仕事せん?」と強くスカウトされました。その後、仲人さんが社長を務める「(有)ウィード能登」へ就職し、花壇苗作りを始めました。
 二人目の子どもが生まれたことを契機に、お花つながりで、今では「七尾フラワーパークのと蘭ノ国」でお花作りや各種教室、お花屋さんなど、いろいろしています。
 とてもやりがいがあります。

就農してから現在まで

 (有)ウィード能登がちょうど最初の立ち上げの頃で、「好きなもの何でも作って良いよ」と社長に言ってもらって、仕事はおもしろかった。でも凄く責任が重たくって。
 まず、パイプハウスを作ることから始め、市場に見に行ったり、どういう規格なのかも知らないし、花の生産者が近くに少ないこともあったりして、県の農林総合事務所の方々には、大変お世話になりました。
 平成12年に七尾鹿島農業青年協議会に加入したことで、県の方達とも仲良くなれ、もっともっと話しやすくなれた。やっぱり相談する相手がいる安心感は大切!!
 出荷間近の葉ボタンの中芯を、カラスにつつかれて出荷できなかったり、肥料や消毒、矮化剤で失敗ということも。初心者の私は失敗の連続でした。でも成功して見事に花を付け、バンバン売れたりすると、心配や疲れも吹っ飛びます。楽しいですね、やっぱ自分の作ったものが売れるのは!
 私の農業は花作り。1年に1回しか経験できないし、また毎年天候は一緒ではなく、毎年勉強です。年ごとに質を向上させ、コストダウンの研究!?がもっぱらの悩み。あと付きすぎた筋肉と日焼けもね。

将来はこんな農業をめざします!

 私の作った花で園内を花だらけにして人を呼び込み、オリジナル花グッズとか販売したいな。

今後就農をめざす人へ

 農業にはいろいろな仕事があります。まずは体験してみて下さい。今は女性でも男性でも機械の操作ができれば、立派にこなせます。
 つらい作業にも、その後に必ず自分でやった成果が見られます(収穫、売り上げでね)。やりがいは、どの仕事にも負けません!!

<女性の方々へ>
 農業しているからオシャレできないなんて、そんな事ないです。めざせ、農ギャル?

農林総合事務所所長よりひとこと

 七尾フラワーパークのと蘭ノ国を訪れると、世界の貴重な蘭が、直売所には廉価な珍しいランがあふれています。そして今年は新しい品種「ナナオビューティー」を発表し、美しい花に囲まれ毎日の仕事がとても楽しそうでした。
 花の生産量日本一の愛知県から花の妖精として石川県へ嫁いだ高木さん、園内だけでなく県内をあなたの企画した花で一杯にして下さい。

藤田農林総合事務所長

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子ども達と触れ合いながらの体験型農業を!!(谷口 雅亮)

谷口雅亮写真

谷口 雅亮 (たにぐち まさあき)

Profile

石川県中能登町生まれ
高校卒業後、国際協力に関する専門学校へ進学。専門学校の研修で10ヶ月余りフィリピンへ行き、自給自足の生活を経験、独自の人生観を磨く
平成12年に就農。同時に七尾鹿島農業青年協議会に加入
農業青年グループでは会長等を歴任

現在、中能登町の認定農業者として水稲・大豆を栽培しながら、一児のパパとして、地域の若手のホープとして元気に活動中

就農のきっかけから就農まで

 小さい頃から、家の手伝い(米づくり)をしており、もともと農業は好きでした。でも、フィリピンでの自給自足の農業体験が大きいですね。
 向こうでは、水牛で田を耕し、手で植える。生活に水道、電気はありません。1日の始まりは火起こしからです。
 この体験から、食の大切さを強く感じるとともに、文化的な伝承としての農業を強く意識しました。
 帰国後、躊躇することなく実家で米づくり(約3.5ha)を始めました。始めは祖父も元気で、自分がメインの農業をやらせてもらいました。
 これまでの体験等をいかした無農薬・有機栽培でこだわりの米づくりに取り組みました。

就農してから現在まで

 初めは、無農薬、有機栽培を志向した農業に取り組んでいましたが、親との意見の違いもあり、しだいに実家での農業に少し距離を置くようになりました。
 それでも、自分の原点である、海外での経験を生かした農業に取り組みたいという気持ちは変わりませんでした。そのうち、七尾市多根町にある「ふれあいセンター山びこ荘」の体験リーダーとして、子供たちと一緒にキャンプファイヤーや野外散策、野外炊飯等を体験するうちに、単に米を作るだけでなく、人との交流から農業を考えたいと思うようになりました。
 また、外国人との交流活動で、ホームステイを受け入れるジャパンテントには、何回か参加しています。こうした交流活動に積極的に参加し、外国の人と住み込みしながら、向こうの文化と日本の文化の交流が面白いです。
 海外での体験やこうした活動から、日本の文化を逆に知るきっかけとなりました。まつりが文化の伝統的な継承に最適だと思います。
 農業は日本の文化を多く含んでおり、文化をもっと知るために農業をしたいと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 地域では現在、基盤整備中であり、もう少し規模拡大したい。
 それと並行して、子どもたちがもっと体験できる農業に取り組みたい。

今後就農をめざす人へ

 いろんなところへ顔出しし、いろんな話を聞き、多くの人とのつながりを作って欲しい。

農林総合事務所所長よりひとこと

 農業は日本の文化だと考え、人と人との交わりを大切にし、子ども達の体験学習に取組み、そして地域振興、これらを結ぶものとして農業を位置づけている。
そのために、フィリピンで自給自足の農業を体験し、無農薬、有機栽培に取り組んでいる。
 専業農家でなく兼業農家として地域振興を考え、地域の水田を守る谷口さんは、優しい中にも信念は貫いている。
 農地と地域を守る若手リーダー、子ども達のためにも頑張ってください。

藤田農林総合事務所長

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疾病「0(ゼロ)」への経営に取り組みたい!!(村田 将)

村田将写真

村田 将 (むらた ひとし)

Profile

石川県七尾市能登島で生まれる
金沢で働きながら、高校を卒業後、会社勤めをする
平成13年 実家(七尾市能登島)に就農
同時に七尾鹿島農業青年協議会に加入し、平成20年度に会長を務める

現在、母豚約140頭を飼育。「能登けんこう豚」というブランド名で販売中
その他、水稲、馬鈴薯も栽培

就農のきっかけから就農まで

 親からは、継いでほしいとはひとことも言われたことがありません。長男なので、「いつかは継がなければいけないかな!?」と思っていました。
 高校時代は親元を離れ、金沢で、昼間働き、夜学校へ行くという毎日だったので、家の手伝いはできませんでした。卒業後、そのまま金沢で就職しましたが、親から「月に1回、豚の出荷を手伝ってほしい」と言われ、1年間手伝いました。親が手伝ってと言うくらいだから、「大変なのかなー?家に入ってほしいのかなー?」と思い、就農する決心をしました。
 就農する前は、餌やりと糞出しだけかと思っていたのですが、種付けや衛生管理など細かい仕事がいろいろあるなーと思いました。
 もっと研修や他の農場でいろんなものを吸収してから、入れば良かったなと、少し後悔しています(笑)。

就農してから現在まで

 父と二人で営農しています。父は大切なことや気づいたことを伝えてくれる、大事な先生です。
 父は「自分で一から豚舎を建てて、豚を入れる」というスタイルで経営してきました。その父の担当は種付けや豚舎の整備修繕などで、自分は現在、養豚全般について思うようにやらせてもらっています。でも、やっぱり、うまいこといかんですけど(笑)。
 毎日の仕事は、餌やり、豚舎の清掃、豚の移動です。豚の体重ごとに3ステージで管理しているので、部屋を掃除して移動、また掃除して移動、の毎日です。
 やることがいっぱいあり、自分の時間がちょっとない状況です。でも、仕事をこなしていったら、凄い充実感があります。
 一番の問題は何と言っても、疾病です。経営に打撃があるので、「疾病を0(ゼロ)」にすることを心がけています。
 それと、消費者が安心して食べられる安全な肉の提供にも心がけています。
 今後は、規模拡大を考えています。弟(現在学生)が就農を希望しており、一緒にやりたいからです。
 弟が入ることで、少し余裕ができるかな?!
 まずは基盤をしっかりと築きたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 将来的には、加工に興味があります。加工して自分のところで販売してみたい。父のように豚舎を自分で作ったりは出来ないけど、自分なりのスタイルを作っていきたい!

今後就農をめざす人へ

 入る前(就農前)に、理想の農場で知識や技術を吸収してきてほしい。
 仕事仲間だけじゃなく、いろんな人との出会いが大切。自分自身を成長させてくれるからです!!

農林総合事務所所長よりひとこと

 村田牧場は食の安全確保をより強くアピールするため、JA能登わかばと協力し七尾市、中能登町で栽培された飼料米で肥育した豚の直売を計画しています。この飼料米は米の生産調整作物として、また、耕作放棄地を解消する手段として事務所でも大いに期待しています。
 将来は弟さんとともに地元の米で育てた安全で安心な豚を使った加工・販売を是非成功させてください。

藤田農林総合事務所長

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家族の絆が、くぼちゃんブランド!!(久保 貴光)

久保貴光写真

久保 貴光 (くぼ たかみつ)

Profile

石川県七尾市生まれ
高校卒業後、実家に就農(酪農)。同年、就農しながら就農準備校「アグリ塾」の通年コースを受講
同時に七尾鹿島農業青年協議会に加入し、平成21年度に会長を務める

現在、酪農の他に、搾った牛乳を使ったパンの製造・販売も行っているが、酪農部門を担当している。乳牛25頭を飼育

就農のきっかけから就農まで

 家は酪農をしており、小さい頃から家業を継ぐことについては、長男だということもあり、「いつかは、継がなければならない!!」という気持ちもちょっとは持っていました。
 高校2年の頃までは、酪農や将来のこととかは、ほとんど考えたことがなかったのですが、高校3年の時に祖父が入院したことで、父がたった一人で、牛の餌やりや掃除などの仕事をしていることに気づいて、「ひとりで大変そうだなぁ、何か協力できないかなぁ?」と思ったことがきっかけでした。
 その頃、一緒に遊んでいた周りの友達は、就職先を選びはじめた時期で、何となく将来のことを、いろいろ考えるようになりました。
 自分なりにいろいろと悩みましたが、次第に、「大変そうな父の仕事を今のうちから手伝って、少しずつでも覚えていこう」と考えるようになり、家業の酪農を継ぐ決心をしました。
 でも、農業の基本的なことは何も知らなかったので、高校卒業と同時にアグリ塾の通年コースに行きながら、酪農の仕事をはじめました。

就農してから現在まで

 今は父と二人で酪農をしています。始めの頃はもの凄くつらかったです。全然わからないし、失敗の連続で、よく父に怒られました。搾ってはいけない牛を搾ったり、消毒をし忘れたりとかしました。特に1年目は、酪農の仕事を手伝いながら「アグリ塾」にも通っていたので、精神的にも、体力的にも、つらい時期でした。なかなか友達と遊ぶ時間もなく、息抜きもできない毎日で、正直なところ、何度もやめたいと思いましたが、なんとか頑張り抜きました。
 そのおかげで、なにかつらい事があったりしても、「あの時も頑張り抜いたのだから、何とかなるだろう・・・」と思って、あきらめずに頑張ることができるようになりました。
 技術的なことは、父の仕事を見て覚えました。それから先輩の話や先進地の視察などからも学んでいます。
 最近は父から仕事を任せてもらえるようになり、自分のやりたいことも、できるようになってきました。
 将来的には、自分一人でやっていきたいので、今の規模を維持していきたい。まだ独身ですが、将来の嫁さんには絶対にやらせたくないし(笑)。

将来はこんな農業をめざします!

 きれいな牧場で、誰でも見に来れるような牧場を経営し、家族で、パンの販売だけでなく、農家レストランもやってみたい。

今後就農をめざす人へ

 農業やるには相当覚悟がいると思います。死ぬ気で、必死に勉強し、いろんなものを見聞きしてほしい。
 それから、人との出会いはとても大切です。農業青年グループなどの先輩や自分の先生を探し、いろんな意見や指導を受けることも大事なことです。
 自分では気づかなかったことも、きっとあるはずです。

農林総合事務所所長よりひとこと

 七尾では「くぼちゃんパン」と言えば、米粉パンや自家製牛乳パンを製造販売していることで、市民から評価されています。
 将来の夢「農家レストラン」では自家製乳製品で地産地消による安全安心をモットーに、両親、弟、そして将来の嫁さんによる家族の絆を大切にしたレストランを期待しています。
 北陸4県の農業青年大会で県代表として意見発表された経験を生かせば、酪農もレストランも成功間違いなし。

藤田農林総合事務所長

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誰もやったことがないような、俺発信のアイディアのオリジナル農業を!(瀬成 道斗)

瀬成道斗写真

瀬成 道斗 (せなり みちと)

Profile

石川県七尾市能登島生まれ
高校卒業後、短大で栄養士の資格を取得
平成20年 特別養護老人ホームでの勤務を経て、4月に就農
平成21年 農業青年グループ、七尾鹿島農業青年協議会に加入

現在、葉たばこ1.8ha、白ネギ0.7ha等を栽培

就農のきっかけから就農まで

 自分の家は祖父の代から葉たばこを栽培しています。子供の頃からよく手伝いをしていましたが、面倒くさがりやの性格なので「早く終わらないかな」と思いながら手伝いをしていたことを覚えています。
 短大を卒業し、社会人になり、自分で働いてお金を稼ぐようになって初めて、自営業で生計を立てている親の凄さを知りました。
 サラリーマンは、大きい組織の歯車の一つで仕事をしていますが、自営業は自分が社長という立場で仕事をし、生活し、家族を守っていかなければなりません。不況の中、農業という仕事でお金を稼ぎ、短大を卒業するまで私を育ててくれた両親は、本当に凄いと思ったのです。
 将来的には実家の農業を継ごうかなと軽く思っていた私でしたが、その時に初めて農業を真面目に本気でやろうと思いました。それもジーちゃんもバーちゃんもまだまだ元気なうちに。今ならジーちゃんもバーちゃんからも色々なことが学べるなーと思って。

就農してから現在まで

 就農して2年目で、両親からいろいろなことを教わりながら仕事をしている段階です。
 現在、葉たばこと白ネギが我が家の主な栽培作物なのですが、これからは葉たばこの面積を減らして、白ネギの面積を増やそうと思っています。
 また、環境や体にやさしいエコ農業にも挑戦しています。
 白ネギは、農薬成分のカウント数を慣行の3分の2に減らしており、軟腐病、さび病、べと病と格闘する日々を送っています。農薬成分を3分の2にするということは、無駄を省いた必要最低限のギリギリの防除なので、いつもヒヤヒヤしながら、白ネギと向き合っています。そんな状況下でも、立派に白ネギを作る両親は、凄いなといつも思っています。
 農業を始めた頃は、農業の知識がないことを悩みました。短大卒の栄養士だし。でも今は、栄養士の資格を生かした、加工品づくりに挑戦中です。まだまだ加工品づくりは、親発信のアイデアですが。
 不器用なので、親の築いた基盤をうまく利用して、ひとつひとつしっかり着実に進みたい!多分、親子ケンカしながらかな?!でも、そのうち一花咲かせたいな(笑)。

将来はこんな農業をめざします!

 栄養士の資格を利用した加工品に挑戦。立派な商品を作って、皆様に瀬成農場を知ってもらえるよう頑張ります。

今後就農をめざす人へ

 農業は甘くない。畑は必要だし、トラクターや管理機などの機械類、作業場も必要です。
 自分は実家を継いだので、その環境は整っていましたが、一から始めるのは、もの凄い努力が必要。
 将来のことも考えて、農業を始めて欲しい。自分はやるぞという、意気込みが大事。

農林総合事務所所長よりひとこと

 ジーちゃん、バーちゃんを愛し、両親を尊敬していること等、家族を大切にしていることが話の中で強く感じました。安全で、おいしい野菜を育てるためには大切なことだと思います。
 能登島の赤土で育てたネギやサツマイモの甘さはどこにも負けない自信を持っており、両親が築いた基盤を活用し加工品に挑戦したいと力強く語る姿に未来を感じました。
 海と空の青、赤い土に広がるネギの緑、瀬成農場は素晴らしい。
 一度訪れる価値有り。

藤田農林総合事務所長

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菌床シイタケ栽培をとことん極める(上野 誠治)

上野誠治写真

上野 誠治 (うえの せいじ)

Profile

石川県能登町寺分生まれ
地元の高校卒業後、金沢工業大学へ進学し土木工学を学ぶ。野々市市の建設設計会社に2年間勤務
平成15年、結婚と同時に帰省し、就農
輪島鳳珠地区農業青年グループの副会長、石川県菌床シイタケ組合青年部の副会長も勤める

現在、両親と共に菌床4万5千個の経営

就農のきっかけから就農まで

 3人姉兄弟の末っ子で、家を継ぐとか、農業をするとか、そういった気持ちは全く持っていませんでした。
 当然、大学も農業と関係のない金沢工業大学を選んで、土木工学を勉強しました。そして野々市市の建設設計会社に就職し、2年間勤務しました。
 農業と全く縁がなかった訳ではなく、学生時代は松任市(現白山市)の六星生産組合(現(株)六星)でアルバイトをしていました。稲刈りした籾の運搬や餅加工、羽咋市や砺波市で餅販売のマネキンをしたのは、楽しい思い出です。
 就農のきっかけは、父が入院し、シイタケ栽培を手伝って欲しいと言われたからです。一時的に実家の農業を手伝うつもりでいましたが、結婚して子供ができたこと、農業で生活していけそうだと思い、本格的に農業をすることにしました。

就農してから現在まで

 就農して最初の1ヶ月は父が入院していたので、シイタケの管理は父からの言葉だけで、何をしていいのかさっぱり分からずあせりました。
 父が退院してからは、基本的な栽培技術をみっちり仕込まれ、今では一通りできるようになりました。現在の技術レベルは自己採点で40点くらいでしょうか。休みが思うように取れなくて父と揉めたりしましたが、今は週1日の休みがとれるようになりました。
 シイタケは全て共同販売でしたが、新鮮な物を地元の人に食べてもらいたいという僕の提案で、2年前から地元のスーパーにも卸すようになりました。結構人気があって、他からも引き合いが来ていますが、配送面の問題もあって対応できていません。
 こだわった美味しいシイタケをつくりたいので、収穫などの単純作業はパートさんに任せて、自分はシイタケの発生操作、経営管理や労務管理などに集中していきたいです。
 また、菌床は小松の菌床センターから買っていますが、将来は菌床づくりも自分でやって、計画的なシイタケ作りをとことん極めるのを夢みています。

将来はこんな農業をめざします!

 菌床づくりを夢みながら、自分の納得いくシイタケ経営をしていきたい。

今後就農をめざす人へ

 トライすることはいいことなので、結果はどうであれガンバレ。
 今の農業は栽培だけでなく、販売や経営全体を考えなければいけないよ。
 広い視野でものごとを考えてね。

農林総合事務所所長よりひとこと

 上野誠君とはいとこ同士。
 大学では土木工学を専攻し、土木コンサルタント会社勤務を経て平成15年春に就農。家業のシイタケ(菌床)経営を継ぐ。結婚、子供誕生を機に本腰を入れるようになり、経営規模を就農当時の菌床20,000個から倍以上の45,000個に拡大。
 販売先は金沢市場だけではなく、地元大手スーパーも新たに開拓し販路を広げている。
 今後は、菌床づくりから含めて全て一貫で行うことを目標に「トコトン極める」をモットーに頑張っている。初志貫徹でがんばれ誠治。

菅野農林総合事務所長

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菌床シイタケ栽培で週休2日制を実現したい(上野 誠)

上野誠写真

上野 誠 (うえの まこと)

Profile

石川県能登町寺分生まれ
石川県農業短期大学を卒業後、柳田村社会福祉協議会に就職し、2年間勤務
平成15年、家業の農業を継いで就農

現在は、菌床シイタケ4万個、栗5ha、水稲50aの経営を両親とともに行っている

就農のきっかけから就農まで

 小学生から高校生にかけて、実家のシイタケ栽培の手伝いをしていました。当時は原木栽培で、山からほだ木を切り出したり、種駒の植菌、ほだ木の移動、収穫など力仕事が主できつかったです。
 長男なので、漠然と家を継ぐ気持ちはあったけれど、石川県農業短大を卒業した後は、柳田村社会福祉協議会に就職して、福祉の仕事を2年間しました。
 就農の直接のきっかけは父親のケガです。
 当時はシイタケ生産組合が解散し、父親が独立して菌床シイタケ栽培を始めたこと、また、中国からの生シイタケの輸入により、国産シイタケが値下りし、経営が厳しくなったこともあって、自分も実家のシイタケ栽培を本気で手伝おうと思ったからです。

就農してから現在まで

 菌床シイタケの基本的な栽培技術は父親から習い、菌床しいたけ組合青年部の視察などに参加して最新の技術を勉強しています。技術力はまだまだ父親にかなわず、自己採点で20点くらい。
 平成19年の能登半島地震のときは、菌床が棚から落ちてほとんどダメになってしまい、本当に悔しい思いをしました。
 就農して一番困ったことは、休みが全然取れないこと。月に4日休めればいい方で、盆正月を含めて連休なんて数年に1度あるかないかです。菌床シイタケは朝夕の2回収穫しなければいけなくて、さらにハウスは回転させているので、いつもどこかのハウスで収穫期になっているからです。
 「死ぬまで無事」がモットーで大きな変化を望まない私ですが、趣味の自転車の時間がとれるように、シイタケの作り方を変えて、「週に2日休みがとれるようにすること」が現在の目標です。

将来はこんな農業をめざします!

 休みのとれるゆったりとした経営。
 趣味の自転車で走り回れる時間をたくさんとりたい。

今後就農をめざす人へ

 農業で成功して大金持ちになる人は一握りだけなので、半分ボランティアの精神でやってね。
 休みが少ない、とれないのは覚悟すべし。

農林総合事務所所長よりひとこと

 人なつっこい笑顔が第一印象。長男なので漠然と家を継ぐつもりであったが、お父さんのケガが就農(平成15年4月)のきっかけ、と話す。経営内容は菌床シイタケ40,000個、水稲50a、くり5haと手広い。目下、主体のシイタケの技術力は自己採点で20点と辛めの評価をし、技術研鑽に熱心。休みがなかなか取れないのが悩みだが、「無事是名馬」を座右の銘とし地道にその歩を進めている。がんばれ誠、その日まで。

菅野農林総合事務所長

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全国レベルの酪農を目指しています(柴野 立太)

柴野立太写真

柴野 立太 (しばの たつた)

Profile

石川県輪島市町野町金蔵生まれ
県立輪島高校卒業後、金沢工業大学へ進学
平成10年、就農と同時に経営主となる
平成12年に結婚し、牛舎のある能都町鶴町に新居をかまえる。現在3児の父親

現在、父親、妹といっしょに、経産牛50頭、育成牛25頭規模で酪農経営
農業青年グループに加入し、会長などを歴任

就農のきっかけから就農まで

 実家はもともと輪島市町野町金蔵で酪農をしていました。僕が小学校に入った頃に、能都町鶴町の能登開発地に入植しました。その時は牛50頭と牧草地が10ha程度だったと思います。
 小学生の頃は家の手伝いをしていましたが、中学、高校は部活で野球に打ち込み、手伝いはほとんど出来ませんでした。しかし、いずれは家業を継ぎ、酪農をしようと思っていました。
 社会勉強をしてから就農するつもりでいたので、農業にこだわらず、高校は普通科、大学も金沢工業大学に進み、機械システムを勉強しました。家族からの反対も特に無かったです。
 家庭の事情もあり、平成10年に町野町金蔵に帰り、就農しました。平成12年に結婚して、牛舎のある能都町鶴町に新居を建てました。それまでの2年間は金蔵から鶴町まで通っていたので大変でした。

就農してから現在まで

 就農と同時に父から経営を譲り受け、経営主となりました。とはいっても、父は引退したわけではなく、朝晩の搾乳を手伝ってもらっています。妹にも給餌や掃除などを手伝ってもらい、家族で酪農経営をしています。
 平成13年に、より高い安全性を確保したくて、NON-GMO(非遺伝子組み換え)飼料に切り替えましたが、あまり急に配合割合を変えたため、牛に種がつかなかったり、体調を崩したりして、乳量が大幅に減り、収入が大きく減少してしまいました。運良く能登空港の滑走路周りの草地造成のアルバイトがあって何とか穴埋めできました。
 それからは、毎日、まじめに勉強して、真剣に取り組むようになり、家畜人工授精師の資格も取りました。草地も少しずつ借りることが出来、今は15haになりました。
 悩みは、牛が心配で長い休みが取れず、家族旅行などで遠出ができないことです。その代わり、牛舎の目の前に家を建てたので、家族と一緒にいる時間が長いのが救いです。
 目標は、土づくりから始めて、良い草を作り、良い牛を育てること。規模拡大とか多角化は後回しして、まずは全国レベルの酪農を目指したいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 牛一頭一頭のレベルを上げて、休みがとれる経営

今後就農をめざす人へ

 酪農は動物が好きというだけでは勤まらない。
 生き物を飼うのは大変なこと。身体が休んでいても、気持ちが休まることはない。
 相当な覚悟を持って取り組まなければならない。

農林総合事務所所長よりひとこと

 非常にきれいで整然とした牛舎。3児(長男、双子の男の子)のパパでもある。
 輪島市町野町金蔵から、小学1年の時に現在の能都町鶴町の開発地に入植し、小学生の時は牛の世話を手伝ってきた。平成10年に就農。基本技術は父親から学んだが、平成13年に配合飼料を変えて牛をダメにした苦い経験の後、まじめに取り組み勉強するようになったと自分を振り返る。生き物相手だから休みは取れないが、自給率50%をめざした酪農経営に奮闘中。自分のめざす能登草地酪農経営を確立してくれ、立太。

菅野農林総合事務所長

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安全安心な食の未来を!!(高尾 智之)

高尾智之写真

高尾 智之 (たかお ともゆき)

Profile

石川県穴水町甲生まれ
東京の工業系の専門学校を卒業後、そのまま東京で就職
平成13年に就農
現在は(農)カブトファームとして水稲10haを栽培しているほか、高尾商店として味噌、麹を生産し地元スーパーを中心に販売
輪島鳳珠地区農業青年グループのほか、数多くの組織に加入し、地域社会の発展に貢献
平成21年度からは輪島鳳珠地区農業青年グループの会長を務めている

就農のきっかけから就農まで

 実家は味噌と麹の生産・販売をしていて、小学生の頃から仕込みの手伝いはしていました。長男なので、いずれは家を継ぐ気持ちはありましたが、漠然としたものでした。機械に興味があり、地元の高校を卒業後、東京の専門学校へ進学し、そのまま東京でエンジニアとして就職してしまいました。
 平成7年に父が、(農)カブトファームを設立し、周辺の米を作れなくなった農家から田んぼを集め、どんどん水稲の作付面積が増えていました。
 専門学校の休みの時や就職してからも農繁期には、帰省して農作業を手伝っていましたが、父も年をとり、1人で大規模な面積を管理をすることは負担が大きいと思い、平成13年に就農することにしました。

就農してから現在まで

 就農して最初に驚いたのは、まわりに若い人が少ないことでした。それで、仲間づくりのため積極的にいろんなグループに参加しました。
 平成14年に消防団、15年にJAおおぞらの青壮年部、17年に輪島鳳珠地区農業青年グループ、19年には地元の青年団を復活させて参加、21年には商工会青年部にも加入しました。
 農業に関してあまり知識がなかったのですが、JA青壮年部、農業青年グループでは農業についてディープな話が聞けて勉強になりました。
 商工会ではいろんな商売の仕方があるのに気づき、消防団、青年団では地域の人とのつながりが大切だとあらためて実感しました。
 物産展に参加して、直接お客さんに米や味噌を販売した経験から、米は見た目で格付けした1等米ではなく、本当に美味しくて安心な米が求められていることが分かり、有機栽培をやってみたいと思うようになりました。
 また、最近は農作業体験をさせて欲しいという人も多くなりました。都会の人が体験することで得るものがあるのならばと思い、すすんで協力をしています。

将来はこんな農業をめざします!

 有機農法で米を作り、安全なものを消費者に届けたい。

今後就農をめざす人へ

 失敗から学ぶことがとても多い。どうして失敗したか、その過程をしっかりとらえる力を身につけると良い。
 とにかくやってみることが大事、失敗を恐れないで、トライしてみて。

農林総合事務所所長よりひとこと

 半導体の設計をする会社勤務を経ての畑違いからの就農であるが、この経験がかえって幅広い交友づくりのきっかけとなっている。地域の青年団を復活させたり、消防団、JA、商工会のメンバーとして日々忙しく活動し、自分磨きを行っている。経営は水稲10haに加え、父の代から始めた味噌づくり(年間25tを製造し、「まいもん給食」の食材として人気がある。)を両親とともに行っている。
 気がかりは高齢化ですたれる地域の農業。自分が背負う覚悟の一端が垣間見えた。将来、地域のコーディネーターとしてがんばってくれ、智之。

菅野農林総合事務所長

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能登牛を全国区のブランドにしたい(中瀬 英巳)

中瀬英巳写真

中瀬 英巳 (なかせ ひでみ)

Profile

石川県能登町上町生まれ
県立柳田農業高校卒業後、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校に進学
平成10年帰省し、実家の農業を継ぎ就農
平成12年に結婚し、2児の父親となる

現在、繁殖牛30頭、肥育牛30頭、水稲2ha、栗、原木シイタケの複合経営を行う

就農のきっかけから就農まで

 子供のころは、遊びがてら家の手伝いをしていました。田んぼ、原木しいたけの収穫、栗拾い、牛の世話など何でもしていました。
 高校、大学への進学は、漠然と農業に就くことの課程だと考えていました。
 牛を育てたいとはずっと思っていましたが、水稲、畑作、畜産、果樹、キノコと何でも一通りのことはできるようになりたいと考えていたので、八ヶ岳中央農業実践大学校では高原野菜を専攻しました。
 大学校の研究科に残り、もう一年高原野菜の勉強を続けるか、帰省して実家に就農するか迷いましたが、一日でも早く就農したいという思いが強くなり、平成10年に実家に帰り、就農しました。

就農してから現在まで

 就農して最初にしたことは、原木シイタケの発生ハウスを牛舎に改造したことです。以前から考えていた和牛経営に本気で取り組むことにしたのです。
 平成10年は15頭程度でしたが、今では繁殖牛30頭、肥育牛30頭、合わせて60頭になり4倍に増えました。
 和牛の管理の仕方は、周りの先輩畜産農家に教えてもらったり、畜産農家が集まる情報交換の場で少しずつ身につけました。
 種付けは先輩畜産農家にしてもらっていましたが、自分でやらなくてはと考え、講習を受けて家畜人工授精師の資格を取りました。平成19年から自分で種付けを始め、受胎率が悪くて悩んでいましたが、母牛の管理をしっかりすることで、平成20年、21年と受胎率はだんだん上がってきました。
 肥育では、今年、北陸三県合同肉牛枝肉市場の共進会で最優秀賞を取れるまでになり、だいぶ自信がついてきた。
 将来は、家族経営で出来る100頭程度まで牛を増やし、繁殖から肥育までの一貫経営をしたいと考えています。もっと能登牛の知名度を上げて、全国トップクラスのブランドにしたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 繁殖、育成、肥育までの一貫経営を行い、能登牛を全国区にしたい。

今後就農をめざす人へ

 牛肉は価格が低迷しているが、子牛価格も下がっているので、和牛経営を始めるなら、今がチャンスかも。
 農業は手をかければ、かけた分自分に返ってくるのでやりがいはある。
 和牛経営でもやり方によっては、自分の時間をとることができる。

農林総合事務所所長よりひとこと

 訪れた時は大雪の中、除雪に励んでいた。会ってみると、なかなかのシティボーイ派。子供の頃から家の農業(田んぼ、シイタケ、くり、肉牛)を手伝ってきており、将来は農業を継ぐことを考えてきた。
 大学で野菜を学べば一通り経験したことになると考え野菜を専攻。しかし、牛をやりたいとずっと思ってきたので迷うことなく、周りの先輩や研修等をつうじ畜産技術を磨いてきた。努力のかいあり、北陸3県和牛枝肉共進会では最優秀賞。
 将来の夢は肉牛一貫経営を行い、能登牛を全国レベルまで向上。夢に向かってまっしぐらだ、英巳。

菅野農林総合事務所長

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農業へ電車道!!(長谷 正博)

長屋正博写真

長谷 正博 (ながや まさひろ)

Profile

石川県珠洲市正院町生まれ
小学校より、父の指導で相撲に打ち込む
鳥取城北高校、拓殖大学で相撲部に所属
平成9年、大学の卒業とともに家業である農業を継ぐため珠洲に戻り、就農
珠洲あぐり倶楽部では、趣味のパソコンで倶楽部のホームページを開設
正院町相撲連盟で事務局をつとめ、後進の指導にもあたっている

現在、両親とともに、水稲30ha、大豆5haを経営

就農のきっかけから就農まで

 簡単に言ってしまえば、両親が農業をやっていたから就農しました。
 私は、中学まで珠洲にいましたが、相撲が目的で高校は県外の鳥取城北高校へ、大学も拓殖大学へ進学しました。高校・大学と部活・合宿など相撲漬けの毎日でしたので、珠洲へは盆暮れに帰省する程度で、家の農業の手伝いもほとんど出来ませんでした。両親も農業をやれとか、手伝えとは言いませんでした。
 ただ、帰ってくるたびにトラクターやコンバインなど、農業の機械や施設が更新され、経営規模が大きくなっていることは実感していました。
 相撲に明け暮れた大学生活も終わりを迎え、スポーツ関係、マスコミなど県内外を含め就職の選択肢はいくつかありました。
 そんななか、7年間の県外生活で、私の中でふるさと珠洲への想いが高まっていたこと、農業をする基盤があったこと等から、実家の農業を継ぐことにしたのです。

就農してから現在まで

 実家に戻り、両親の手伝いから始めたのですが、最初の3年ほどは、草刈りに始まり、農作業のオペレータなどなど、仕事を覚えるので精一杯でした。
 4年目・5年目からは、いかに効率よく作業するか、1年の流れの中で無駄をどれだけ少なくできるかを考えて作業するようになりました。
 この頃から施肥設計や苗の管理などは、私に任されるようになってきましたし、大豆は経営部門として独立して任されるようになりました。また、ラジコンヘリのオペレータとして誘われ、仲間に加わったのもこの頃です。
 今では、両親ともお互いの呼吸がわかってきて、農作業は自然に分担しています。農繁期もその日の朝の簡単な話し合いで作業が決まります。

将来はこんな農業をめざします!

 家族経営を維持し、無理なく農業してゆきたい。

今後就農をめざす人へ

 人によって、就農の条件が様々だとは思いますが、先ずは儲かる農業を目指してください。

農林総合事務所所長よりひとこと

 とにかく明るい性格である。小学3年から相撲に親しみ高校・大学でも名門相撲部に籍を置き、今も指導者として子供達を指導しているらしいが、子供達も幸せだと思う。ご両親と水稲30ha、大豆5haの大規模経営を行う。また、自身ラジヘリのオペレーターとして仲間9人とともに珠洲・内浦管内の延べ1500haの防除もこなす。作業場には当然、大型の機械・車輌が並ぶが、目下の悩みはこの機械の更新と良き伴侶「お嫁さん」だ、と豪快に笑い飛ばす。おやじを超える経営者をめざして、がんばれ正博。

菅野農林総合事務所長

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自作の繁殖管理パソコンソフトで経営改善を目指す(畑中 直樹)

畑中直樹写真

畑中 直樹 (はたなか なおき)

Profile

石川県能登町宇加塚生まれ
高校卒業後、金沢市内のパソコンのソフトウェアメーカーに技術者として3年間勤務
平成15年、家業の酪農を継ぐことを目標に、就農

現在、両親と共に、経産牛34頭、育成牛17頭の経営

就農のきっかけから就農まで

 私自身は工業系の高校出身で、卒業後は家業を継ぐ予定もつもりもありませんでした。
 しかし、社会人として過ごす中で、経営というものに興味を持ち、また、両親らが積み上げてきたものを無くしてしまうのはもったいないと思い、就農を決めました。
 もともと、子供のころから見て来た仕事なので、就農の時点では、特に違和感などはありませんでした。
 ただし、デスクワークから、突然肉体労働に切り替わったため、体力がつくまでの1ヶ月間はきつかったです。

就農してから現在まで

 就農当初は分からない事だらけで、やる気を失いかけていました。
 そこで、静岡県の大規模牧場での1年間の住み込み研修やアメリカ・カナダへの短期視察研修などに行かせてもらいました。静岡の牧場では、同世代の農家と技術や将来の夢などを語り合うことができ、酪農業に希望を持てるようになりました。
 研修から帰り、家畜繁殖に関して勉強し、家畜人工授精師の資格を取得しました。その結果、酪農経営の重要な部分に関わることが出来るようになり、仕事の楽しみも増えてきました。
 農業全般に言えるかと思いますが、この仕事は常にデータをつけて現状の把握などを行うことが大事です。
 前職の経験を活かして、自作の繁殖管理用のソフトウェアを開発しました。これを活用しながら、改善の目標を立て、徐々に数字が変化していく様子を楽しみながら仕事をしています。

将来はこんな農業をめざします!

 コストの削減が目下の目標です。
 まだ、具体的には将来が見えていない状態ですが、楽しんでやって行きます。

今後就農をめざす人へ

 いろいろな面で、ツライ事は多いかと思いますが、自分で全てを生み出すことが出来る仕事ですので、そういった部分では、楽しみながらやっていけるかと思います。

農林総合事務所所長よりひとこと

 高校卒業後、専門を生かし金沢市のソフトウエアメーカーに就職。在籍中には学校給食の栄養管理ソフト開発などを担当。訪れた時に、自前開発の飼養管理ソフトを見せてもらったが、生憎中身は理解できず、ただただ感服。
 平成15年の就農後、迷いもあったらしいが静岡県の農場、海外研修で夢を持てるようになった、とのこと。生産者感覚で開発した飼養管理ソフトを駆使してがんばれ直樹。

菅野農林総合事務所長

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能登の先っちょで楽農生活を!(東 裕之)

東裕之写真

東 裕之 (ひがし ひろゆき)

Profile

石川県珠洲市川浦町生まれ
金沢科学技術専門学校卒業後、金沢市内の電気設備会社に5年間勤務
平成13年、家業である農業を継ぐため珠洲に戻り就農
テニスと釣りが大好きな、身長185cmの草食系男子です!

現在は両親とともに、葉たばこ320a、大豆200a、能登大納言小豆160aを経営

就農のきっかけから就農まで

 高校卒業後、金沢の専門学校に進学、その後電気設備会社2社で5年間にわたり、電気工事関係を中心に働いていましたが、昼夜・季節を問わない工事の仕事が多く、体調を崩してしまいました。
 そんな頃、当時550aという大規模で葉たばこを栽培していた父から、「葉たばこ作りを手伝って欲しい」との連絡があり、先ずは両親の手伝いからと就農を決意したのです。
 当時は、葉たばこ栽培が盛んで、私たちの所属する折戸葉たばこ生産組合では7戸の農家がおり、中でも伯父にあたる二三味義春氏が葉たばこの耕作面積日本一に輝くなど、葉たばこ生産全盛の時代でした。

就農してから現在まで

 農業と電気工事、どちらも野外で行う仕事ですが、自然に囲まれ両親とともに働く中で、体調は順調に回復していきました。
 就農当初は見よう見まねで農作業を行っていましたが、今ではトラクターなどの機械作業はメインオペレーターとなり作業をこなしています。
 繊細な作業が要求される育苗も、5年ほど前から任されるようになりました。しかし、施肥や防除などのタイミングなどの勘所はまだまだ父にはかないません。
 近年、健康志向や税金の引き上げなどで、たばこの消費減退が進み、葉たばこの廃作が奨励される中、折戸地区での耕作者は我が家だけになりました。
 我が家でも葉たばこを減反し、葉たばこと作期が重複しない、能登大納言小豆や大豆などを作り始めています。

将来はこんな農業をめざします!

 葉たばこ栽培を続けながら、珠洲外浦の気候風土にマッチした、新たな作物を探していきたい。

今後就農をめざす人へ

 農業は自然が相手の仕事です。
 辛いこともありますが、自然の癒しと収穫の喜びが味わえますよ。

農林総合事務所所長よりひとこと

 たばこの消費減退が続く中、盛時(550a)からみれば減らしたとはいえ今も320aの葉たばこ経営をご両親と行う。就農6年目。繊細な技術を要する葉たばこ栽培にも徐々に慣れ、労力競合しない大納言小豆(160a)、大豆(200a)を組み合わせた経営を行う。
 家の前は能登外浦の格好の漁場。お父さんが船を持ちやなぎばちめの一本釣りを行い市場へも卸すことから、一緒にたいやあじ釣りを楽しんでいると笑う。開発地に合う新たな品目を探したいと静かな闘志を燃やす。秘めたる力を発揮せよ、裕之。

菅野農林総合事務所長

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「おいしいね!」その言葉が聞けるから、きつい仕事も頑張れる(梅基 加奈子)

梅基加奈子写真

梅基 加奈子(うめもと かなこ)

Profile

石川県金沢市生まれ
平成元年 京都芸術短期大学を卒業後、金沢市内のデザイン会社に勤務
平成12年 会社を辞めて、石川県が運営するアグリ塾(果樹・通年コース)を受講
     アグリ塾を卒業後、加賀フルーツランドを運営する(有)三共農園(加賀市豊町)に入社し、
     果樹栽培を担当

経営概要

 フルーツ狩り(イチゴ、ブルーベリー、サクランボ、ブドウ、ナシ、リンゴ)、バーベキュー・パークゴルフ、売店・軽食喫茶
※(有)三共農園・加賀フルーツランド

就農のきっかけから就農まで

 私は短大を卒業後、デザイン会社に勤めて、ショーウィンドウのディスプレイを担当していました。農業に興味を持ったきっかけは、能登で地物のブドウを使ってワインを造る構想が話題になったことでした。実は私、お酒が大好きなんです。自分の作ったブドウでワインができたらすてきだなと思い、就農を考えるようになりました。とはいえ、実家は農家ではなく、農業について勉強したこともありません。どうすればよいか思案していたところ、新聞で農業の担い手を育成する「アグリ塾」の開講を知り、その後、思い切って会社を辞め、入塾しました。
 アグリ塾では2期生として果樹コースに入り、1年間、毎週月曜から金曜までブドウ栽培に関する基礎知識や栽培技術を学びました。卒業間近になると、ブドウ園で働くため就職活動に取り組みました。何のつてもないため、県の方にも同行してもらいながらいくつかのブドウ園を訪ねたのですが、どこも人材を募集していませんでした。現在勤務している三共農園は、ブドウを作っているわけではありませんが、さまざまな果樹を扱っています。果樹栽培には共通点が多いと考え、就職を決めました。

就農してから現在まで

 三共農園では「加賀フルーツランド」という摘み取り体験のできる観光農園を経営しており、私は果樹栽培担当として、ブルーベリーやサクランボ、ナシ、リンゴ、イチゴといった摘み取り用の果樹を育てています。一口に果樹と言っても、種類が違えば、栽培方法もいろいろです。ブドウ栽培以外の知識はなかったので、先輩の仕事ぶりを見て、少しずつ学んでいきました。薬剤を散布するスピードスプレーヤーの運転など、初体験で戸惑うこともたくさんありましたね。失敗も数え上げればきりがありません。
 お客さまが入園するまでに仕事を終わらせるため、日の出とともに消毒作業をすることもありますし、真夏にビニールハウスの中で仕事することもあります。体を動かすのが好きとはいえ、しんどいと思うこともしばしばです。それでも続けてこられたのはやっぱり果樹栽培が好きだからです。お客様から「おいしいね」「何度も来ています」という声を聞くとやっぱりうれしいですね。これからは、本を読んだり、他の産地に足を運んだりして、もっともっと新しい知識をインプットしたいと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 お客様に喜んでもらうため、おいしい果物を作り続けたい。

今後就農をめざす人へ

 農業を甘く考えてはいけません。私は就農前、農作業は晴れた日だけで、雨が降ったらのんびりできるのだろうと軽く考えていたのですが、雨の日でも雪の日でもカッパを着込んで仕事していますし、肉体的にもハードです。体力も必要ですし、果樹は1 年に1作しかできませんから、より多くの経験を積むためにも、若いうちに始めた方がいいと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 「今では木の状態に合わせて作業が出来るようになったが、もっと果樹について知識を深めたい。いろんな産地を視察してみたい。」と、とても勉強熱心な梅基さんです。
 就農当初は失敗も多かったと聞きましたが、今では加賀フルーツランドで多くの果樹を任されている、頼もしい存在に成長しています。これからもお客さんに「おいしいね!」と喜んでもらえるような立派な果実を栽培してください。農林事務所も応援しています。

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半年間、悩んだ末Iターン就農を決意。頼れる後継者に(荻生 洋治)

荻生洋治写真

荻生 洋治(おぎう ようじ)

Profile

東京都生まれ
大学を卒業後、都内の空調設備会社に勤務し、施工管理業務に携わる。
平成16年 会社を辞めて、妻の実家がある加賀市加茂町に移り住み、農業経営を継承する。

経営概要

 水稲12ha(作業受託含む)、大豆15ha

就農のきっかけから就農まで

 東京で会社勤めをしていた私に転機が訪れたのは平成16年のことでした。加賀市で農業を営んでいる妻の両親から、「こちらに移り住んで、農業を継いでほしい」との打診があったのです。
 当時の私の仕事は空調設備の施工管理で、農業との接点と言えば、結婚後、ゴールデンウィークに帰省した際、何度か田植えを手伝ったことくらいです。もちろん転職を考えていたわけでもありません。それに、今までの仕事のノウハウが役立つわけでもなく、まったくのゼロからのスタートです。さすがにすぐには決心がつきませんでした。
 Iターンし、農業を継ぐことを決めたのは、半年ほど悩んだ末のことでした。まだ元気とはいえ、義父母も70歳を超えています。妻には男の兄弟がいないので、このままでは後継者がいません。それならば自分がやるしかないと決断したのです。技術や知識以外に、収入面での不安もあったのですが、「現在の経営を続ければ、生活はしていける」という義父母の話が、私の背中を後押ししてくれました。

就農してから現在まで

  1年目は義父母の作業を見よう見まねで手伝うことからスタート。2年目は手順をあれこれ考えながらの作業でしたが、3年目からは自然と体が動くようになりました。機械化されている仕事も多く、つらい時もありますが思っていたほど重労働ではありません。農作業は基本的に私が専業で取り組み、除草や耕起、水管理を義父母や妻と分担しています。トラクターや田植機、コンバインといった機械の運転にも1年目から挑戦し、最初は義父と交代しながら、2年目には一人で運転するようになりました。
 就農から丸6年を経て感じるのは、農業を仕事にするのも決して悪くないということです。体を動かして、汗を流すのは気持ちいいですし、段階を踏んで作業することで成果が出てくる点、結果が良くても悪くても自己責任という点も性に合っています。住環境も良好で、田舎だからと言って生活に不便を感じることもそうありません。時間に余裕のある時期もあり、空いた時間を趣味に当てています。
 今後の課題は、効率や品質をいかにアップさせるか。今年からは、育苗の手間を省き、収穫時期を分散させるため、直播栽培を導入すると同時に、大豆では土作りを行うことにより、収穫量を増やしたいと考えています。実践から入りましたので、今後は理論的なことも学びたいですね。

将来はこんな農業をめざします!

 技術的にはまだまだ未熟であり、作業効率や品質を向上させることが毎年の課題です。

今後就農をめざす人へ

 私は就農を決断するまでに半年かかりましたが、今振り返ると、何をそんなに悩んでいたのかと思います。やりたいと思ったら、迷う必要はまったくありません。そして、やってみれば思ったより面白いと感じるに違いありません。
 また、一口に農業と言っても、やり方は無数にあり、頭の柔軟さが求められますから、若い人にぴったりの仕事だと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 都会からIターン就農し最初は相当の苦労があったと思いますが、6年目で農作業や経営を引き継ぎ、今ではJAの大豆部会長の役職に就くなど、加賀市の農業を支えるリーダーとなられた荻生さんです。
 水稲のV溝直播、大豆の畝立て栽培等の新技術にも積極的に取り組み、物静かな口調で将来の展望を語る姿は、自信に満ち溢れていました。「今後は、理論的なことも学びたい」との事で、農林事務所としても精―杯お手伝いしていきます。

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米作りは半人前だが、前職の経験生かし顧客の信頼を獲得(岩岡 正浩)

岩岡正浩写真

岩岡 正浩(いわおか まさひろ)

Profile

石川県小松市生まれ
北海道大学大学院水産科学研究課博士後期課程中退。その後、福井県内の酒造会社で醸造・品質管理に従事
平成21年 実家が営む岩岡農産に就職

経営概要

 もち米14.4ha、うるち米1.6ha

就農のきっかけから就農まで

 最も大きな要因は、私が大学2年の時に脱サラし、今も農業を頑張っている父の存在です。父は小規模な兼業農家からスタートし、土地の集積やもち米の作付け拡大に取り組んだり、県外に新規の販売ルートを開拓するなど、経営規模を拡大してきました。口にこそしませんが、この間、相当な努力と苦労を重ねて、取引先との信頼関係を築いてきたと思います。
 そんな父から、体力的な問題で「65歳で農業を辞めようと思う」と聞いたのは平成19年のことでした。その時、このままだと父が積み上げてきた努力や信頼が全てなかったことになってしまうような気がして、何とか力になりたいと思ったのです。当時、私は酒造会社に勤めており、社内結婚を控えていたのですが、小さな職場で夫婦が働くのも気まずいと思い、家業を継ぐことを決めました。
 また、学生時代に一次産業に従事する方と接する機会が多々あって食を供給する仕事のやりがいに共感したことや、酒造りを通して食品作りの難しさと楽しさを知ったことなども就農の理由です。

就農してから現在まで

 就農して痛感したのは、自分の甘さです。例えば、農作業は子どもの頃はもちろん、勤めてからも夏休みに手伝っていたので、簡単にこなせると思っていたのですが、そうはいきませんでした。トラクターを入れるにしても、田んぼの起伏や土の硬さに合わせたルートで運転しないと、作業効率が大幅に落ちます。一方、父は250枚近い田んぼ全ての状態が頭に入っていて、ノウハウを継承する難しさを感じています。
 とはいえ、酒造会社での経験が生きた場面もあります。それは昨年から米を卸し始めた老舗和菓子店に「飴が今までと同じ味にならない」と言われた時のことでした。先方はこれまで品種・品質表示のない加工米を使っていたため、原因が品種なのか、米の出来なのかが特定できません。
 そこで、以前、清酒の成分分析で培ったノウハウを生かし、石川県立大学や福井大学、石川県農業総合研究センターの設備を借りて、米や飴の成分を分析し、結果を報告しました。明確な結果は出ませんでしたが、今年は取引だけでなく、飴に合う米の品種を探るテストも任され、信頼関係を強化できたと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 これまであまり交流のなかった異業種とコラボレーションして、新しい商品やサービスを作りたい。

今後就農をめざす人へ

 新規参入者が既存の農業従事者と同じことをしても、習熟度が違うので張り合っていくことは困難です。そこで大切になるのが異業種とのコラボレーションによる差別化です。食品加工業や飲食業にもアンテナを張り、就農前からビジネスアイデアを考えておくといいと思います。
 私も、アイデアの実現に向け、連携できそうな企業を探しているところです。

農林総合事務所からのメッセージ

 「父と同じことはしたくない、というか出来ない」「自分にしか出来ないことをやりたい」酒造りの技術継承の難しさを知るその語り口は穏やかですが力強くも感じました。
 「農業には可能性がたくさんある」「先ずは自社商品をひとつ作り上げたい」と語っておられました。これまでの経験を活かした専門知識とご両親が築き上げた基盤を大切にし、自分にしかできないことを見つけて伸ばしてください。
 農林総合事務所も夢の実現を応援します。

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土木業からの転身。農業に人生を賭ける!(川崎 裕司)

川崎裕司写真

川崎 裕司(かわさき ひろし)

Profile

石川県七尾市生まれ
石川県立工業高校機械システム科卒業
北陸大学法学部中退
専門学校ESSEテクノカレッジ金沢を卒業後、白山市の土木会社や金沢市の建設機械リース会社に勤務
平成21年 (有)たけもと農場(能美市牛島町)に就職

経営概要

 うるち米19.6ha、もち米9.5ha、大麦12ha、大豆3ha
※(有)たけもと農場

就農のきっかけから就農まで

 七尾市の実家が工務店を営んでおり、いずれは自分が会社を継ぐものだと考えていました。ところが、いざ会社を辞めて実家に戻ると、父親からは「七尾市では土木関係の仕事が減り、工務店を続けるのは大変だ」と聞かされたため、入社せずに新たな道を探すことにしました。
 やりがいのある仕事を見つけようと、さまざまな会社の面接を受け、再びサラリーマンに戻ることも考えました。そんなとき、知人に紹介されたのが「たけもと農場」でした。実家は兼業農家でしたが、それまで農業に携わった経験はなく、関心もありませんでした。その上、農業で生活していけるとはとても思えなかったのです。
 とりあえず話だけでも聞こうと会社を訪れ、社長の竹本敏晴さん、取締役の竹本彰吾さんから話をうかがいました。2人の話からは、米づくりにかける情熱が伝わってくると同時に、やり方によっては農業は未来に希望がもてる仕事なのだと認識を新たにしました。そして、自分なりに農業について調べ、今後も農業が発展していく可能性はあると判断し、"人生を賭ける価値がある仕事"として就農を決めました。

就農してから現在まで

 たけもと農場は、先代の竹本平一さんが昭和40年に米作日本一に輝くなど、先祖代々、米づくりを続けてきた歴史のある専業農家で、平成5年に法人化した家族経営の会社です。そんな会社に入って、何の知識も経験もない自分が「本当に農業ができるのか」という不安もありましたが、たけもと農場の方々の親切な指導に助けられました。
 建設機械のリース会社で働いた経験があったため、1年目からトラクターや田植機などの農業機械の運転やメンテナンス、肥料散布などをさせてもらっています。ただ、経験がものをいう水管理や育苗管理など、稲の生育にかかわる重要な作業については、少しずつ覚えている段階で、任されるまでには至っていません。
 たけもと農場では、良質な米をつくるには土づくりが大切だと考え、農業機械にも数センチ単位の微妙な操作が要求されます。軟弱な土壌での農業機械の運転は思ったよりも難しいのですが、このような日々の小さな努力の積み重ねが、収穫の秋には実を結ぶわけです。
 消費者の皆さんが「おいしい」と言ってくれることが、何ものにも変えがたい喜びだと分かってからは、農業を続けられる自信がわいてきたと実感しています。一日も早く農業の知識と技術を身につけ、一人前として認めてもらえるよう頑張りたいです。

将来はこんな農業をめざします!

 安心・安全でおいしいと言われるものを常に提供し続けたい。

今後就農をめざす人へ

 農業をまったくやったことがない人にとっては、農作業は体力的にきついと感じると思います。自分も1年目は大変でしたが、情熱を持って農業に取り組み、そのきつさを乗り越えた先に大きな喜びが待っていると思います。
 いつまでも農業への情熱を忘れず、努力を続けてください。

農林総合事務所からのメッセージ

 川崎さんは性格が穏やかで物腰が優しく、農作物に対しても愛情を持って接しているのではと思います。
 就農してからの日が浅く、まだまだ苦労は多いようですが、農業の話をしているときの川崎さんの表情は明るく、希望に輝いているように見えました。
 今後多くの経験を積み、自分なりの技術を身につけ、たけもと農場の重要な戦力のひとりとして研鑽されることを期待します。

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ミニ野菜栽培で独自性。就農2年目に黒字化を実現した専業農家(北本 和幸)

北本和幸写真

北本 和幸(きたもと かずゆき)

Profile

石川県川北町生まれ
高知大学理学部自然環境科学科地球史環境科学コース卒業後、福井県鯖江市のメガネレンズ製造販売会社に勤務
平成19年 福井県主催の農業講座に通う
平成20年 会社を退職し、石川県の就農準備校「アグリ塾」に入校
平成21年 専業農家「いちびさ」を創業

経営概要

 露地栽培(枝豆、ナスなど)30a、ハウス栽培(トマト、カボチャなど) 10a

就農のきっかけから就農まで

 実家が兼業農家だったため、小さいころから農作業を手伝っていましたが、次男という立場から農家を継ぐことはまったく考えていませんでした。
 そんな私に転機が訪れたのは、メガネレンズ製造販売会社の勤務にも慣れた平成19年のことです。
父親が会社で定年を迎える年齢になり、実家の農業を誰が継ぐのかという後継者問題が持ち上がりました。兄は農業をする気はなく、私も「米をつくっても赤字だろうから、いっそのこと辞めてしまえばいい」と思っていたぐらいです。
 ですが、「せっかく土地があるのだから、専業農家という選択肢もあるのではないか」と思い直し、会社勤めを続けながら、福井県が開講していた農業講座に通い始めました。
 農業講座では、座学で基礎的な知識や技術を学習しながら、トマトやカブなどの野菜を実際に栽培しました。知らないことを学ぶ経験は楽しく、何よりやったらやっただけの成果が返ってくる農業に魅力を感じました。そこで、平成20年に会社を辞め、石川県の就農準備校「アグリ塾」に1年間通った後、同21年4月から専業農家としてスタートを切りました。

就農してから現在まで

 初めから稲作は父親に任せるつもりでしたので、減反政策で休耕田となっていた土地を利用した施設園芸に取り組むことにしました。そして、「独自性を打ち出し、販路を開拓できなければ、経営として成り立つ農業は実現できない」と考え、秋から冬にかけては石川県内でも生産が少ない「ミニ野菜」を栽培することに決めました。ミニ野菜とは、普通よりも小さいサイズで成熟する品種の野菜で、切る手間が省けることや食べきりサイズなので無駄が出ないなどの理由で人気があります。
 南加賀農林総合事務所の方々から育苗技術や病害虫対策の指導を受けながら、ミニキャベツやミニ白菜、ミニカボチャなどの少量多品目栽培に取り組むほか、春から夏には市場の規格に合った枝豆やナス、トマトなどの野菜を生産しています。生産した野菜は市場へ出荷するだけでなく、地元の直売所でも販売し、就農2年目に黒字転換を果たすことができました。
 3年目は、これまでの販売結果や消費者の声をもとに、需要の大きい枝豆の栽培面積を5aから15aに広げるほか、アスパラも栽培品目に加える予定です。今後も、小規模な面積でも栽培をうまくローテーションさせ、小さいながらも一目置かれる専業農家を目指します。

将来はこんな農業をめざします!

 たっぷり愛情を注ぎ込んだミニ野菜をいつまでも消費者に届けたい。

今後就農をめざす人へ

 経営が軌道に乗るまでは、売れる作物を栽培することを勧めます。最初は赤字だったとしても悩まないでください。農業を楽しみ、努力を惜しまなければ、結果は自ずとついてきます。農業技術は日々、進歩しています。新しい栽培技術を取り入れるなど、生涯にわたって勉強を続けなければなりませんが、チャレンジのしがいがある魅力的な職業です。

農林総合事務所からのメッセージ

 北本さんは一から野菜の栽培をスタートさせましたが、とても勉強熱心であることが話の節々から伝わり、頼もしさを感じました。
 2年目ながら持ち前の明るさと行動力で、早くも周囲から注目を集めており、これからも地域の中心人物として、園芸農家の少ない川北町で、一際目立つ存在となることを期待しています。

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ゼロからの就農。良き理解者と出会い、知識と技術を研さん(宮上 裕介)

宮上裕介写真

宮上 裕介(みやかみ ゆうすけ)

Profile

石川県白山市(旧鶴来町)生まれ
金沢工業高等専門学校卒業。その後、アルバイトをしながら東京で生活する。
平成21年  地元に帰り「いしかわ農林漁業就職フェア」(いしかわ農業人材機構主催)に参加
同年3月から吉野農園(白山市下吉野)に就職、トマトなどの栽培に従事
平成22年 いしかわ耕稼塾(予科)で研修 農商工連携研修(実践コース)を受講

経営概要

 トマト40a、メロン1.5a、葉ボタン3a、小松菜・ホウレンソウ・レタス・チューリップ4a
※吉野農園

就農のきっかけから就農まで

 農業をやりたいと思ったのは、就職を考え、東京からUターンしてきた時です。東京では、さまざまなアルバイトを経験したのですが、造園会社で庭木の剪定などを手伝った際、植物に興味を持ったのがきっかけでした。とはいえ実家は農家ではありません。就農先を探そうとまずはハローワークに行ったのですが見つからず、その後、親の勧めもあって農林総合事務所へ相談に行きました。そこで、就農希望者と農業法人等をマッチングする「いしかわ農林漁業就職フェア」の開催を知り、後日、参加したのです。
 フェアでは野菜を生産する約10社の農業法人と面談しました。農業をやりたいという漠然とした思いだけで、知識はまったくありませんでしたから、「もっと勉強しなきゃ」と叱られることもありました。そんな私を温かく迎えてくれたのが、現在お世話になっている吉野農園の古賀勝さんでした。古賀さんも非農家出身で、金融関係の仕事から一念発起して農業を始めた方です。何より私の気持ちを大事にしてくれて、「一緒にやろう」と声をかけてくれました。就職を決めた後、通勤の足がないことを知ると、専用の軽トラックを用意してくれていて、これには感動して、やる気がわいてきました。

就農してから現在まで

 吉野農園では24棟のビニールハウスを管理しており、主にトマトを生産しています。古賀さんや地元のトレーナーの方に指導を仰ぎながら、土作りや育苗、定植、収穫といった作業に従事しています。農業にはのんびりとしたイメージを持っていたのですが、まったく違いますね。慣れないうちは手が遅くて時間に追われることも多いですし、天候やトマトの生育ステージに合わせてやることがたくさんあります。とはいえ、手をかけた分だけ、いいトマトができるのでやりがいも十分感じています。
 1年経つと作業には随分慣れ、2年目は1棟を自分一人で管理してトマトやメロンを育てました。しかし、水や温度の管理が不十分で収穫できず、あらためて難しさを実感しました。今年からは冬場にガラス温室を1棟借りて、小松菜やホウレンソウ、レタスなどの栽培にも取り組んでいます。チャレンジの連続ですが、いろんな栽培方法を学べるのはいい経験です。また、いしかわ耕稼塾農商工連携研修を受講するなど、自己研さんにも力を入れています。今春から後輩が入ってくるので、「意識は常に高く」「作業は丁寧に早く」という古賀さんの言葉を胸に刻み、いい手本になれるよう頑張ります。

将来はこんな農業をめざします!

 経営規模の拡大と六次産業化を目指します。また、就農を目指す人に体験・研修の場を提供したいと思います。

今後就農をめざす人へ

 農業をやりたいと思っている人は、農業法人等で手伝わせてもらったり、いしかわ耕稼塾等の研修制度を利用すれば、勉強になります。また、農業法人にもいろいろな経営スタイルがあります。自分との相性もありますから、就職の際はいろいろな法人で話を聞いてみることが大切です。
 とにかく、分からないことがあれば、近くの農林総合事務所に相談するのが一番です。

農林総合事務所からのメッセージ

 2年間の就農を通じて、トマトづくりの技術を身につけ、また、いしかわ耕稼塾などで積極的に勉強し、知識や仲間も広がったことと思います。今年はこの地に就農して3年目となり、後輩もできて教えられる立場から先輩として教える立場になり、新たな難しさもあると思います。是非、大先輩の古賀さんにどんどん相談して、作物と人を育てるワザを学んで下さい。

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知らず知らずのうちに農業が一番、身近な仕事になっていた(駒水 徹治)

駒水徹治写真

駒水 徹治(こまみず てつはる)

Profile

京都府京都市生まれ
京都府立農芸高校卒業
平成20年 京都府立農業大学校卒業後、(株)ヤマジマ(白山市安吉町)に入社
平成22年 (株)ヤマジマで新たに栽培を始めた長ネギの担当となり、栽培から出荷までを一貫して手がけている。

経営概要

 水稲10ha(農作業受託2ha)、大豆55ha、長ネギ0.8ha
 ※(株)ヤマジマ

就農のきっかけから就農まで

 農芸高校を卒業後、2年制の農業大学校に進み、キュウリやトマトといった野菜の施設栽培を専攻していました。ただ、農業を学んではいましたが、当時は「この道に進みたい」と強く意識していたわけではありません。高校生の頃は部活の野球に明け暮れる日々でしたし、大学校に進学した理由は学費が割安で、2年間、自由な時間がほしいと思ったからです(笑)。
 それでも、大学校卒業を間近に控え、自分の将来を真剣に考えたとき、農業以外の仕事に就いている姿が全く想像できませんでした。むしろ、「5年間、学んできたことを生かしたい」という思いがどんどん膨らんでいきました。
 就農先として目を向けたのが石川県でした。石川県が主催した農業インターンシップに参加し、祖母が暮らす珠洲市にある農業法人に2週間ほど研修させていただき、それが縁で白山市の(株)ヤマジマを紹介していただいたのです。
 実家のある京都から遠く離れることには、不安も抵抗もありませんでした。なぜなら、その頃にはもう、「野菜を栽培したい」という強い気持ちが芽生えていたからです。

就農してから現在まで

 就農してからはや3年がたちました。1年目、2年目は、大豆をメインに、水稲やキャベツ、トマトなどの栽培を手がけました。3年目の平成22年度は、僕自身にとって大きな変化のあった年でした。大豆や水稲に加えて、新たに長ネギの担当として栽培から出荷までを一手に任されたんです。
 しかも、会社としてもネギを栽培したことはありません。初めて体験することばかりで、毎日が手探り状態でした。農協の人にアドバイスをいただきながら、何とか無事に出荷までこぎ着けることができました。今になって振り返ってみても、畑の状態によっては機械を使えず、手掘りで収穫するなど、予想外のトラブルは一度や二度ではなく、本当に大変な1年でした。それでも、11月の初出荷を迎えた日に味わった達成感は、これまでに感じたことがないほど大きいものでした。
 2月からの播種を皮切りに、今年もまた、長ネギの栽培が始まりました。1年間の経験を生かし、機械を導入しながらより効率的な栽培法を探っていきたいですね。

将来はこんな農業をめざします!

 農業もビジネスのひとつ。省力化と効率化を常に考え、経営規模を拡大していきたい。

今後就農をめざす人へ

 農業は決して特殊な仕事ではありません。建築業や情報産業などと同じく、数ある職種の中の一つです。企業に入社し、現場で少しずつ経験を重ねていくように、農業でも実際に就農してから仕事を覚えていくことがはるかに多いはずです。
 ですから、一から学ぶ気持ちを持って、必要以上に肩ひじを張らずに、この世界に飛び込んできてほしいと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 「農業も他の仕事と同じで、やらなければならないことをやるだけ」と言う駒水さんは、山島の地域の人たちに囲まれ、地域にとけ込み、就農して3年がたちました。年々成長している姿は、しっかりと経験を積み重ねてきた証ですね。今では、(株)ヤマジマのネギ担当者として采配をふるっており、さらにネギ部門をしっかりと築き上げていって下さい。応援してます。

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米づくりも加工も、六星が取り組む農業のひとつ(川嶋 健弘)

川嶋健弘

川嶋 健弘(かわしま たけひろ)

Profile

神奈川県鎌倉市生まれ
東京農業大学国際食料情報学部卒業後、(株)六星(白山市橋爪町)に入社し、営農課に勤務する。
平成22年  営農課から製造課に異動し、マネージャーとなる。また、同年4月、石川県農業青年グループ連絡協議会会長に就任した。

経営概要

 水稲130ha(受託含む)、能登大納言小豆10haなどを栽培。直売店で米や野菜、餅などを販売。全国のスーパー・デパートにも出荷している。
 ※(株)六星

就農のきっかけから就農まで

 サラリーマン家庭に生まれた僕が、最初に農業に関心を持ったのは高校生のときです。好きだった生物分野の知識・技術を生かして実社会で役立つ仕事がしたいと思い、青年海外協力隊としてアフリカや東南アジアで農業振興に取り組む道を探ったのがきっかけでした。
 その思いを胸に東京農業大学に進学したのですが、学ぶ中で担い手の高齢化や耕作放棄地の増加など日本もまた大きな問題を抱えていることを知り、国内の農業への危機感がどんどん募っていきました。加えて、大学では毎年1カ月以上の研修・実習があり、北海道や千葉などで実際に農作業に汗を流し、作物を育てる喜びを知りました。そして、いつしか「農業を仕事にしたい」と考え始めていたのです。
 そんなとき、大学の研究室で六星を訪問する機会があり、会長やスタッフの方の話を聞き、地域に根ざした農業に魅力を感じました。役職に関係なく、社員の人たちが堂々と会社や農業の未来を語る姿も印象的でした。「ここで働きたい。」そう強く思い、夏には再び、研修で六星に足を運び、そのまま就農へと結び付きました。

就農してから現在まで

 六星に入社後、最初に配属されたのは営農課です。米を中心に生産し、ときには珠洲市で能登大納言の栽培に携わりました。すべてが経験のないことばかりで、新入社員の頃はただただじゃまにならないようにするので精一杯。それでも、農業に汗を流せる喜びを毎日、感じていました。
 そんな日々が5年間続いた昨年春、急に製造課への異動が決まりました。しかも、立場は餅加工の責任者であるマネージャーです。働く場所もこれまでの田畑から工場に移り、製造量の調整やクレーム対応、全国への出荷業務、品質管理など、仕事内容もがらりと変わりました。想像すらしていない異動で、正直、とまどいは大きかったですね。
 ただ、六星では、自分たちが育てた農作物を商品化し、販売することで利益を上げ、次年度の生産へとつなげています。そういう点では営農も加工も当社の農業の一部であり、仕事としてのやりがいに変わりはありません。
 そう考え、加工部門の責任者として歩んで1年、今では僕が農作業に張り付くよりも、現在の体制の方が会社の農業にはプラスになると、自信を持って言えるようになりました。

将来はこんな農業をめざします!

 地域に根ざした六星を大きく成長させたい。そして、いつかは日本の農業の欠かせない存在に!本気でそう思っています。

今後就農をめざす人へ

 農業をしていく上で、正解の形は決して一つだけではありません。いろいろなスタイルの農業があっていいと思います。
 しかし、自分が利益を得るためだけにする農業は、きっとつまらないものになってしまいます。作ったものを通して、だれかとつながりを築ける農業を目指してください。そのヒントはきっと六星にあります。ぜひ一度、見に来てください。

農林総合事務所からのメッセージ

 学生時代に農業研修で多くの経験を積み、その中から自分の目指す農業の道を見つけ、自ら実践している積極的な川嶋さんからは、地域に根ざした農業を実践している六星の一員としての強い信念を伺うことができます。
 これからも栽培から加工までの幅広い分野で、地域に根ざした農業の発展のため、活躍してください。

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プロサッカー選手の夢を断念して就農。農業の奥深さに夢中(大前 悠輝)

大前悠輝写真

大前 悠輝(おおまえ ゆうき)

Profile

大阪府羽曳野市生まれ
白山市内にあった全日本サッカー専門学院に入学
プロサッカー選手を目指し、金沢市内のクラブチームで練習に励む傍ら、西村農園でアルバイトを開始
平成18年 (有)西村農園(金沢市粟崎町)に入社。サツマイモやスイカの栽培に従事

経営概要

 サツマイモ3ha、スイカ1.5ha、ダイコン66a、葉ボタン15a
 ※(有)西村農園

就農のきっかけから就農まで

 大阪府出身の私が石川県にやってきたのは、白山市内にあったサッカーの専門学校に入学するためでした。当時はプロのサッカー選手になるのが夢だったのです。2年の途中に専門学校が経営破綻してしまったので、その後は金沢市内のクラブチームに籍を置き、練習に励みました。
 現在勤務している西村農園でアルバイトするようになったのは22歳の頃です。西村農園の西村社長も以前、そのチームでプレーしていたことから、当時の監督を通じて紹介され、練習のない午前中に農園で働くようになりました。サツマイモやスイカの収穫をはじめ農作業は初めてのことばかりでしたが、体を動かすことが好きだったので楽しく感じました。
 農園での仕事にもすっかり慣れたころ、西村農園が法人化することになり、その際、西村社長から「社員にならないか」と声をかけていただきました。私も28歳になっており、そろそろ将来の進路を決める時期だと考えていましたから、プロサッカー選手になる夢を諦め、入社を決めました。アルバイトを通して、農業は自分にぴったりの仕事だと感じていたので、まったく迷いはありませんでした。

就農してから現在まで

 アルバイトを始めた当初は何も分からなかったので、一から丁寧に教えてもらい、この10年で少しずつ、知識や技術を蓄えることができました。
 西村農園ではサツマイモやスイカ、ダイコン、葉ボタンを栽培しています。作物に応じてさまざまな作業がありますし、例えばスイカならば、冬場に土壌を消毒して、春に育苗と植え付け、その後整枝して、夏に収穫といった具合に、季節ごとに仕事内容も違いますから飽きることがありません。手を加えればその分だけ、おいしくて品質のいい作物が育つという点も、やりがいにつながっています。
 農業は奥が深く、やればやるほど興味が湧いてきます。そこで、3年前から約3aの家庭菜園を借りて、ナスやキュウリ、トマト、トウモロコシなどの実験的な栽培を始めました。ここでは、肥料の種類や量、あるいは水の量を変えたり、一切肥料を与えずに育てたりと自分なりに考えたさまざまな栽培方法を試しています。育て方次第で、大きさや味に随分と差が出ることが分かりました。家庭菜園でもっともっと試行錯誤して、将来的にはそのノウハウを仕事に役立てることができればと考えています。

将来はこんな農業をめざします!

 とにかく、今は与えられた仕事をしっかりとやるだけです。その時々で、ベストを尽くします。

今後就農をめざす人へ

 私もそうでしたが、いきなり就農するのではなく、農園でアルバイトとして働くなどすれば、少しずつ仕事に慣れることができますし、農業が自分に合っているかを判断するのにも役立ちます。
 例えば、種イモを植えるための穴を一日中スコップで掘ったりときつい仕事もありますので、体力も必要です。軽率に考えてはいけません。

農林総合事務所からのメッセージ

 サッカーを縁に石川県に来て、サッカーに理解ある経営者の元で働けることは幸せなことと思います。
 今は家庭菜園で試行錯誤しながら農業の楽しさ、技術の奥深さを実感されている、それをどんどん活かしていただきたい。
 今後も、サッカーも、五郎島の農業も情熱を持って取組み続けてほしいと思います。

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目指すはもうかる農業。作付面積を倍増し、ナスの多品種生産へ(表 信吾)

表信吾写真

表 信吾(おもて しんご)

Profile

石川県金沢市生まれ
大阪の辻調理師専門学校に入学
専門学校を卒業後、金沢市内のホテルでコックとして勤務
金沢市内に料理店をオープンし、オーナーシェフとなる。
約10年後に店じまいし、建築資材製造事業を開始。
平成18年 金沢農業大学校に入学
平成20年 同校を卒業後、金沢市車町でヘタ紫なす、金時草の栽培を開始

経営概要

 ナス20a、金時草10a、ナバナ2a

就農のきっかけから就農まで

 専門学校を卒業後、30代半ばまで調理師として働いていました。毎日のように野菜を扱いますから、自然と農業にも興味がわき、「いずれは農業をやりたい」と考えるようになりました。ただ、他の仕事と違って、農業には、親が農家でなければ従事できない特別な仕事というイメージがありました。実家は農家ではありません。そこで、今できることから始めようと、金沢市内にある市民農園の一角を借りて独学でナスやキュウリ、トマトを育てるようになり、それらを自分の店で提供することもありました。
 転機になったのは平成18年の金沢農業大学校開校です。当時は既に店を閉め、建築資材製造事業を開始したのですが、市民農園での野菜作りは続けていました。そのせいか私にも入学案内が届いたのです。卒業生には就農初期投資に対する助成金の支給や農地のあっせんなど、行政の支援が受けられることになっていたので、「これで農業が始められる」と考え、入学を決めました。農業大学校では2年間かけて野菜の栽培技術や施肥設計などを学び、その後、金沢市車町に25aの農地を借りて営農を開始しました。

就農してから現在まで

 1年目は加賀野菜のヘタ紫なすと金時草を10aずつ栽培しました。極力農薬を使わないようにしたのですが、地力のおかげで十分な収穫を得ることができました。私は建築用の断熱パネルを製造する仕事と二足のわらじをはいているのですが、農作業もパネル製造も冬場は閑散期です。そこでビニールハウスを1棟建てて、秋以降は金沢春菊とナバナの栽培に取り組みました。金沢春菊は病気が出たり、育ちが悪く、まったく収穫できませんでしたが、ナバナは2月から5月にかけて順調に出荷できました。そこで、 2年目にはビニールハウスを2棟増設し、ナバナの栽培を拡大しました。
 3年目はヘタ紫なすが青枯病にかかり、前年の半分しか収穫できませんでした。ただ、市場の方の声を参考に栽培したうすむらさき茄子や長緑(ナス)が、珍しさもあって高値で取引してもらえたおかげで、売り上げは上々でした。4年目は、新たに25aの農地を借りることができたので、ナスの作付面積を倍増し、味むらさき茄子、白なす、黒船といった品種にもチャレンジする計画です。
 私にとって農業はあくまでも事業の一環です。パネル製造の仕事は受注を待つ受け身の仕事ですが、農業は攻めることのできる仕事ですから、多少無理してでも経営規模を拡大していきたいと思います。

将来はこんな農業をめざします!

 農業をもうかるビジネスに。規模拡大と法人化、加工品販売を視野に、従来の常識を打ち破る農業を目指します。

今後就農をめざす人へ

 農業は手をかけた分だけいいものができます。また、市場に出荷すれば翌朝にはお金になりますし、やった分だけ利益も上がるので、非常に分かりやすい事業です。とはいえ、労働力や手間を考えると採算性は低いため、好きでなければ続けられません。
 ある程度の知識や技術も必要ですから、農業大学校などを活用して、実際の農業を知った上で始めるのが一番だと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 表さんは元コックという経歴のため、実需者の立場から栽培品目を検討でき、常に実需者から求められる農業を意識している。また、市場関係者などから栽培品目のアドバイスを受けながら自身でも考え、向上心を持ちながら営農を行っている。
 4年目には面積も拡大するということで、作業を行う上で苦労されることもあるかもしれないが、今後もその向上心を持ち続け、現在持っている大きな目標をかなえてほしい。

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自分らしく輝け、将来性のある農業界に転職(東 裕平)

東裕平

東 裕平(あずま ゆうへい)

Profile

石川県金沢市生まれ
国士舘大学卒業、地元の建設会社へ就職
建設会社を辞めて、アルバイトをしながら日本代表スキー選手を目指す
平成21年 金沢市のれんこん生産農家(れんこん生産組合長)でアルバイトをしながらレンコン作りを学ぶ
平成22年 河北潟干拓地で加賀れんこん作り開始
 

経営概要

 加賀れんこん1.5ha

就農のきっかけから就農まで

 両親が建設会社を経営しており、東京の大学を卒業後は、地元の建設会社に就職しました。私は長男ですから、しばらくは修業期間と考えていたのです。
 1年半、現場監督としてあちこちの現場を走り回りながら、がむしゃらに働いていたのですが、テレビや新聞などマスコミでも連日報道される建設業界の先行きと、同時にこれからの自分の人生にも不安を感じ、「本当にこのままでいいのだろうか」と自問自答するようになりました。
 高校、大学とスキー部に所属し、日本代表を目指しながら、毎日、厳しい練習に打ち込み、何度も大きなケガを乗り越えてきただけに、目標が定まらない中で過ごす日々は自分にとって何より苦痛でした。そこで、自然の中で学び、育ってきた自分の適性と、人一倍体力に自信があること、将来のことなどを真剣に考え、農業に挑戦することに決めました。両親にも農業を本気でやりたいという自分の気持ちを包み隠さず伝えたところ、親も建設業の将来には不安を感じていて、自分の考え方に共感してくれました。
 農業を始めるにあたって、自分の周りには農家の知り合いがいなかったので、いしかわ農業人材機構に相談し、加賀れんこん作りに取り組むことにしました。

就農してから現在まで

 まず1年目は、金沢れんこん生産組合の髙山組合長に付いて、栽培法から掘り方、箱詰めなどを手取り足取りで一つひとつ教えてもらいました。2年目は、本格的に自分でレンコン作りに取り組むため、河北潟干拓地の畑を借りることにしました。これまで畑地だった土地をレンコン畑にするため、父親にも協力してもらい、実家にあった重機を使いながら、畑の勾配を直すなどの整地を行ないました。この時ばかりは、実家が建設業で本当によかったと思いました。
 自分の力で悪戦苦闘しながら農業に取り組んだ1年でしたが、まずまずの収穫量を確保でき、年末は朝 4時から夜の9時まで母にも箱詰めを手伝ってもらうほどでした。しかし、当然のこととはいえ、レンコンの歯ごたえや風味、そして味は先輩方に全然かないません。
 先輩の中には、レンコンの葉を見ただけで、今、何をするべきなのか、分かる人がいます。
 これからは、自分も消費者の方に「東の作った加賀れんこんがやっぱり一番や」と言ってもらえるような生産者になれるよう毎日努力していきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 消費者から自分を指名してもらえる。そんな加賀れんこんを作りたい。

今後就農をめざす人へ

 農業はやる気があれば、それに応じた結果が必ずついてきます。努力が形として残る点も魅力です。だから失敗を恐れず、挑戦してみる勇気も必要かもしれません。
 また、本気で取り組んでいれば、家族も含めて周りの人がどんどん協力してくれるように思います。振り返ってみると、自分も両親や家族の支えがなければ、農業に打ち込むことはできませんでしたから。

農林総合事務所からのメッセージ

 レンコン栽培では、掘り取り作業が大変ですが、栽培初年目の今年が特に雪が多く、これまでスキーで鍛えた体と持ち前の頑張りで、厳寒の干拓地でレンコン掘りに精を出されておられました。
 また、東さんは、常に美味しいレンコン作りを目指しておられますが、今後、研鑽を積まれて栽培技術を極められ、加賀レンコンを生産する皆さんでブランド力をより高められることを期待します。

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白山を眺めながら汗を流す農作業は、最高に幸せです(稲本 彰彦)

稲本彰彦写真

稲本 彰彦(いなもと あきひこ)

Profile

石川県金沢市生まれ
大学卒業後、地元のIT関連企業に就職
平成20年 石川県が運営するアグリ塾(休日コース)を受講
平成21年 勤務先を退職し、いしかわ耕稼塾(本科)に入塾
平成22年 いしかわ耕稼塾(本科)修了後、農業に従事
 

経営概要

 小松菜14a

就農のきっかけから就農まで

 大学卒業後、地元の企業に就職し、ずっと働き続けていたものの、子どもが独立したら何か別のことに挑戦してみたいと思っていました。そんな気持ちを抱えながら、毎日、職場と自宅を車で往復する中で、天気のいい日に白山や立山までを見渡せる河北潟の雄大な景色に目を奪われ、自分が育ったこの土地で農業をやってみたいと本気で考えるようになりました。
 しかし、親戚にすら誰も農家がいなかったので、農業への知識や技術などについて不安な点が多く、石川県が開催していたアグリ塾・休日コース(毎週土曜日実施)に申し込み、1年間、仕事と両立しながら、農業の基本から一つひとつ必死で勉強しました。
 この1年で、自分もこれから農家としてやっていく自信がつき、ちょうど子どもたちも独り立ちする年になったので、思い切って30年間勤めた会社を退社することにしました。退職後は、いしかわ耕稼塾(本科)に入り、具体的な経営や栽培法などを専門スタッフから修得。修了後、念願だった河北潟で農家としての第一歩がスタートしました。

就農してから現在まで

 農家になんのツテもなかったので、何と言っても土地の確保が大変でした。そんな時に役立ったのがアグリ塾やいしかわ耕稼塾でできた人脈で、賃貸という形になりましたが、現在のビニールハウス5棟や収納庫、事務所のある土地を紹介してもらいました。ただ、しばらく放置されていた土地とあって、3メートルもある草を刈ったり、ビニールハウスを修復することから始めなければなりませんでした。とはいえ、大変だったことよりも、自分の農地に変わっていく喜びの方が大きく、全く苦痛に感じることはなかったです。
 5棟のビニールハウスでは、価格が比較的安定し、生産効率のいい小松菜を栽培しています。それでも昨年は猛暑、今年の1月に入って記録的な低温と、ベテランの農家さんからも「えらい年から始めたもんや」と言われるほどの天気で、毎月一定の収穫量を確保するのに苦労しました。また、1棟のビニールハウス内でも、真ん中と隅では小松菜の出来が違い、品質を安定させることも今後の課題です。
 これからは、無理せずビニールハウスの数を1つずつ増やしながら、おいしく、品質のいい河北潟産の小松菜を作っていきたいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 品質の確かなものを安定して提供できる、頼りにされる生産者になりたいです。

今後就農をめざす人へ

 農業は、ある程度の初期投資が必要で、誰でもすぐにもうかるほど甘くありません。それでも長いスパンで設備投資や栽培計画などを考えて工夫すれば、きっとやっていけるはずです。何よりも大切なことは、何でも自分だけでやろうと思わないことです。農業には周りの方の協力や支えがとても大切です。周囲の声に耳を傾け、先輩方から学ぶ姿勢も成功への近道だと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 河北潟で小松菜を共同販売しているグループは12名と少数ですが、1億円の売上げを誇ります。
 産地として県外への販路開拓や食育活動など様々な取り組みを行い、さらに飛躍を目指している中、民間企業で磨いた様々なスキルを持つ稲本さんには、大きな期待が寄せられています。

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考えて行動すれば、成果に反映される。それが農業の魅力です(出倉 裕一)

出倉裕一写真

出倉 裕一(でくら ゆういち)

Profile

石川県宝達志水町(旧志雄町)生まれ
都留文科大学文学部卒業
同大学大学院文学研究科修士課程修了その後、(社)農山漁村文化協会に入社
平成21年 地元に帰って就農。ミニトマトやネギを栽培する
 

経営概要

 ミニトマト9a、ネギなど20a

就農のきっかけから就農まで

 私は大学院で農村の地域づくりについて研究した後、農業分野などの書籍を刊行する出版社に勤務しました。営業活動で全国各地を飛び回り農家の方と接するうち、農業の面白さを実感し、就農を決意しました。実家は水稲栽培の兼業農家ですが、実家に戻るのは抵抗がありました。それに、農業をやるならトマト栽培と決めていました。以前、山口県のトマト産地を訪れた際、若者たちが生き生きと働いている姿を見て、刺激を受けたからです。
 当初はターン就農の道を模索していたのですが、最終的には地元に戻ることを決めました。Uターンのきっかけになったのは宝達志水町で水稲やミニトマトを栽培する谷口さんの存在でした。谷口さんは卒論を書く際にもお世話になった方で、就農について相談した際、「地元でやればいい」と勧めてくれたのです。確かに、実家には軽トラックやトラクターもあり、初期投資を軽減するには好都合です。何より、谷口さんというお手本が身近にいることが心強いと感じました。

就農してから現在まで

 まずは、谷口さんからビニールハウス2棟を借りてミニトマトを栽培したほか、実家の農地のうち10 アールを畑にしてインゲンやブロッコリー、黒大豆などを育てました。基本的には栽培マニュアルを見ながら作業し、ミニトマトの枝の誘引や防除のやり方など、分からない点は谷口さんに指導を仰ぎました。2年目はミニトマト用のビニールハウスを2棟増設したほか、畑も20アールに拡張して新たにネギの栽培をスタートしました。猛暑でミニトマトの収穫量が落ち込んだり、ネギも除草剤をまくタイミングが後手に回り、草取りに追われるなど、失敗を通して多くのことを学んでいます。
 この2年間で感じたのは、春から秋にかけての営農だけでは経営的に厳しいということです。しかし、現在ビニールハウスが建つ山間地は雪深く、冬に農作業はできません。そこで、今冬は雪の少ない場所にビニールハウスを1棟借り、チンゲンサイや小松菜などの試験栽培に取り組んでいます。うまくいけば、新たにビニールハウス2棟を平地に新設したいと考えています。収入は以前と比べて半減しましたが、農業は自分で考えて行動すれば収入に反映される点が魅力です。収穫量の少ない野菜などを直売すると、「おいしいかった」「安いね」など、消費者の声を聞けることも励みになっています。

将来はこんな農業をめざします!

 まだまだ栽培経験が少ないので、一つ一つの作業について課題をクリアし、自分のものにしていきたい。

今後就農をめざす人へ

 自分で農業を始めるには元手がかかりますので、あらかじめ資金を貯めておくことが必要です。また、いつでも気軽に相談できる人が周りにいるという環境も大切だと思います。
 技術を習得したい場合は、いしかわ農業人材機構や農林総合事務所で研修制度を紹介してもらえます。うまくいけば、研修生を受け入れる農家の情報も入手できるかも。

農林総合事務所からのメッセージ

 民間就職後、地元に戻り就農した出倉さん。ミニトマト、ネギ、チンゲンサイ等周年栽培に取り組んでいるとのことで初めてということもあり手探りの部分も多いと思います。まだまだ栽培経験が少ないものの、独学のほか先輩農家の指導も仰ぎながら鋭意努力されており、早期の技術習得を図って収益を向上させてほしいと思います。
 今後は、消費者の生の声を栽培面に生かしていただき、地域の担い手として一層地元を盛り上げていって下さい。

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経営の視点を大切に。営業や加工にも意欲的にチャレンジ(芝垣 隆平)

芝垣隆平写真

芝垣 隆平(しばがき りゅうへい)

Profile

石川県宝達志水町(旧志雄町)生まれ
静岡大学農学部環境森林科学科中退その後、父親の仕事を手伝う
平成16年 石川県が運営するアグリ塾(本科)を受講
平成17年 (有)グリーンアース杉浦(羽咋市円井町)に研修生として入る
平成20年 同社の正社員となる
 

経営概要

 水稲21ha、野菜50a、農産物加工(漬物、梅干、みそ)、農作業請負(乾燥調製)
 ※(有)グリーンアース杉浦

就農のきっかけから就農まで

 父の仕事を手伝おうと大学を中退した私は、二級建築士の資格を取り、建築設計の仕事に従事していました。就農のきっかけとなったのは、石川県が運営するアグリ塾を受講したことです。兼業農家を営む母の実家で農作業を手伝うことがあり、体を動かして働くのも楽しいなと考えていた矢先、テレビでアグリ塾のCMを目にしたのです。「農業を勉強してみたい」。そう思い立った私は、早速、電話で問い合わせ、入塾を決めました。
 アグリ塾には建築関係の仕事を続けながら通い、1年間、米づくりについて学びました。その後、進路相談で、羽咋農林事務所の方からグリーンアース杉浦を紹介してもらい、研修生となったのです。当初はアルバイト感覚だったので、設計業務と掛け持ちで働きました。しかし、農作業に従事するうち、生半可な気持ちでできる仕事ではないと感じ、2年目からは建築の仕事を減らして農業に専念。自宅にある畑でもキュウリやトマト、ナスを育て、直売所で販売するようになりました。正社員に採用されたのは3年目の平成20年のことです。

就農してから現在まで

 グリーンアース杉浦では、JAS有機栽培コシヒカリと特別栽培コシヒカリを栽培しています。研修生として入った当初は、指示されている内容さえよく分かりませんでしたが、とにかくがむしゃらに働きました。フルタイムで農作業に従事したことがなかったので、体力的にも辛かったですね。ただ、体を動かす仕事は楽しく、ストレスはまったくたまりません。水管理をはじめ、まだ自分で判断できない作業もありますが、3年が経つころには、仕事にも慣れ、指示通りに動けるようになってきました。
 農作業のほか、この冬からは金沢市内や近隣の飲食店、旅館へ営業に回っています。成果はまだまだですが、経営規模をさらに拡大するためにも、策を練って売上アップに貢献したいと思います。また、会社では漬物・梅干・みその製造も手がけており、今年からはこうした農産物の加工にも携わることになっており、楽しみにしています。新たな知識を得たり、ネットワークを広げるため、羽咋農林事務所が事務局を務める農業青年の集まり「青雲会」に参加するなど、時間の許す限り各種研修を受講しています。少しずつでも、新しいことを学んでいきたいですね。

将来はこんな農業をめざします!

 新たな品目や加工品を生産するなど、会社に貢献できるようになりたいです。

今後就農をめざす人へ

 「農業は人にかかわらなくてもいい」と考えているならば、それは間違ったイメージです。農業法人では社員同士のコミュニケーションが大切ですし、一人でやるにも地域の方々との交流は欠かせません。人付き合いによって情報を入手できたり、困ったときに助けられることもあります。
 また、いいもの・売れるものを作るだけでなく、いかに売るかを考えることも重要です。

農林総合事務所からのメッセージ

 母親の実家が農家であることから、農繁期に祖父母の手伝いをしていて農業に興味を持ちアグリ塾に参加することを決意したとのこと。
 初めは、農業と建築業の手伝いと二足のわらじを考えていたが、アグリ塾を卒業し、(有)グリーンアース杉浦に勤務してみて中途半端な事では農業は成り立たない事が分かり、現在は、農業一本にしているとのこと。
 将来は、環境が整えば独立したいとのこと、そのためにも農業法人で営農技術もさることながら経営技術も取得するよう頑張って下さい。

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経済学科から農業へ。インターンシップが僕の進む道を変えた(小西 大輔)

小西大輔写真

小西 大輔(こにし だいすけ)

Profile

石川県七尾市生まれ
七尾商業高校を卒業
平成20年  金沢星稜大学を卒業し、(有)ウィード能登(七尾市黒崎町)に勤務。花苗の栽培を手がけている

経営概要

 農産物や魚介類の加工品の製造・販売、花苗の生産・販売
 ※(有)ウィード能登

就農のきっかけから就農まで

 大学で経済学を学んでいた僕にとって、大学4年生になっても「農業」を仕事にすることは全く考えていませんでした。実際、同級生と同じように、一般企業向けの就職活動に励み、内定もいただいていました。一方で、このまま社会人として働くことに、100%納得していたわけではありませんでした。
 そんな思いを抱えていた大学4年生の夏休み、新潟県妙高市のハーブを生産・販売する会社で、1週間のインターンシップを経験しました。インターンシップでは朝7時から仕事を始め、収穫や殺菌・殺虫、管理を行い、毎日、作業が終わるころには体がヘトヘト。思った以上に大変な仕事だと身をもって実感しました。半面、心地よい充実感を味わうことができ、これがきっかけとなって農業分野に進む決意を固めました。
 こうして就職活動を再開し、富山県の就農相談会に足を運びました。そこで、地元七尾市の県中能登農林総合事務所を紹介していただき、事務所から勧められたのがウィード能登でした。最初は同社の看板商品「かぶら寿し」の製造アルバイトとして入り、働く中で社長に声をかけていただき、大学卒業後、花苗の担当として入社が決まりました。

就農してから現在まで

 ウィード能登の花苗部門では、13棟のハウスを構え、パンジーやマリーゴールド、サルビアなどの花か卉き 10種類をはじめ、トマトやナス、キュウリなどの野菜と水稲の苗の生産に取り組んでいます。栽培のメインとなる花卉は年間20万本近く栽培していて、県内や富山県のホームセンター、愛知県豊明市の市場に出荷しています。
 花の栽培と言うと、のんびりとしたイメージがあるかもしれませんが、ぎっしりとポットが詰まったケースや肥料を抱えて農場内を何往復も繰り返すので、実際はかなりの体力勝負。出荷の最盛期は春ですが、それ以外の時期も土作りやハウス内の掃除など年間を通して、やるべきことは多くあります。しかも、夏場にはたった1回の水やりを怠っただけで花を枯らしてしまう危険もあり、1日も気を抜くことはできません。
 就農して3年、この仕事の難しさや大変さを感じる毎日ですが、その分、1本1本の花苗をまるで子どものように感じています。ですから、納品先で「きれいだね。ありがとう」といった声をかけられると、まるで娘が褒められたようで本当にうれしくなりますね(笑)。

将来はこんな農業をめざします!

 専門資格取得を視野に技術力をアップ。栽培する花の品質を、もっともっと極めていきます。

今後就農をめざす人へ

 農業は、つらい仕事かもしれません。ですが、どんな職種にも負けないほどのやりがいがあります。その魅力を見つけられるよう、頑張ってほしいと思います。
 また、同じエリアで農業に取り組む人や同業の方々との交流も大切にしてください。そうすることで、さまざまな情報を得ることができますし、自分自身のスキルアップにつながっていくはずです。

農林総合事務所からのメッセージ

 小西さんは、大変まじめな方で、毎日、花苗などの生産・販売に取り組んでいます。
 風光明媚な大呑地区にある(有)ウィード能登は彼にピッタリの職場だと思います。
 地元農業青年グループでの活動にも積極的で仲間の輪を大きく広げています。夢を大きく持って頑張って!

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今までの回り道は準備期間ととらえ、農業に全力投球(向 正希)

向正希写真

向 正希(むかい まさき)

Profile

石川県白山市(旧松任市)生まれ
金沢松陵工業高校(現・金沢北陵高校)化学工学科卒業その後、県内の車両製造会社に就職
東京・六本木のイタリアンレストランで調理に従事
派遣労働者として群馬県で農業を経験
県内の電子部品メーカーに勤務
平成21年 (有)川原農産(輪島市町野町)に就職

経営概要

 水稲20ha、果樹3ha、米菓子加工、農産物の通信販売
 ※(有)川原農産

就農のきっかけから就農まで

 私はこれまで、幾度となく転職を繰り返してきました。何をしても中途半端な自分に嫌気を感じていましたし、心のどこかでは常に、背筋を伸ばして働き、仕事で充実感を得たいという思いがありました。
 農業に魅力を感じたのは、平成16年に派遣労働者として群馬県嬬恋村へ行き、キャベツ作りに従事した時のことです。自然の中で生命を育てるものづくりに、自分が無心で働けていると気付きました。無味乾燥な工場や東京にはない田舎の懐の深さにも魅力を感じ、翌年も希望して同じ派遣先で働きました。
 しばらくして父が体を悪くしたため実家に戻り、派遣社員として電子部品工場に勤めていましたが、平成21年1月に契約を打ち切られました。農業へ進もうと決心したのはその時です。その月すぐに、石川県が主催した就農説明会に参加し、3月の就農面談会で現在勤務する川原農産と出会いました。
 その会場で、専務に「就農の先に夢はあるか?能登の現実を見ても変わらないか?」と聞かれ、現地を見学させてもらうことになりました。実際に能登へ行くと、見渡す限りの田んぼやゆったり流れる時間は望んでいた通りのものでした。「畑付きレストランを営みたい」と考え、「働かせてください」と、その場でお願いしました。

就農してから現在まで

 就農して、特に楽しく感じているのが、常に移り変わる自然を相手にしているところです。料理のようにレシピがあるわけではなく、ほとんどの作物は年一回しか作れません。最も重要な要素である天候にいたっては、コントロールのしようもありません。だからこそ、良いものを作るため、人の力の及ぶ作業については一つ一つ心を込めて取り組んでいます。天候次第で努力が水の泡になることや、面倒な作業もたくさんありますが、それも含めて楽しいと感じています。
 また、転職する中で大型特殊自動車免許やフォークリフト技能講習修了証などの資格を取っていたので、当初からさまざまな農機の操作を任せてもらいました。会社では米を使ったポン菓子の加工製造も手がけており、調理に従事していた経験も少しばかり役立っています。
 知識や技術を身に付けるため、農業技術検定にチャレンジしていて、今年度は3級を取りました。これからどんどん勉強して、2級、1級も取得したいと思っています。

将来はこんな農業をめざします!

 レストランを持って隣に自前の畑を構え、自分たちが作る新鮮な食材を、自分たちで調理して提供したい。

今後就農をめざす人へ

 農業は決して収入の恵まれた仕事とは言えません。就農当初、私の給与も少額でした。しかし、私も会社も農業も、まだまだのびしろがあります。夢や目標を持って臨めば、良い結果にたどり着くはずです。
 それと、作物を育てる際には、農機の操作が必須のスキルです。ショベルカーなど車両系建設機械の資格を持っていると役立つと思います。

農林総合事務所からのメッセージ

 「仕事が忙しいほうがメリハリがあって充実感を感じる。」という向さんの取り組み姿勢に常々敬服しています。
 今では、川原農産になくてはならぬ存在ですが、更に多くのノウハウを学び、近い将来必ずや『夢』の実現を図って下さい。(出来れば奥能登の地で)期待しています。

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都会に暮らす人からも顔が見え、声が届く。そんな農業を実践(後谷 真弘)

後谷真弘写真

後谷 真弘(うしろや まさひろ)

Profile

石川県珠洲市生まれ
名古屋福祉法経専門学校を卒業その後、珠洲市の老人ホームで介護士として勤務
平成20年 実家の後谷農園で就農
平成22年 市内の有志と「農事組合法人のうきゃ」を立ち上げ、代表に就任

経営概要

 水稲0.7ha、野菜8ha、農業体験学習受け入れ、農産物の通信販売

就農のきっかけから就農まで

 実家が専業農家で、小さな頃から農作業を手伝っていました。ただ、朝早くから夜遅くまで働く両親の姿を見てきたせいもあり、農業を継ごうとは考えず、福祉の専門学校で学んだ後、地元で複数の介護施設を経営する会社に就職しました。ところが、しばらく働くと、介護業界の厳しい現実が見え、自分の将来を憂慮するようになりました。勤務先の老人ホームから要望を受け、実家の野菜を売り始めたのはそんな風に思い悩んでいた時のことです。予想を超える多くの注文に、「生産者からじかに食品を買いたい消費者がたくさんいるのかも」と思い、農業に可能性を感じるようになりました。
 転機が訪れたのは平成20年3月です。転勤を伴う別部門への異動が決まったことから、「どうせ再スタートするなら家業を継ごう」と考え、その日に会社を退職しました。何の相談もせず就農を決めたため、母は反対しましたが、父は「お前の好きにやれ」と言ってくれました。

就農してから現在まで

 就農後、半年もたたずに幸運な巡り合わせがありました。それは、東京都大田区で学習塾を経営する山下さんとの出会いです。山下さんは、夏休みの自然体験学習として、祖父母の出身地である珠洲に塾生を連れて来ていました。私は市から要請を受けて、彼らの農業体験を受け入れたのです。
 山下さんとはある夜、居酒屋で酒を酌み交わすうちに意気投合しました。私が「農業体験を通して都会の人にも珠洲の魅力を知ってほしい」と話すと、山下さんも「珠洲の農産物を都会でも食べてほしい」と応じてくれ、塾が大田区で注文を集め、珠洲から農産物を出荷することに決まりました。
 ただ、準備がなかなか整わず、最初の出荷まで2年を要しました。現在、お米は塾のホームページで、野菜は塾が直接注文を集めていて、発注は私たちの生産量を超えそうな勢いです。昨冬には、東京で消費者との懇談会も開きました。「生産者の顔が見え、声も直接届く」と喜んでもらえ、こちらのやる気も高まりました。また、珠洲市が力を入れる農業体験の受け入れも増えています。
 これと並行して、経営形態の転換にも取り組みました。家族経営のままでは親が働けなくなった時、立ち行かなくなると考え、市内の若手農家3人と平成22年6月に農事組合法人を設立したのです。設立後は、耕作放棄地や組合員個人の土地を借りて営農し、少しずつ共同作業に移行しています。

将来はこんな農業をめざします!

 農業体験と東京からの注文にしっかり対応し、珠洲での雇用創出と町おこしにつなげたい。

今後就農をめざす人へ

 就農して困りごとや分からないことがあったら、行政機関に相談してみてください。さまざまな情報を提供してもらえるほか、各種の支援制度や助成制度もあります。
 私も就農するまで、行政機関は縁遠い場所だと思っていましたが、法人設立や土地の借り受けなどでアドバイスをもらえて助かりました。今は頼りになる仲間のような存在だと思っています。

農林総合事務所からのメッセージ

 「介護業界からの退職・就農時のご家族の心情を推し量るに複雑なものがあったでしょう。それだけに『不退転の決意』で営農に取り組む姿に頼もしさを感じています。
 『都市と農村の交流』をキーワードとする新たな農業の展開は多くの可能性を秘めています。仲間とともに大いなる飛躍を期待しています。

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公益財団法人いしかわ農業総合支援機構 〒920-8203 石川県金沢市鞍月2-20 石川県地場産業振興センター新館4F TEL076-225-7621 FAX076-225-7622 免責事項のページ 個人情報についてのページ お問い合わせのページ